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文化心理学とは?
「国際移動」による自己再編の過程をたどる
「地位が人をつくり、環境が人を育てる」という言葉がある。これはプロ野球監督・野村克也氏の言葉だが、「文化心理学」の基本的な考え方にも通じているかもしれない。
文化心理学とは、人の心と文化が互いに影響し合いながら築かれる関係性を研究する分野のこと。リベラルアーツ学群の浅井亜紀子教授は、文化心理学と異文化コミュニケーションを専門にした研究を行っている。浅井教授が特に注力しているテーマは「国際移動」だ。これは、移民、難民、労働者、留学生など、国境を越えて移動する人々を対象に、その移動のパターンや背景、社会的・経済的影響を多角的に探究する分野。中でも浅井教授は、新しい環境に身を置いたときにその人自身が自己をどのように再編していくのかに着目している。
「新しい環境の中に身を置いたときに感じる精神的な衝撃を『カルチャーショック』と呼びます。しかし、多くの場合は『カルチャーショック』を受けて終わりではなく、それを受けて自分自身をつくり直していきます。新しい環境に適応しつつも、自分を主張したり新たな要素を採り入れたりして自己を編み直していく。その過程を研究するために、半構造化インタビュー*などを通じて、当人たちの語りの中からアイデンティティが変容する過程をたどっているのです」
*半構造化インタビューとは、事前に用意した質問ガイドに沿って質問しつつも、調査協力者の反応に応じて柔軟に質問を追加・変更し、深掘りしていくインタビューのこと。質問ガイドがあることで話が脱線しても軌道修正しやすく、柔軟性を持たせることで調査協力者の背景にある感情や問題も深掘りしやすいというメリットがある。
約10年にわたって取り組んだ、
EPAの看護師・介護福祉士の追跡調査
「国際移動」を経て起きる自己再編の過程を研究している浅井教授。これまでにさまざまなルーツやバックグラウンドを持つ人々へのインタビューを行ってきた。その代表的な研究の一つが、約10年にわたって取り組んだ「EPAの看護師・介護福祉士の追跡調査」だ。
EPAとは「Economic Partnership Agreement(経済連携協定)」の略語で、特定の国や地域間で、関税の撤廃・削減、サービス貿易の自由化、人の移動など、幅広い経済関係を強化するための協定のこと。日本はインドネシアやフィリピンなどの東南アジア諸国との間でEPAを締結し、2000年代後半から看護師・介護福祉士候補者の受け入れをスタートさせた。「EPAの看護師・介護福祉士の追跡調査」は、同プログラムを利用した看護師・介護福祉士候補者を協力者として行った研究なのだ。
「同プログラムは、国家試験に合格したうえで本人が望めば、半永久的に日本で暮らせるというものでした。日本では初めての試みで、各国の優秀な人材に長く働いてほしいという期待から、各病院や介護施設は看護師・介護福祉士候補者たちへの日本語教育や国家試験対策を手厚く行ったのです」
プログラム開始から年数が経つにつれて合格者も増えていったが、来日から3年以内に合格者の40%が帰国してしまったという。非常に苦労して合格したにもかかわらず、帰国する人が増えた背景には「結婚」と「親の介護」があった。
「私がインタビューしたインドネシアの人々は家族を大切にする意識が強く、特に自分の家族をつくる、すなわち結婚に関するプレッシャーが非常に強くあったことがわかりました。20代後半から30歳にかけて結婚するのが一般的で、親から『もうすぐ30歳になるんだから帰ってきなさい』と言われると、ほとんどの人が帰国を選んでしまう。制度運用が期待どおりにいかなかった背景には、こうした彼ら自身の思いや文化的視点が制度設計に十分反映されていなかった点がありました。”そこに生きる人”の主体的な思いなしに多文化共生を実現することなどあり得ないと、身をもって知った体験でした」
また、2019年に第11回日本質的心理学会の学会賞を受賞した「職業アイデンティティ・ショックと対処方略-来日インドネシア人看護師候補者の自己をめぐる意味の再編過程」では、同じくEPAで来日したインドネシア人看護師候補者9人に対し、5年間かけてインタビューを実施した。
「インドネシア人看護師候補者は母国で『正看護師』として働いた経験があり、中にはリーダークラスの人もいました。しかし、日本の国家試験に合格するまでの間は『看護助手』として扱われ、注射や点滴といった看護師としての専門性を発揮できる仕事は任せてもらえず、食事の介助や歩行の援助、掃除などが主な仕事となります。インタビューではそうした職業的アイデンティティの変容に直面して『ショックだった』という言葉を何度も聞きました」
しかし、そんな状況下でもインドネシア人看護師候補者は「かつて正看護師だった私」に固執したり、「看護助手」を新たなアイデンティティとして受け入れたりするのではなく、「国家試験受験者としての私」へと変化させることで対処していく。浅井教授は同論文でその心理的過程を浮き彫りにし、「私についての意味の再編」として描き出した。
「インドネシア人看護師候補者たちは自分を鼓舞したり、候補者たち同士で勉強したり励まし合ったり、勉強時間を増やしてもらえるように現場に対して交渉したりと、さまざまなかたちで『国家試験受験生』としての自分を見出してきました。彼らへのインタビューを通じて、受け入れ側が『労働力』としてだけ見るのでなく、彼らの真の幸せ(ウェルビーイング)を考える必要があるとあらためて実感しました」
心理学におけるアプローチの変遷
浅井教授は2000年代初頭から人間の主体性や語りを重んじる質的な調査を採用してきたが、当初はまだすでにある理論や意見の正しさを立証しようとする実証主義的なアプローチが主流だったという。その流れを変えた契機の一つとなったのが、浅井教授の恩師である箕浦康子先生が著した『フィールドワークの技法と実際 マイクロ・エスノグラフィー入門』だ。2004年には日本質的心理学会が設立されるなど、心理学領域における質的調査は今や当たり前のものになったが、その背景には箕浦先生や浅井教授をはじめとした先駆者の存在があると言えよう。
女性の新たな生き方を切り拓いてきたキャリア
英語力を活かして
外資系企業で翻訳業務に従事
現在は、文化心理学と異文化コミュニケーションを専門にしている浅井教授だが、大学時代は英米文学を専攻していた。しかし、振り返ってみると当時からすでに現在の研究に紐づくような興味関心が芽生えていたのではないかという。
「最終的には英米文学を専攻しましたが、実は心理学領域と悩んだ末の選択でした。また、英米文学にも人の心理やその社会的背景を読み解くおもしろさを見出し、卒業研究では米国の女流作家ジョイス・キャロル・オーツの作品に描かれている女性像を自分なりに読み解いて分析しました。当時はたまたま英米文学が素材でしたが、アプローチの仕方は現在の研究分野にも通じる部分があったのかもしれません」
大学卒業後、浅井教授が就職したのは、アメリカに親会社を持つ富士ゼロックス株式会社(現:富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)。そこで日本で行った開発の概要を親会社に向けて英語で共有するための翻訳業務を担当することになる。
「当時の日系企業における花形と言えば、大手銀行か商社でした。しかし、そこで女性に与えられるのはお茶汲みやコピー取りを含め男性社員の補助の仕事で、結婚後は“寿退社”しなければなりません。そこで自分の強みを活かして働ける仕事を求め、外資系企業を選択したのです」
1980年代後半に
母子でアメリカ留学へ
富士ゼロックス株式会社で4年間、翻訳業務に従事していた浅井教授。自分の強みである英語力を活かしたいという希望は叶ったものの、最終的にはネイティブのチェックを受けなければならない。
自分自身の専門性を身に付けてオリジナリティを発揮できる仕事に就きたい——。そう考え始めた矢先、社員教育の一環で異文化コミュニケーションのトレーニングを受けたことが、のちに人生を変える大きな転機となる。
「異文化コミュニケーションのトレーニングでは英語を使うだけでなく、文化の違いまで学ぶことができました。また、ただ講義を座学で受けるだけでなく、参加型の授業であったことも当時の私にとっては新鮮で、こうした学びをもっと深めてみたいと考えるようになったのです」
異文化コミュニケーションが学べる場所を探していたところ、のちに桜美林大学の名誉教授となる荒木晶子先生にたまたま出会い、サンフランシスコ州立大学のディーン・C・バーンランド教授を紹介されたという。
当時、結婚したてで子どもができたばかりだったが、「アメリカの大学には保育園もあるから、子育てしながらでも通える」と荒木先生に後押しされ、渡米を決意。歌手のアグネス・チャンが3歳の息子を連れてアメリカの大学に留学し、大きな話題を呼んだのが1989年のこと。浅井教授の留学がその前年だったことを考えると、女性がキャリアを志向することはもちろん、幼い子どもを連れての留学がどれだけ先進的だったかがうかがえる。
生まれたばかりの子どもを現地で育てながら、研究に邁進した2年半を、浅井教授は次のように振り返る。
「多くの日本の大学では教員が学生に“指導”するスタイルが一般的ですが、バーンランド先生は『次はこんな風にやってみようか』と“パートナー”として研究に伴走してくれました。『自己開示と自己知識の日米比較(Boundaries of the unconscious, private, and public self in Japanese and Americans: a cross-cultural comparison)』というテーマのもとに2人で知恵を出し合っていく過程もおもしろかったですし、『この答えを導き出せたのは私だけなんだ』と翻訳の仕事では得られなかった創造の喜びも経験させてもらえて、研究の醍醐味を教えてもらえた気がします」
恩師・箕浦康子先生との出会い
2年半の母子留学を終える頃、担当教員のバーンランド先生から博士課程に行くことを勧められたという浅井教授。しかし、家庭との両立を考えて一度帰国することを決めた。また、研究への興味関心の高まりやワークライフバランスの観点から、元いた会社には戻らず、桜美林大学の非常勤講師に着任。大学教員そして研究者としての道を歩み始めた。
浅井教授の次なるターニングポイントは、2000年。自らの研究と家庭生活の両方を大切にしながら20年ほどを過ごし、3人目の子どもが幼稚園に入園したタイミングで博士課程に進むことを考え始めたという。そこで、のちに共同研究者としても関わることになる恩師・箕浦康子先生に出会うことになる。
「非常勤講師として働きながら研究を続ける中で箕浦康子先生の存在を知りました。私はかねてより心理人類学に関心があり、なかでも箕浦康子先生のご研究、特に著書『子どもの異文化体験』に深い感銘を受け、敬愛してまいりました。当時は東京大学教育学部にて教鞭を執られていたため、直接師事する機会を得ることは叶わないと考えておりました。しかし、先生が東京大学を退職された後、お茶の水女子大学人間文化研究科(現 人間文化創成科学研究科)へ異動され、博士課程の指導を担当されることを知る好機に恵まれました。これを機に同大学院を受験し、博士課程において念願であった箕浦先生のご指導を仰ぐこととなりました」
浅井教授の博士論文のタイトルは、「異文化体験と文化的アイデンティティのゆらぎ : 日本の学校における『外国語指導助手』の事例より」。外国語指導助手とは、ネイティブスピーカーの感覚や“生きた英語”を教える「ALT(Assistant Language Teacher)」のことで、彼らは外国語教育の充実と地域レベルでの国際交流を推進する「JETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme)」のもとに来日した人々だ。
この研究テーマも浅井教授の英語に関するバックグラウンドや教育・心理分野への興味関心の高さを踏まえて、箕浦先生が勧めてくれたものだという。
「当初はALTについて詳しく知りませんでしたが、実際に研究し始めると、日系アメリカ人やメキシコ系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人といったハイブリッドなルーツを持つ人々もALTとして来日していることがわかりました。彼らが異国で暮らした際のアイデンティティの変容は、当時の私が想像し得なかった興味深いもので、研究のおもしろさにますます目覚めていったのです」
博士課程修了後、次なるテーマを探していた浅井教授はある日、ある新聞記事を目にする。それが、日本が東南アジア諸国との間でEPAを締結し、看護師・介護福祉士候補者の受け入れをスタートするという記事だった。
「ALTの研究をしていたときに彼らの苦労を目の当たりにしてきたため、『学校現場でもあれほど大変なのに、命を預かる病院や介護施設では一体どれだけの負担がかかるのだろう』と思ったのが最初の感想です。また、イスラム教を信仰している人であれば尚更、カルチャーショックを抱くことも想像に難くありません。そこで箕浦先生を含めた先輩研究者とともに科研費を申請して本格的に研究に乗り出しました。結果的に10年にわたって、EPAの看護師・介護福祉士の追跡調査を行えたことは、私にとってかけがえのない財産です」
アジア圏の人々の国際移動の実態を明らかにしたい
日本が“選ばれる国”になるために
浅井教授はEPAの追跡調査を進める中、2018年に日本を飛び出し、渡英。イギリス・ケンブリッジ在外研究滞在中に、英国で働くフィリピンの看護師を対象にした「フィリピン人看護師の英国での就労決定までのプロセスと主観的ウェルビーイング:マイクロ・メゾ・マクロ連携モデルの視座より」の研究・執筆にも取り組むなど、その視野は徐々にグローバルへと広がり始めている。その視線の先にあるのは、日本における外国人の受け入れ拡大だ。
JICAの試算によれば、2040年の日本では外国人労働者が40万人ほど不足し、現在の経済水準を維持できなくなると言われている。そこで「JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)」は、浅井教授を研究プロジェクト「海外労働希望者の国際移動経路と経路選択メカニズムに関する研究」のメンバーに抜擢。2021年からは数ある国の中から“出稼ぎ先”として日本を選んでもらう糸口を探るため、インドネシア人の海外労働移動に関する意思決定プロセスなどを調査してきた。
浅井教授は今後、「国際移動」を当事者のライフコースの視点から研究を行い、アジア地域の特徴や受け入れの課題を浮き彫りにしたいと語る。
「中国や韓国は外国人をどんどん受け入れています。日本が外国人労働者の力を借りたいと思うなら、“選ばれる国”になれるよう努力しなければいけません。他国に渡って働こうとするアジア各国の人々が、どのように意思決定し、受け入れ国で、さらにどのような意思決定をしていくのか。その過程を明らかにすることこそが、外国人受入れ問題で揺れている日本に対し、私が貢献できる学問の力だと考えています」
教員紹介
Profile
浅井 亜紀子教授
Akiko Asai
山口県生まれ。東京女子大学文理学部英米文学科卒業後、富士ゼロックス株式会社(現:富士フイルムビジネスイノベーション株式会社)に入社。1988年にはサンフランシスコ州立大学修士課程(スピーチ・コミュニケーション専攻) 異文化コミュニケーション専攻修士課程に入学し、1991年に同課程を修了して帰国。桜美林大学での非常勤講師を皮切りに、大学教員としてのキャリアを歩み始める。2004年にお茶の水女子大学大学院 人間文化研究科 人間発達学専攻 博士課程を修了。2019年には「職業アイデンティティ・ショックと対処方略-来日インドネシア人看護師候補者の自己をめぐる意味の再編過程」で第11回日本質的心理学会の学会賞を受賞。2021年より「JICA緒方貞子平和開発研究所(JICA緒方研究所)」の「海外労働希望者の国際移動経路と経路選択メカニズムに関する研究」に参画するなど、活躍の幅を広げている。
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