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書き言葉(文語)と話し言葉(口語)が大きく異なるアラビア語の「二層性」に着目
主な研究領域はアラビア語の「音韻論」
エキゾチックな文字が特徴的なアラビア語。現在は、北アフリカから中東、アラビア半島にかけての20か国以上の公用語で、3億人以上が日常的に使用している。アラビア語はもともとアラビア半島のメッカの商人や砂漠の遊牧民として暮らしていたアラブ人たちの言葉だった。7世紀にメッカでイスラム教が生まれ、その信者たちが、アラビア語とともに世界へ広がっていった。そんなアラビア語に惹かれ、学生時代から現在に至るまで研究を続けているのが、大学院国際学術研究科の長渡陽一特任准教授だ。
「私の専門は言語学で、院生の時は、なかでもアラビア語の音韻論、要は発音のことですが、その歴史をメインで研究しました。つまりアラビア語の発音がどう変化してきたのかを理論的に明らかにする研究分野です」
アラビア語は特に「文語」と「口語」の違いが大きい
前述の通り、アラビア語は北アフリカからアラビア半島まで実に広範囲で使われている。各地域で話されている「口語」アラビア語は、共通点も異なる点もあり、これらがいつ頃、どのようにして今の姿になったのか……それが長渡特任准教授の主な関心事だ。研究対象となるのは「口語」アラビア語。そして、この「口語」アラビア語と、書き言葉である「文語」アラビア語との関係だという。
「私の大きな関心領域は『言語の二層性(多層性)』です。これは、家族や身近な人どうしで使う言葉と、公式な場面で使う言葉に違いがある状態を指します。日本でも例えば関西地方の話し言葉は学校の教科書では使われません。『おとんとおかんがケンカしよった』という内容は、『お父さんとお母さんがケンカしていました』と書きなさいと指導されます。関東以外では身近な人と使う言葉と、公式の言葉とは違うわけです。アラビア語が特殊なのは、この公式な言葉で話している地域が、どこにも存在しないということです。日本では関東周辺の言葉をもとにして標準語を決めたので、関東周辺へ行けば、作文で書く言葉と、ふだんの生活で話す言葉がほぼ同じです。ところがアラビア語では、いわゆる標準語を生活で話している地域がありません。アラビア語の標準語は、ニュースや国際会議では話されていますが、基本的には本や新聞、学校のレポートなど読み書きのみで使う言葉なので、私は書き言葉『文語』と呼んでいます。この状況はアラビア語の学習者にとって、非常に言語習得が困難です。なぜかというと、読解や作文が完璧でも会話はできず、会話が完璧でも本や新聞は読めないので、結局2つのアラビア語を学ばなければならないのです。私は、アラビア語を学ぶ時には、まず先に話し言葉『口語』を学んで、次第に文語も学んでいく方法を提案しています」
文語と口語の使い分けの背景にある
アラビア語圏の人々の心理や文化に迫る
アラビア語の学習は、異なる2言語を学ぶような感覚だという。そのため、アラビア語圏では、文語を読めない人も少なくない。
「アラビア語の二層性に関する研究では、私は映画シナリオや子ども用の雑誌などをコーパス(実際に使われた言語のデータ集)として分析しています。こうした調査・分析から文語と口語の使い分けの社会的文脈を読み解けるのではないかと考えています」
長渡特任准教授が、研究事例として挙げてくれたのが、『テロリズムとケバブ』(1993年)というエジプトのコメディ・社会風刺映画のシナリオを使ったコーパス分析だ。アラビア語の映画は、口語体でシナリオを作成する。その中で使われている口語の単語で、文語体にも同じ単語があるかどうかを調べた結果が以下の図1になる。
分析結果を見ると、口語の単語のうち69%、7割くらいは文語にも同じ単語があることがわかる。ただし、この共通の単語であっても発音には違いがあって、学習者は容易には聞き分けられないし、発音し分けられるようになるには訓練が必要である。またこのほかに文法の違いもある。
「映画のシナリオから口語と文語が、どのような社会的背景から使い分けられているかが見えてきます。例えば、『テロリストとケバブ』では、自殺を決意して母親宛ての遺書を書く男性が登場します。親しい相手に宛てた遺書ですから最初は口語で書き始めましたが、感極まって来て荘厳に書こうとして文語になっていきました。ここから、重みを出す際には文語を用いることなどが見えてきます」
大学ではアラビア語を専攻
謎めいたアラビア文字を読んでみたかった
きっかけは、「謎めいた文字を読みたい!」という高校時代の思いだった。韓国語などは独学でも読むことはできそうだが、アラビア語は大学で学ぶしかなさそう……。そう考えた長渡特任准教授は、東京外国語大学に進学し、アラビア語を専攻した。しかし、実際に学んでみるとこれがなかなか難しい。その原因を考え、ここで文語と口語の違いを思い知る。しかし、卒業後もアラビア語との関係は続いていく。
「大学卒業後は、就職せずに中東のシリアに行きました。アラビア語の口語を学びたいという気持ちが強かったのです。当時、日本では口語の情報はほとんどなく、ネット動画もありませんでしたから、直接行くしかありませんでした。留学していた友人の紹介で現地の人と知り合い、シリアの口語アラビア語を学びました。1990年代前半当時、シリア周辺は大きな戦争はなく、シリア国内のパルミラ遺跡、隣国ヨルダン、パレスチナなども観光し、ガザ地区も訪れました。現在の状況からは想像もできない状況でしたね」
「地理言語学」の国際プロジェクトに参加
シリアから帰国後、9年ほど社会人を経験した長渡特任准教授は、言語学を本格的に研究する決意をする。そこで母校である東京外国語大学の大学院でアラビア語研究で修士号、博士号を取得。博士課程では、アラビア語の音韻変化や方言間の体系差に関心を持ち、特に発音がどのように歴史的に変化してきたのかについて論文にまとめた。その後、東京外国語大学、東京国際大学、東京都市大学などでアラビア語や言語学の非常勤講師を務めた。桜美林大学には2006年から非常勤講師として勤め、2021年から現職に就いている。
「博士課程修了後、2010年代には、『地理言語学(Linguistic Atlas)』の国際プロジェクトに参加しました。私はこの中では、アラビア語、ヘブライ語のほか、エチオピア諸言語や南アラビア諸語などを含むセム諸語を担当しました。このプロジェクトは、アジア・アフリカ地域において、例えば『鉄』『太陽』『米』『風』といった語彙、文法項目などがどこでどのような語形が使われているかを調査して言語地図を作成し、分析するものです。例えば、『鉄』という単語の分布を見ると、アラビア語の「ハディード」は「鋭い」から派生した単語なのですが、これは周りのセム諸語、メソポタミアのアッカド語の「パルズィル」、古代フェニキア語や旧約聖書ヘブライ語の「バルゼル」と違っているので、アラビア語だけで発達させた単語であることがうかがえます。このように地図上で分布を可視化すると、各言語のいろいろな単語がどのような歴史的背景で形成されたかを推測できる、非常に興味深いプロジェクトです。」
「外国語学習におけるカナの有効性」を主張
日本人はカタカナを活用することで、
外国語の音声にスムーズにアクセスできる
現在は、語学教師としての経験を活かし、外国語教育の研究にも力を入れている。近年、長渡特任准教授が語学教育の現場で主張しているのが、日本語話者にとっての「外国語学習におけるカナの有効性」だ。特にアラビア語や韓国語を例に挙げ、初学者が目標言語をカナで覚えることが音韻習得および文字習得に有効であることを明らかにしようとしている。
「英語や韓国語の学習において、カナは悪者にされがちです。しかし、日本人にとってカナは『音』そのものなんです。外国語の微妙な発音は、先生がどんなによく聞けと言っても、カナに還元されて聞こえているんです。ですからまずカナから出発することが必要なんです。また、カナを使うと、外国語の音に直にアクセスできるんです。近著であるアラビア語学習書『ゼロから1人でアラビア語』(あさ出版)では、初学者がアラビア文字を学ぶ前に、まずカタカナで、つまり音からアラビア語を直に学ぶステップを提案しています。韓国語の文字、ハングルは、アラビア文字に比べればハードルは低いですが、それでも初学者にはなかなか大変なものです。しかもハングルは、語頭にあるのか母音の間にあるのかなどによっても音が変わりますから、単語を音として覚えない限り初学者は正しく読めません。そして何よりも、外国語をまずカナで覚えることで、外国語が、文字ではなく『音』なんだと思えてくると確信しています」
最終的な目標は「言語の二層性」の謎を解明すること
同時に研究者としては、「言語の二層性」について引き続き探究していく。文語と口語がどのように区別され、あるいは融合し、言語使用の場面に応じてどのように使い分けられているのか……。話し言葉を文字化したシナリオ、SNSなどで使われているさまざまな言語サンプルを集めて分析し、そこから言語の姿を理論化したいと考えている。
「文語と口語という『言語の二層性』の具体的な姿を解明するのが私の研究者としての最終的な目標です。今後も、この中で明らかになっていくことを語学教育にも生かし、研究と教育の両輪を大切にしていきたいと考えています。」
教員紹介
Profile
長渡 陽一特任准教授
Youichi Nagato
1991年 東京外国語大学アラビア語学科卒業。地域労働組合勤務を経て、2002年 東京外国語大学大学院地域文化研究科修士課程修了。2005年同博士課程修了。博士(言語学)。東京外国語大学、東京国際大学、東京都市大学などでアラビア語、言語学の非常勤講師を経て、2021年より現職。過去にNHKラジオアラビア語講座「アラブの国々を旅しよう!」講師を担当。『ゼロから1人でアラビア語』(あさ出版)、『ニューエクスプレスプラス エジプトアラビア語』(白水社)、『はじめてみようアラビア語』(ベレ出版)、『初級を卒業した人のための韓国語文法』(ナツメ社)、『韓国語単語550』(三省堂)、『韓国語の抑揚と発音トレーニング』(HANA)など著書多数。
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