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    経営学MBAコース

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    マネジメントプログラムマネジメント領域

北村 佳之 教授

Yoshiyuki Kitamura

北村佳之先生がインタビューに応じている様子
  • 日本銀行金融機構局金融高度化センターで地域活性化に取り組む
  • 47都道府県226市町村を訪れ、地域の本音を引き出す
  • 公民連携、地域の所得向上、人口減少の鈍化を並行して進める
北村佳之先生がインタビューに応じている様子

日本銀行金融機構局金融高度化センターで
10年以上にわたって地域活性化に取り組んできた

「PPP/PFI」の重要性とその限界

2005年に設立された日本銀行金融機構局金融高度化センターは、金融技術やリスク管理の高度化などに対応し、金融機関が金融仲介機能をより有効に発揮できるよう、実務面から支援・推進する役割を担っている。

設立当時は、計量的手法を通じた「金融機関のリスク管理の高度化」を推進する取り組みを行っていたが、大学院国際学術研究科の北村佳之教授が同センターに配属された2008年頃からは、地域金融機関による地域の産業・企業への資金供給の円滑化にも目配りするようになっていた。

「人口減少に加え、地方から都市部への人口流出が進めば、地域経済はさらに疲弊します。地域経済を経営基盤とする地域金融機関の存立にも関わる問題です。そのため、地域活性化に資する金融機関の取り組みを後押ししていく必要がありました」

2010年代に入ると、公民連携の重要性が高まり、2014年からは「PPP/PFI」をテーマとした金融機関向けセミナーの企画を北村教授が担当することになった。PPP(Public Private Partnership)は民間資金やノウハウを活用した公共サービス提供の枠組みであり、PFI(Private Finance Initiative)はその手法の1つとして、公共施設の設計・建設・維持管理・運営などを民間企業が一体的に複数年契約で担う手法である。

「当時、この分野は建設業界やコンサルタント業界の関係者が中心となって主導していましたが、金融業界の専門家は少なく、金融面からの分析や提言は十分とは言えませんでした。そのため、ファイナンスの観点から説明を求められる場面が増えていきました」

PPP/PFIは、公共事業を包括的に民間へ委ねることで、コスト削減や公共部門の職員不足や最新技術に関する知見不足の補完、さらにはサービスの質向上を目指す取り組みである。従来、公共部門が行ってきた仕事の一部を民間企業が担うことになるため、とくに地域企業のビジネスチャンスの拡大にも期待が寄せられている。しかし一方で、その限界も痛感させられるようになったと北村教授は語る。

「PPP/PFIだけで地域活性化が進むわけではありません。地域には多様な産業があり、公共部門の改革だけでは不十分です。一次産業や観光、建設・土木なども含め、地域全体の生産性、そして所得を底上げしていく視点が不可欠です。PPP/PFIはあくまで数ある施策の一つに過ぎないのです」

47都道府県226市町村を訪れ、地域の本音を引き出す

北村教授がとくに注力してきたのは、地域経済に大きな比重を占める一次産業、観光業、建設・土木業だ。なかでも観光業は、地域内での経済循環を生みやすい産業として位置づけられ、「観光立国推進基本計画」(国土交通省・観光庁)でも、「成長戦略の柱であり、地域活性化の切り札」と位置づけられている。

「2010年代はインバウンド需要が拡大しつつありましたが、恩恵を受けていたのは東京や大阪、京都、富士山周辺などの観光地に限られていました。インバウンド増加による経済効果は、他の地域にはなかなか波及しませんでした」

さらに、地方の観光業では人手不足が深刻化していた。長時間労働や低賃金といった構造的課題が若年層の就業を遠ざけ、産業の持続性そのものが揺らぎ始めていた。加えて、旅行スタイルの変化も大きな課題となった。団体旅行中心から個人旅行へとシフトする中で、多くの旅館やホテルは大広間や宴会場など従来型の設備を改修できずにいた。十分な収益が確保できず、過去の設備投資で背負った債務の返済が進まないため、新規の融資を得られない。そのため、個人客向け設備への改修や耐震改修なども含む設備投資に踏み切れず、施設の老朽化も進み、さらに集客力が低下する。いわば負のスパイラルに陥っており、この問題は現在も続いている。

「公的な補助金だけでなく、民間金融機関にも、観光業支援の余地は大きいと考えています。単に資金を供給するだけでなく、DXの推進による生産性向上や労働環境の改善、さらには地域内の事業者の集約化・経営統合などを通じた規模拡大への支援など、“知恵を貸す”役割が求められているのです」

地域の金融機関は、多様な業種の企業と日常的に接点を持ち、情報が集まる立場にある。しかし、その情報が十分に活用されていないという課題がある。こうした状況を踏まえ、北村教授は日本銀行主催の「地域活性化ワークショップ」を通じて、成功事例や課題の共有を促進。金融機関同士の横断的な学びの場づくりにも取り組んできた。

「47都道府県226市町村を訪れ、自治体、地域企業、金融機関と直接向き合い、対話を重ねてきました。インターネット上の情報や書籍だけでは見えない現実があります。現地に足を運ばなければ、利害関係が複雑に絡み合う地域の実情や、うまくいっていない事例は見えてきません。表に出てくるのは成功事例ばかりですが、それをそのまま他地域に当てはめても機能するとは限らないのです」

日本銀行の本店から地方の現場に赴くため、当初は警戒されることも少なくなかったというが、対話を重ねる中で徐々に本音が出てくることを実感していたという。

「話をしていくうちに、『実はこういうことで困っている』という声が出てくる。そうした表に出てこない情報こそが重要です。そして、『その課題であれば地域の金融機関が支援できますよ』といった具体的な示唆も可能になる。実際には、『こんなことまで銀行に相談してよいのか』とためらっているケースが非常に多いのです」

公民連携、地域の所得向上、人口減少の鈍化を並行して進める

観光地経営の現場では、観光まちづくり法人(DMO)などが中心となり、地域の旅館やホテルから宿泊データを収集・分析し、リピーター獲得に向けた施策を展開する取り組みが進められているという。しかし実際には、自社の重要なデータを外部に提供することへの心理的な抵抗が根強く、施策が停滞するケースも少なくない。

こうした局面で機能するのが、地域の金融機関の存在だ。DMOの担当者と一緒に金融機関の職員が同行し説明を行うことで、事業者の受け止め方は大きく変わるという。

地域における信頼の厚さを背景に、「銀行や信用金庫が関与するのであれば……」と協力に踏み出す地域企業も多く、結果として地域内の事業者による協力が進み、地域経済の好循環につながる事例も、中心市街地活性化や地域公共交通の活性化などでは、実際にみられている。

「DMO側には金融機関に支援を求める発想がなく、金融機関も依頼がなければ課題の存在を認識できず、動けないというミスマッチがありました。また、都市部のスタートアップが地方に新しい技術やビジネスモデルを持ち込もうとしても、地域社会での認知度が高くなければ、なかなか受け入れられにくい。そうしたとき、金融機関が伴走するだけで、地域側の受け入れ方は大きく変わります」

観光業が抱えている構造的な問題は、一次産業などにおいても同様だという。後継者不足や耕作放棄地の問題に対し、金融機関が起点となって人材・農地・販路のマッチングを行ったり、さらには設備投資や経営効率化、経営規模の拡大などに向けた具体的な提案を行ったりする取り組みが求められている。

「DXに取り組もうとしている農林水産業の現場では、どの製品や技術を導入すべきか判断が難しいケースも多いです。金融機関が情報を整理し、適切な選択肢を提示することで、スタートアップとの橋渡しなども可能になるでしょう」

こうした取り組みを踏まえると、地域活性化の方向性は大きく3つに整理できると北村教授は語る。第一に、公民連携を通じて地域インフラを維持・再生し、公共施設、上下水道・浄化槽、港湾、道路・橋梁、地域公共交通、地域医療といった生活基盤を支えることで、「住み続けられる地域」を実現すること。第二に、域外需要の獲得と地域内での経済循環の強化を通じて、住民の所得水準を引き上げること。第三に、これらの取り組みを通じて都市部、とくに全国で最も出生率の低い東京への人口流出のペースを緩和し、日本全体の人口減少に歯止めをかけることである。

これらは個別に進めるのではなく、相互に連関させながら並行的に推進していく必要がある。そのためには、現地に足を運び、多様なステークホルダーと対話を重ね、地域ごとの課題に即した解決策を導き出すことが不可欠となる。

「この10年を振り返ると、補助金を受けた事業者側も、それを十分に活用しきれず、目標達成に向けた具体的なプロセスを描けていないケースが少なくありませんでした。本来であれば、そこに金融機関が寄り添い、事業者の様々な経営課題の解決に向けて、きめ細かな伴走支援を行うべきでしたが、必ずしも十分ではなかったのが実情です」

今後求められるのは、「お金だけでなく知恵も貸す」金融機関、制度設計や初期支援を担う行政、挑戦意欲を持つ地域企業、そして高度な技術やノウハウを有する都市部の大企業やスタートアップ企業、これら4者が有機的に連携する枠組みである。

「地域活性化に向けた各種のワークショップやプラットフォームを構築し、相互の知見を結びつけることで、地域企業の生産性向上(経営規模の拡大、DXの導入、データに基づく経営)を実現していく。その積み重ねこそが、地域経済の底上げと人口減少の鈍化につながると考えています。その中心として金融機関の役割が求められています」

金融機関の内部変革も大切

地域活性化を本格的に進めるためには、金融機関の意識転換も不可欠だという。企業の資金需要が弱く、マイナス金利政策が続いていた時期には、金融機関の側には、「資金を借りてもらっている」「地方債を買わせてもらっている」という意識が強く、仮に自治体の施策に課題があっても、踏み込んだ意見を言えていない場合も少なくなかった。

「企業の資金需要が回復し、金利も上昇傾向にある現在では、自治体の持続可能性向上も見据えて、『ここは改善すべきではないか』と率直に提言していくべきだと考えています。それができる立場にあるのは、ステークホルダーとして、資金面で関与している金融機関のみです」

さらに、地域活性化を推進するうえで、金融機関内部の組織運営にも課題があると北村教授は語る。典型例が銀行の人事ローテーションだという。多くの金融機関では、不正防止の観点から2〜3年ほどで異動が行われるが、その結果、専門的な知見や地域との関係性が十分に蓄積されない。

「2〜3年で担当者が替わってしまえば、ノウハウも蓄積しません。私自身、金融高度化センターに長く在籍したからこそ知見が深まり、踏み込んだ提言やアドバイスができるようになりました。地域活性化のように中長期で成果を問う分野では、継続的に関与できる体制が不可欠です」

地域活性化は短期間で収益に結びつきにくく、地域振興関連部署は、組織内では「成果が見えにくい部署」と見なされがちだ。その結果、モチベーションの低下した担当者が異動を望み、取り組みが継続しないという悪循環が生じるケースも少なくない。

「だからこそ、経営トップが『地域金融機関のパーパスとして、腰を据えて、しっかりと長期的に取り組むべき重要なテーマだ』とのメッセージを組織内に向けて明確に発信する必要があります。短期的な収益だけで評価するのではなく、『どのような理由から地域金融機関が設立され、誰に必要とされ、これまで存続できてきたのか。その本質を大きく変えてしまってよいのか』といった点をよく考え、『今後の地域金融機関の在り方』を組織としてどう位置づけるかが問われていると思います。もちろん、営利企業である以上、利益確保は不可欠であり、そのためには都市部での融資拡大も選択肢のひとつです。一方で、いくら資金需要が多いからといって、首都圏以外の地域金融機関が本店や営業基盤の主軸を東京に移転できるのでしょうか。」

高校時代からの夢だった
日本銀行でさまざまな業務を担当

テレビドラマをきっかけに金融の世界に関心を持った経緯について語る北村佳之先生

テレビドラマをきっかけに金融の世界に関心を持った

北村教授が金融の世界に関心を抱いたのは、高校2年生の頃。きっかけとなったのは、当時再放送されていたNHKドラマ『男子の本懐』(初放映:1981)だった。第一次世界大戦後の構造不況に直面した日本において、金解禁と緊縮財政を断行した首相・浜口雄幸と、日銀総裁を経て蔵相を務めた井上準之助の姿を描いた城山三郎氏の小説を原作とする作品だ。このドラマを通じて、日本銀行が担う役割を初めて肌感覚として理解したという。

「マクロ経済全体を見渡しながら、国民生活の安定に貢献できる仕事だと知り、強く惹かれました。日本経済新聞を毎日読むようになり、独学で経済・金融を学び始め、大学に入学した当初から、金融政策や財政政策など、マクロ経済に関わる分野に関心を持っていました」

大学時代は、ちょうどバブル景気の只中にあった。消費者物価は比較的安定していた一方で、土地や株式といった資産価格は急騰を続けていた。社会全体が過熱するなかで、その状況には違和感を抱きつつ、自分もその渦に巻き込まれていった。

大学2年次に、経済学者・島田晴雄教授の講義を通じて、その関心がさらに具体化していった。初回講義の中で提示された「土地価格の高騰をどう捉えるべきか」という問いに対し、多くの学生が「地価は下がるべきだ」と答える中、北村教授は別の視点から考えていた。

「銀行は土地を担保に融資を行っています。急激に価格が下落すれば、不良債権が発生し、金融機関の経営破綻を通じて、金融システムそのものに影響が及ぶのではないかと考えていました。そんなことを授業の中で発言したら、他の学生には不評でしたが、島田先生にはご評価をいただき、この一件をきっかけとして島田先生とお話しする機会が増え、ゼミナールでも島田先生のもとで学ぶことにしました。島田先生のご薫陶が無ければ、現在の私は存在していませんでした」

そして大学卒業後、かねてから志望していた日本銀行に入行する。採用人数は限られていたが、その一員となれた喜びは大きかった。日本銀行は金融機関への考査(立入調査)を行うが、配属当初はその準備業務を担当。新入行員としての業務の中心は資料のコピーなど、基礎的な作業だったという。

「最初は単調な業務に、せっかく日本銀行に入行したのにこれでいいのだろうかと戸惑いもありましたが、扱う資料には重要な情報が数多く含まれていました。手元に残すことはできなくても、目を通すことはできる。その時間を無駄にせず、知識を吸収しようと考えるようになってから、仕事の見え方が変わっていきました」

そして、福島支店に配属。約1年半にわたり実務を幅広く学んだ後、企画局に異動し、政策広報を担当した。マスメディアへの対応や、記者会見の運営にも携わった。

「取材依頼があれば関係部署と調整し、インタビューの場を整える。総裁記者会見では準備から当日の運営まで関わり、会見にも同席していました。当時は金融危機の兆しが見え始め、地方銀行のほか、信用金庫、信用組合、農業系統金融機関など中小金融機関の経営不安も取り沙汰されていた時期です。日本銀行の対応に注目が集まり、広報の役割も非常に重要でした」

国際局、調査統計局などを経て、金融機構局へ

企画局で広報業務を経験した後、北村教授は国際局へ異動した。ここでは、米国のニューヨーク連邦準備銀行を含む海外の中央銀行との取引業務に携わっていた。業務は為替や資金取引にとどまらず、日米の金融政策とも密接に関わるものであり、また、米ドルを中心とする国際通貨制度の在り方などについては、経済合理性だけでは割り切れない判断の難しさを実感したという。

「国際局に在籍していた時期に、バブル経済が本格的に崩壊し、金融危機へと発展していきました。日本の金融機関に対する国際的な信用は急速に低下し、海外からドル資金を調達する際には、日本の金融機関だけが上乗せ金利を求められる、いわゆる“ジャパン・プレミアム”が発生していました。資産価格の下落は連鎖的に金融機関の経営を圧迫し、不良債権問題も深刻化。北海道拓殖銀行、山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、といった大手金融機関や地域金融機関の破綻も相次ぎ、金融システム全体が揺らぐ局面を目の当たりにした時期でした」

国際局後半では国際収支課に所属し、貿易収支の分析に従事。個別企業の取引データに踏み込んで分析することで、日本経済の実態をミクロの視点から捉えられたという。

「当時、『その他電気機器』という分類の輸出が伸びていたのですが、その内訳を詳しく追っていくと、半導体検査装置など関連機器の輸出が拡大していることがわかりました。データを丁寧に読み解くことで、産業構造の変化が見えてくる。その面白さを強く感じました」

その後、調査統計局に異動し、政府統計の質向上に関する業務を担当。日本銀行が景気判断を行ううえでも政府の統計は基礎となる。その信頼性を高めるため、調査手法の改善や制度面での提言を行っていた。

「当時は、回答の偏りなどにより統計が実態を十分に反映していないのではないかと懸念されていたケースもありました。たとえば、もし、家計調査で回答者が特定の層に偏っているのだとしたら、実態とは異なる結果になってしまう。そうした問題点の有無を洗い出し、改善策を政府に提案していました」

企画局、国際局、調査統計局と、おおむね3年ごとに異動しながら経験を重ねた後、システム情報局での勤務を経て、金融機構局へと配属される。金融機構局では、地域金融や金融仲介機能の高度化、そして地域活性化といったテーマに長期的に取り組むことになった。

「地域活性化は短期間で成果が出るものではありません。だからこそ、上司を通じて人事部署にも粘り強く繰り返し希望を伝え、できるだけ長く関われるように配慮してもらえたのではないかと思います」

結果として、金融機構局金融高度化センターで、通算約10年にわたって、金融仲介機能の高度化に携わった。継続的な関与を通じて、地域金融の課題に対し中長期的な視点から取り組む基盤を築いていくことができた。

地域のために何ができるのかを考える力を育てたい

キャンパス内で腰掛ける北村佳之先生

日本銀行時代にできなかったことを実践していきたい

現在、活動の場を大学へと移している北村教授。しかし、金融の専門家として地域活性化に向き合う姿勢は変わらない。日本銀行時代は、豊富な情報と高い信頼性を背景に、多くの関係者と対話する機会に恵まれていた。一方で、その立場ゆえに中立性が強く求められ、特定の地域や個別案件に深く関与することには制約もあったという。特定の地域・金融機関・企業・プロジェクトに踏み込めば、「優遇」と受け取られかねないからだ。

「大学に身を置くことで、『日本銀行の人』というイメージから少し距離が生まれる。その分、個別の地域課題により深く関わり、腹を括って、具体的かつ実現可能な支援・助言ができるようになるのではないかと考えています」

教育の現場において北村教授が重視するのは、「地域を自分ごととして捉える力」の育成だ。桜美林大学には地方出身の学生も多い。将来、東京などの都市で働くにせよ、地元に戻るにせよ、地域の課題に向き合い、解決策を構想できる視点を持ってほしいと語る。

「自分がこれまで育ってきた地方はもはや衰退するしかない、と最初から諦めてしまうのではなく、『どうすれば改善できるのか』『どこから手を打てるのか』を考えてほしい。そのための思考の枠組みを、大学で身につけてもらいたいのです」

今後はゼミナールを通じ、日本銀行時代に築いたネットワークも活かしながら、自治体や金融機関、さらには大企業やスタートアップ企業などと連携した実践的な学びの機会を広げていく構想も描いている。

「机上の理論だけでなく、 “手触りのある学び”に触れてほしいと思っています。地域で感じてきた違和感や課題意識といった暗黙知を、言語化し、整理し、可視化していく。そのプロセスを経ることで、『自分たちに何ができるのか』が見えてくるはずです」

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む北村佳之先生

北村 佳之教授

Yoshiyuki Kitamura

1967年生まれ、神奈川県出身。1990年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、日本銀行入行。企画局、国際局、調査統計局などを経て、2008年から金融機構局金融高度化センター企画役。「PPP/PFI(公民連携事業)」による地域インフラの維持・再生、観光産業や一次産業の生産性向上など、地域金融機関の経営基盤強化につながる地域活性化の取組みを支援してきた。2021年4月より、桜美林大学非常勤講師を兼職。2023年9月、東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻修了(経済学修士)。2024年9月より、同専攻の客員教授を兼職。2026年4月から桜美林大学教授。

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