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フェミニズムによる
リベラリズム公私二元論批判とは?
人種やジェンダーの格差を越境して
強化する「外国人家事労働者」問題
人口減少社会を迎える日本において、外国人労働力の活用は社会的に注目度の高いテーマだ。しかし、その現場を高い解像度で見ていくとさまざまな社会問題が見えてくる。リベラルアーツ学群の阿部温子教授が注目したのは、「外国人家事労働者」を取り巻く問題だ。
「香港、シンガポールなどのアジア諸国、および欧米諸国では、外国人家事労働者を受け入れる事業を国策として行っています。その対象となるのは多くの場合、開発途上国から出稼ぎでやってきた女性です。なかには、母国に我が子を残して、海外に働きに出て、他人の子どもや高齢者のケアを担うケースもあります。先進国で働くために、開発途上国を離れた女性の多くは、一時的な労働者であり、カナダなどの例外はありますが多くは受け入れ国側での市民権も永住権もありません。ここに、人種やジェンダーのヒエラルキーを越境して強化する作用も懸念されます。日本でも外国人家事労働者受入事業は始まっており、根底に横たわる社会的な問題を無視することはできません」
「グローバル・ケア・チェーン」とは?
アメリカの社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドは、この状況を「グローバル・ケア・チェーン」と名づけ、警鐘を鳴らしている。先進国で家事労働に従事する女性の残された家族は、誰がケアするのか? 多くの場合、途上国側の親族によって無償で担われている。家事労働の負担がチェーンのようにつながり、国境を越えて末端にしわ寄せがいく。社会で不可視化されがちな、家事労働の問題を阿部教授は、フェミニズムとリベラリズムの対立という文脈から読み解いていく。
研究テーマは「フェミニズムによるリベラリズム公私二元論批判の考察」だ。リベラリズムとは「自由主義」のこと。個人の自由や権利を重視し、年齢や性別、社会的立場の差異を超え、誰もが平等に自立した市民を目指すことを理想としている。女性の自由や権利を主張するフェミニズムは、リベラリズムと親和性が高そうな印象だが、どこでズレが生じたのだろうか。
「キーワードは『家事労働』です。リベラリズムでは、市民として自立し、社会や政治に参加することが重視されます。これは女性も男性も同様です。ここでないものとして扱われているのが、家事労働なのです。リベラリズムは、公的領域と私的領域をキッパリと分けます。これがリベラリズムの公私二元論です。では、健康に仕事をする自立した市民を支える“見えない誰か”に価値はないのでしょうか? 特に女性は日々の私的生活を犠牲にして、公的な仕事をすることに過剰な価値が置かれがちです。しかし、家族のケアを“自分ごと”として考えない人が、本当に自立しているのでしょうか? これがフェミニズム側からのリベラリズム公私二元論批判の構図です」

不可視化された家事労働を誰が担うべきなのか
確かに、権力の担い手になり、公的領域に参画するには、私的領域において「ケア・フリー」であるという特権を持っていることが前提となっているのは否めない。これは、フェミニズムの研究者らが、これまでも鋭く指摘してきたことだ。現実的に公的領域において活躍するためには、家族のケアを担う“誰か”が必要になる。
日本におけるこの問題を理解する上で役立つのが、2016年に匿名ブログに投稿された「保育園落ちた日本死ね!!」だろう。この声を当初、政府与党関係者は、取るに足らないものとして一蹴しようとしたが、すぐにSNS上で共感の声が広がり、大きな政治的圧力を形成するまでになった。そして、実際に保育園定員数増への政府対応を引き出した。ここでいう政府与党関係者とは、ほとんどが自ら家事やケア労働に携わることなく、自身の持つほぼすべての時間とエネルギーを公的活動に注ぐ人々であることは想像に難くない。
では、この不可視化された家事労働を誰が担うべきなのか——。リベラリズム(≒資本主義)側からのアンサーは、家事労働をマーケット(市場)に委ねること。つまり、家事代行サービス、介護サービス、ベビーシッターなどを使って、どんどん外注していくという考え方だ。しかし、ここに外国人家事労働者を取り巻く諸問題が生まれてくる。ではどうすればいいのか。
「私は、『公共圏』のような近所づきあいの新たな形が生まれてくるといいなと思っています。ひとつの事例が『こども食堂』です。家族でも親族でもない人々が集い、安心な居場所が提供される。昔ながらの日本社会ともまた違う新たなコミュニティだといえますよね。また、地域単位で有償ボランティア会員の人々が育児支援を行う『ファミサポ(ファミリー・サポート事業)』のような取り組みにも注目しています」
阿部教授が資本主義社会における家事労働を考える上で、意識しているのが北欧の動きだ。男女格差の解消が進むフィンランドやノルウェーなどの北欧諸国では、夫婦共働きで協力して子育てを行うのが常識だ。そして、注目すべきは、外国人家事労働者の受け入れを積極的に行っていないこと。行政のサポートによる仕事の時短制度や公的な介護サービスを使って、「自分の家族は自分で面倒を見るほうが効率的」というモデルを示しているという。これは、「グローバル・ケア・チェーン」を断ち切る、男女平等先進国からのアンサーなのかもしれない。
英ケンブリッジ大学大学院で
「ヨーロピアン・スタディーズ」を専攻
東大法学部在学中に東西冷戦構造が崩壊
そんな阿部教授も学生時代は、「女性も社会参加すべき!」とリベラリズムの理想に強く惹かれていたと振り返る。高校卒業後、東京大学に進学したのが、東西冷戦が末期を迎えていた1987年。法学部在学中の1989年に、天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊した。翌1990年には、中東でイラクがクウェートに侵攻する湾岸戦争が勃発。激動する世界に関心を持ち、「私法コース」から「政治コース」に専攻を変更し、ゼミではヨーロッパの政治について学んだ。
当時、鴨武彦教授の『国際統合理論の研究』(早稲田大学出版部、1985年)を読み、「国家」という枠以外の共同体に興味を持った。そして、学部卒業後はケンブリッジ大学大学院に留学し、1991年に開設されたばかりだった「ヨーロピアン・スタディーズ・コース」に進学した。そこで、貿易を主体とした日欧関係について研究するうちに、国家や共同体以外にも地方や企業といったレベルでの交流が、国際関係の形成に影響していることを知った。
「留学中の1990年代初頭に、日本の自動車メーカーが北イングランドの寂れた町に工場をつくり、現地の人々の好感を集めていました。日系企業が雇用を創出し、地域文化に対して敬意を払い、地域復権をサポートする現場を見たのです。しかし、ECはこれに反発し、貿易摩擦に発展します。イギリス政府も煮え切らない態度で、まさに地域、国家、ECで大きな温度差がありました。それは貿易摩擦のフェーズを変えるものだったと思います。国家に視点を置いた構図では見落としてしまう国際関係があることを知り、強い関心を持ちました」

研究テーマは「国家」から「移民」、「女性」へ
ケンブリッジ大学大学院博士課程を修了し、1999年に帰国。2000年から桜美林大学で教員の職を得た。そして、国際政治の研究を続けるなかで、関心が「国境を越えたヒトの移動」、つまり「移民」に移っていく。
きっかけは、留学時代の自らへの問いだった。「外国で学んでいる今の自分は移民なのだろうか?」。日本でも移民の問題は、潜在的に存在している。5世代、6世代にもわたる在日コリアンの人々が日本国籍を自動的に取得できない現状がある。移民問題を深掘りしていくなかで、「国家」を巡る民主主義、自由主義(リベラリズム)の矛盾にたどり着く。
「民主主義国家では、意思決定への参画が広く開かれていることが原則なのですが、『外国人』である移民は国籍を変えない限り、そこに参加できません。それなのに、国単位で決められたことに翻弄されてしまう。特に移民で、女性で、家事労働に従事する人たちはまさに『三重苦』で、意思決定から排除されています。ここに強い問題意識を持ちました。そこからジェンダー研究にもより深い関心を寄せ、国際関係、移民、女性の問題について研究を重ね、現在に至ります」
フェミニズムによる批判的視点が
リベラリズムの理念を拡張する
弱い立場の人が弱いままでも
健康に暮らせる社会をつくりたい
桜美林大学に所属後、サバティカル(学外研修)を利用して、家族と一緒にイギリスに滞在していたとき、阿部教授にとって、忘れられないエピソードがある。カレッジの家族向け寮のコミュニティの中で、妻の研究のために、専業主夫として帯同していた男性が複数いた。彼らは、それぞれ妻のキャリアアップのために、3年程度キャリアを休む決断をした。そして、家事全般を担う生活のなかで、子どもたちはすっかりパパッ子になっていたた。また、自身も夫が転勤を願い出て子どもと一緒に渡英していた。いつか日本でもこんな世界が当たり前になる——。そんな希望のようなものを感じたという。
政治学を志し、「国家」の存在意義を追究した日々を経て、「ヒトが移動する世界」における国家と国民の関係、そして、越境するジェンダー問題にたどり着いた。「外国人家事労働者」の問題から見る「リベラリズム公私二元論」の限界は明らかだ。ケアや家事労働の重要性を認識し、それを支える政策や社会的な価値の転換が求められている。フェミニズムによる批判的な視点が、リベラリズムの理念を拡張し、より公正な社会を目指す指針になる可能性は十分にあるだろう。
「現代の日本社会の基盤となるリベラリズム、つまり資本主義を頭から否定するつもりはありません。しかし、自立した市民を理想とする社会において、例えば障害を持って生まれた人に求められる自立とはどのようなものでしょうか? 本質は、弱い立場の人が弱いままでも健康に文化的な生活を送れる社会をつくることです。今こそ誰もが参加して、リベラリズム、資本主義をチューニングして、よりよいものにしていく時代に入っていると思います」
教員紹介
Profile

阿部 温子教授
Atsuko Abe
1991年、東京大学法学部(政治コース)卒業。1992年、University of Cambridge Faculty of History M. Phil. in European Studies修士課程修了。1997年、University of Cambridge Faculty of History Ph.D. in International Relations博士号取得。米国ジョージ・メイソン大学でアシスタント・プロフェッサーを経験後、日本学術振興会特別研究員(ポストドクター)として筑波大学に在籍。2000年、桜美林大学国際学部専任講師を経て、2013年より現職。
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