相互作用する心と身体を
データ解析を用いて解明する
心と身体はつながっている?
「心身相関」という言葉がある。これは、心の状態が身体に影響を及ぼし、逆に身体の変化が心に作用することを指す。たとえば、ストレスが身体的な不調を生じさせたり、逆に、身体の問題が精神的な症状を生じさせることがある。
こうした心と身体の関係について、桜美林大学大学院国際学術研究科の鈴木平教授が修士・博士課程で行なった研究のなかに、興味深いものがある。その一つが、手の動作と心理状態の関係を探る実験だ。
実験では、実験協力者に両手を左右にゆっくりと反復開閉してもらい、その前後に多面的な心理状態を測定した。非線形時系列解析を用いて分析を行った結果、鬱の傾向が低い人の運動は規則性が高かったのに対し、鬱の傾向が高い人は運動の秩序が乱れていたということが明らかとなった。
たとえば、手の動きをゆっくりと規則的にするだけで、本人の自覚がないまま、鬱の傾向を示す数値が低下することが明らかとなった。逆に、心理状態の変化によって手の動作のあり方も変化した。すなわち、身体動作と心理状態には「原因-結果」という一方向的で単純な因果関係があるというよりは、動的相互作用による相互依存的存在・状態として捉える必要があると言える。
恩師・春木豊先生との出会いと「身体心理学」
鈴木教授が心理学の道を志したきっかけは、学部時代に受講した春木豊先生の授業だった。春木先生は「身体心理学」という分野を提唱し、身体の動きが心のあり方を形作るという考えを説いていた。その独自の視点に、鈴木教授は強く惹かれたという。
「春木先生は、心理学の研究では心に注目しがちだが、身体の重要性を忘れてはならないと常に強調していました。人間も動物から進化してきたのであり、『こころ』がある以前にまず身体が存在しているはずですよね。それを考えれば、身体が心に影響を与えるのはごく自然なことなのだと思います」
その後、鈴木教授は春木先生のゼミに所属し、学問的な指導を受けるなかで、謙虚で温かい人柄にも惹かれていった。さらに、大学院修士・博士後期課程で自身の研究テーマとなった「手の動きと心理状態の関係」における実験を行ったのも、春木先生の影響によるものだった。
「春木先生は太極拳を趣味にされていて、そのゆったりとした動きを見たとき、どこか心理学的な要素を感じました。それが、自分の研究につながる大きなヒントになったのです」
データ解析の面白さ
心を科学するとはどういうことか?
心理学は、「心と呼ばれている現象」を科学的に研究する学問である。では、「科学」とは何か。その本質は、実証性やデータ化による客観性、言い換えると皆が共通認識に至れることにあると、鈴木教授は語る。
「物理学を例に考えてみましょう。物理学では、自然界の現象や物質の性質・運動をデータ化し、そこに法則を見出して方程式化することから始まりました。それでは、"心"はどうでしょうか。私たちが心と呼ぶものには、物理的な実体がなく、測定することができないため、直接データ化することができません。これをどのように研究すればよいのでしょうか?」
この問題に対して、歴史的に以下のようなアプローチが取られてきたという。一つは、身体の生理的変化や行動に注目し、間接的に心にアプローチする方法である。動物や人間の行動を測定、分析する考え方は「行動主義心理学」として知られている。もう一つは、感情や思考、認知など、いわゆる「こころ」と呼ばれる現象を間接的にデータ化する方法だ。心理テストを通して数値化し、統計的に分析することでこころと呼ばれる現象を浮かび上がらせることがある程度可能になる。
「たとえば、ストレスへの反応は人それぞれですが、大規模なアンケートを収集・分析すれば、いくつかの共通するパターンが見えてきます。心を直接測定することはできなくても、統計的手法を用いることで、間接的にその実態を明らかにすることが可能なのです。だからこそ、心理学において統計学は非常に重要な役割を果たします」
シンクタンクの研究員として働くなかで統計スキルを身につけた
鈴木教授が統計学の重要性を強く認識したのは、学部時代に「タイプA行動パターン」の研究に取り組んでいたときだった。タイプA行動パターンとは、競争心が強く、仕事に没頭し、攻撃的でイライラしやすいといった特徴を持つ行動様式で、循環器系疾患と関連するという研究が注目を集めていた。
「タイプA行動パターンの人は、非常にアグレッシブで、一生懸命働くため、社会で成功しやすい傾向があります。しかし、その反面、この傾向が生活習慣として長期的に続くことが副交感神経機能の低下を起こすことなどから、健康リスクを抱えやすいことが知られています。本当にこの行動パターンが健康リスクと関連するのかを検証するため、病院で調査研究を実施しました。」
調査では、「どんなときにイライラしやすいか?」「競争するのは好きか?」「列に並ぶのが苦手か?」「休日もつい仕事をしてしまうか?」といった質問を用意し、得られたデータを因子分析して心理尺度を作成した。心理尺度とは、抽象的な概念を定量化する心理学における「こころのモノサシ」のこと。そして、この心理尺度と病院の生理データを照らし合わせた結果、予想通りの傾向が見られたという。
「私が研究を実施したのは、30年以上前の話なので、現在では大学生が生理学的データを扱いながらこうした研究を実施するのは、プライバシーなどの観点からハードルが高いかもしれませんね。また、この研究を通じて、統計手法の重要性を痛感しましたが、当時の私は統計分析が未熟で、苦労しました」
統計学に本格的に魅了されたのは、大学卒業後、シンクタンクの研究員として働き始めてからだった。シンクタンクでは、企業の組織風土に関するデータ、社員の心身の健康に関する調査データなどを分析し、企業経営や組織風土の改善への提案を行なっていた。
「シンクタンクでは、統計学を専門としている石村貞夫教授の社内講義が開かれていました。先生は、難解な数式をわかりやすく説明してくれ、その授業がとても面白かったのです。石村先生は統計に関するわかりやすい本をたくさん出版されていますが、本当に面白い講義をしてくれました。石村先生の講義は今でも私の講義のお手本になっています。そして、シンクタンクで働きながらも、基礎研究の面白さに目覚め、大学に戻ることを決意しました。そこで取り組んだのが、先に述べた手の動きと心理状態の関係についての研究でした」
未知の領域に挑み、
真理に迫るのが研究の醍醐味
生体情報のゆらぎ・カオスとは何か
近年、鈴木教授は生理・行動データを用いた研究に取り組んでいる。なかでも、指尖容積脈波の非線形力学的な解析を用いて、心と身体の関係や心身の健康問題への新しいアプローチ方法について研究を行っている。
「指先の血流を測定すると、人間には機械的に予測できない“ゆらぎ”が存在することがわかります。これを学術的には『カオス』と呼びます。例えば、心電図の波形もわずかに揺らいでおり、完全に一定ではありません。むしろ、この“ゆらぎ”が少なくなると、健康状態に問題が生じている可能性が高まるのです。この生体情報の『ゆらぎ』『カオス』を非線形解析によって定量化することで、心身の健康状態を評価する手法を研究しています。最終的には、指先の血流の変化を解析するだけで、心身の健康状態の指標が得られるようなシステムの構築が可能となるかもしれません」
実際、鬱病や認知症の傾向がある人では生体情報のゆらぎが減少し、一方で健康な人では適度なカオス的ゆらぎが確認される。この差異を活かし、診断や予防の研究へと発展させられないかと鈴木教授は考えている。しかし、現時点ではまだ研究の途上であり、実用化には多くの課題が残されているため、さらに注力して取り組んでいく必要があるという。
真理(LOGOS)の探究へ -人間は神にはなれない-
「人間も含めた宇宙万物を科学的な研究の対象とするうえで、それらをデータ化し、その法則を見出そうとしてきたのが近代自然科学の歩みだったと言えるかもしれません。数学的な法則がわかれば対象の過去、現在、未来がわかる。いわば、人間は神のごとき知恵を持つ存在になれると錯覚していたのかもしれません。データ化可能な世界の探求は科学者にとって大事なことに違いありませんが、これは形而下の世界の探求と言えるでしょう。一方で、真理の探究には形而上学的な問題も忘れてはいけません」
形而下の世界の深淵に形而上学的な世界が見えてくる。これこそが研究の醍醐味だと鈴木教授は続ける。
「統計学やデータ分析を駆使すれば、ある程度の定量化は可能です。しかし、それらはあくまで人間が作り出した“モノサシ”を通して見えるようにしたものに過ぎません。実際には、目に見えない現象がその奥に広がっているはずです。それを『わからないから仕方がない』と諦めてしまうのは簡単ですが、せっかく研究の場に身を置いているのなら、それでは勿体ない。私は、未知の領域に挑み、研究の方法論を常に意識しながら真理に迫ることこそが研究の本質だと考えています」
鈴木教授が敬愛する春木先生も、常に真理を解き明かそうと挑戦を続けた人物だった。その姿勢を受け継ぎ、知的好奇心を原動力に、未知の世界へと探究を続けることこそが、自身の研究者としての在り方だと鈴木教授は語る。
教員紹介
Profile
鈴木 平教授
Taira Suzuki
大分県出身。早稲田大学人間科学部卒業、早稲田大学大学院 人間科学研究科 博士課程単位取得満期退学。博士(人間科学)。(株)三和総合研究所(現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング) 経営戦略本部 研究員、早稲田大学 人間科学部人間基礎科学科 助手などを経て、2005年に桜美林大学に着任。現在は桜美林大学大学院国際学術研究科 心理学実践研究学位プログラム教授。専門は、心理学、心理統計学、非線形科学。心と身体の相互作用などを専門に研究している。
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