脚本家としての経験と研究を通じて
魅力的な映画をつくるための要素を紐解く
“総合芸術”である映画の
構造や技法について研究
いつの時代も人々を惹きつけてやまない映画だが、私たちは作品が持つどの要素に魅力を感じているのだろうか。映画は“総合芸術”であると言われるように、ストーリー、ロケーション、俳優たちの演技、撮影の構図やカメラワーク、音楽といった多様な表現の組み合わせから構成されている。自身も主に脚本家として映画業界に携わってきた芸術文化学群の窪田信介准教授は、映画制作の仕事と並行しながら過去の映画作品で用いられた構造や技法を明らかにしている。
「映画が好きだというのは大前提として、自ら作品をつくるのか、過去作品の構造を深掘りするのか、その両面からアプローチすることが私の取り組みです。魅力的な映画を観ると、自分でも作品をつくりたくなる。しかし、実際につくってみると自分の足りないところが浮き彫りになるんです。そして、その違いはどこにあるのかを突き止めるために、また過去の作品を観て研究する。私のキャリアはこの繰り返しによって形成されてきました」
『桐島、部活やめるってよ』の
「時制」と「視点」に着目
これまで研究テーマとして取り扱ってきた作品は、『羅生門』『緋牡丹博徒 花札勝負』などさまざま。その時々で関心を持っていることと、構造を分析してみたい映画作品。両者の歯車が噛み合ったときに、研究へと食指が動くのだという。
例えば、朝井リョウの同名ベストセラー小説を映画化した『桐島、部活やめるってよ』(以下、『桐島』)の分析において、窪田准教授は作品内の「時制」と「視点」に着目した。『桐島』は、高校生たちの心情を多面的に描いた青春群像劇。ストーリーの鍵を握る中心人物についてはあえて描かず、周囲を取り囲む各キャラクターたちの視点を通じて物語の核心が見え隠れする。その構造上、同じ場面が違うキャラクターの目線から描かれるシーンも多い。窪田准教授はこの構造を「桐島モデル」と名づけ、特に多層的に描かれているシーンを抽出。「桐島モデル」がもたらす効果や表現としての限界について考察した。
「当時は同様の構造を持った作品が連続して公開されたタイミングでした。そうした作品を観ているうちに、黒沢明監督の『羅生門』との相違点があるのではないかと感じ、研究テーマとして取り扱うことを決めました」
「桐島モデル」に続いて、窪田准教授は『羅生門』の脚本についても論考を執筆している。『羅生門』の脚本は、橋本忍と黒澤明の共作によるもの。芥川龍之介の同名小説の設定を活かしつつ、同作者の『藪の中』の構造が中心に組み込まれている。最大の特徴は、ひとつの出来事について異なる人々の視点から語られるという点。これは「桐島モデル」と共通しているといえる。一方で、視点を多層的に交差させるによって謎が明らかになっていく『桐島』と、主観的な視点に加えて「神の視点」を登場させることで客観的な事実を浮かび上がらせる両者には、脚本の構成に違いが見られる。このように、映画において脚本はストーリーを形作るだけではなく、作品全体の構造自体にも大きな影響を及ぼすのだ。
映画を構造的に分析することで
本質的な魅力を知ることができる
数ある視覚芸樹(ヴィジュアル・アート)のなかでも、映画は過剰なほど物語、すなわち脚本が重視されていると窪田准教授は語る。一方で、ストーリーのみにとらわれていては、映画の本質な魅力に迫ることはできない。脚本家でありながら“脚本至上主義”を疑い、映画における物語の必然性を問い直すことが窪田准教授の実践する試みである。
「もちろん、キャラクターに感情移入したり、アクションシーンを見て手に汗を握ったりすることも映画の楽しみ方のひとつです。しかし、作品の構造や脚本の構成を理解することで、そういった“物語への没入”とは違う映画の楽しみ方が得られます。映画の “雛形”のようなものを抽出し、提示することは、ある種のハリウッド映画などでは可能だし、それは実際に作品をつくる上でも参考になります」
窪田准教授が着目しているのは、映画内を流れる時間だけではない。2時間前後で制作されることが多い映画において、一つひとつの展開にどれくらい時間を割いているのか。そうした構成を意識しながら作品に触れることで、見えてくるものもある。
「映画は19世紀末に誕生しましたが、最初は数分ていどの見世物でしかありませんでした。それが、数時間にわたって観客を惹きつけ続ける持続力を獲得することで、娯楽として発展してきた歴史があります。特にハリウッドをはじめとするアメリカ映画作品は、精密な計算に基づいた脚本が制作されています。冒頭の10〜15分で必要な情報や映画の方向性を伝え、その後も細かいセクションに区切って展開をつくる。ちょうど真ん中あたりに物語を加速させたり反転させたりするポイントをつくり、飽きさせない工夫を凝らしている。私の場合はほとんど職業病ですが、構成と時間を意識するだけでも映画を分析する力を養うことができるのではないかと思います」
監督、脚本家、プロデューサー
3者のバランスが鍵を握る映画の現場
“目の前で何が起こっているのか”を
考えることが映画分析の大前提
近年はSNSなどを通じて、誰もが映画の感想や考察を発信できるようになった。作品内に散りばめられた細かい仕掛けや構造についても、インターネットを用いれば簡単に情報を得ることができる。一方で、窪田准教授はそうした映画鑑賞のあり方に疑問を感じることも少なくないという。
「これまでの話とは矛盾するかもしれませんが、映画を観るうえで大切なのは目の前で何が起こっているのかを、映像や音楽からきちんと受け取れるかどうかに尽きると思います。スクリーンに何が映っていて、スピーカーからどんな音が聴こえているのか。それをなおざりにして全体の構成や意図を理解することはできません。つくり手としては『いい映像と音があればそれで問題ない』と思っている自分もいて、それでも作品を成立させられるような工夫を探究しているイメージです」
作品のコンセプトに寄り添いながら
自分の軸を脚本に落とし込んでいく
エンドロールを見てもわかる通り、映画の現場には多くの人々が参加している。中でも脚本づくりにおいて重要なのは、監督、脚本家、プロデューサーの3者の関係性だと窪田准教授は話す。限られたスケジュールと予算のなかで、いかにそれぞれの譲れない要素を作品に落とし込んでいくのか。それを実現するためには、互いへのリスペクトが重要となる。
「最終的には監督の判断に委ねられる部分も多いですが、もちろん自分が担当した脚本を尊重してほしいという思いもあります。その点、監督とプロデューサー、そして脚本家である私の信頼関係が成り立っていれば、気持ちのいい脚本作りになることが多い。当然、それが制作現場や作品のクオリティにも影響を及ぼします。反対に脚本づくりがうまくいかないときは、最初の打ち合わせの段階から“ボタンの掛け違い”が起こっていることがよくありますね」
話し合いによってコンセプトなどを明確にし、3者の足並みを揃えることが脚本づくりにおいては重要になる。全体の方向性を理解したうえでストーリーを紡ぐのが脚本家の主な仕事だ。窪田准教授は、自ら脚本を売り込みにいくというよりも、監督やプロデューサーから提示されたイメージに沿って内容を固めていくタイプだという。そんな中でも自分の軸を持ち続けることが、モチベーションを保つために不可欠となっている。
「自分としては、ぼんやりとしたものでも枠組みを与えてもらったほうが書き進めやすいと感じています。そして、作品に寄り添いながらも自分なりの軸を脚本に結びつけていく。そこで自分のこだわりを出しすぎてしまうと監督やプロデューサーとの折り合いが悪くなるリスクもあるので、企画の枠組みと個人の作家性のバランスを意識することは脚本家として重要だと思っています」
脚本家としてのモットーは
“人のつながり”を描くこと
基本的に脚本家が撮影現場を訪ねることは稀である。脚本を執筆しても、撮影が始まってしまえば現場とは切り離されてしまう。それでも監督との意思疎通ができていれば、最初の数カットを見ただけで自分の思いを汲み取ってもらえたか判断できるのだという。同時に、窪田准教授自身も最初の3カットを意識しながら脚本を書いている。これまで幅広い脚本を手がけてきた窪田准教授。作品ごとにテーマは異なるが、共通して軸となるのは“人と人のつながり”を描きたいという思いだ。
「映画の根底を成すのは、人と人が出会って展開が生まれる“ドラマ”の部分です。こういうと非常に劇的なものをイメージされるかもしれませんが、必ずしもドラマチックな出来事は必要ありません。むしろ私は、あまりに劇的な出来事は入れたくないタイプです。もっと単純に、人物がいてシチュエーションがありさえすれば、何かしらの出来事は起こせるし、そうすれば自然にストーリーは進んでいきます。シンプルな出来事をいかに魅力的な物語に仕立てるかをいつも考えています」
空間の立体感を表現することが
映画としての説得力を高める
当然ながら、窪田准教授はこれまで膨大な量の映画作品に触れてきた。もっとも影響を受けた監督は、と聞くと「たとえば」と前置きして成瀬巳喜男監督の名を挙げ、その空間表現についてこう語った。
「観ていて、家の間取りがわからない映画は多いです。カットごとの構図の都合だけでカメラポジションを決めていたりする。その点、成瀬の映画は丁寧に描写を積み重ねることで、観客が無意識のまま、いつの間にか間取りを理解できるように撮っている。人物が生きている空間が立体的に、空気感をともなって表現されているんですね。空間の立体感は、そのまま映画としての立体感、すなわち説得力につながると思っています」
テレビで観た映画に魅了された幼少期を経て
「映画が好き」の一心で業界に飛び込む
興味があったのは“物語”
映画と歴史が人生の指針に
窪田准教授は、幼少期のテレビ放映で映画と出会った。自宅にビデオデッキが置かれるようになると、『ダーティハリー』などの名作を録画して繰り返し観ていたという。中学、高校時代には、自ら映画館に足を運ぶように。同時に、歴史にも関心を持ち始め、大学では史学科に進んでイタリアの中世史を学んだ。
「歴史は人類が紡いだ壮大な物語なので、そこに映画との共通点があるように思います。ただ、大学にいるよりは映画館にいる時間のほうが長いような学生でした(笑)。8mmカメラの同好会にも所属し、自分で映画をつくることに挑戦し出したのもこの頃ですね」
脚本家になったのは“成り行き”
当初から変わらない軽やかな姿勢
大学に入るまではハリウッドの大作を中心に映画を楽しんでいた。映画そのものへの関心が高まったきっかけは、ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』。繊細な演出に感動し、映画の捉え方が大きく変わったという。「映画の世界に飛び込みたい」という思いが芽生えた窪田准教授は、大学を卒業するとフリーランスで現場での仕事を始めた。
「当時はバブルの絶頂期ですが就職する気はなくて、面識はなかったものの大学の先輩にあたる映画監督・榎戸耕史さんに連絡しました。とにかく映画に携わりたいという気持ちが強かったです。その頃の現場は非常に厳しい世界でしたが、すべてのスタッフが意見を持っていいという環境でもあった。たとえば、現場で脚本にセリフを足したりする”差し込み”を書かせてもらったりしました」
そんなあるとき、榎戸監督から突然「ドラマを撮ることになったから脚本を書け」と言われた。こうした“師弟制”ともいえるカルチャーが当時の日本映画には醸成されていたという。その後、脚本家として活躍するようになった窪田准教授。ただ、マインドとしては当時と何も変わらず、自分は“成り行き”で脚本家になったのだと続ける。
「信頼できる人から『一緒に仕事をしたい』と言われれば喜んでやりますし、『必要ない』と言われれば自分の興味のあることをやってみる。自分が面白いと思ったものであれば、別に脚本でなくてもいいと思っています。映画業界に入った当初から、その部分はまったく変わらないですね。大学の教員になったのも、同じく総合文化学群(当時)に映画専修が新設される際に榎戸さんに声をかけてもらったからです。
私に確固たるものがあるとすれば、『映画が好きだ』ということ。これまで自分が感銘を受けてきた映画と自分の仕事が地続きであることを意識しながら、それに恥じないような創作をしたいと考えています」
「映画を裏切りたくない」からこそ
過去から学び新しいものをつくる
近年の映画から失われつつある
“映画的身振り”
一方、自身が「たくさん映画を観てきたことからは逃れられない」と語る通り、過去の名作から受けた影響と新しい映画をつくりたいという思いの間で葛藤を感じることもある。しかし、そうした葛藤は映画をつくることでしか払拭することはできない。そうした思いから、現在は監督・脚本を手がけた新しい作品の制作を進めているという。具体的な内容に関しては語ることは難しいとのことだったが、近年興味のあるテーマから紐づけてヒントをもらうことができた。
「いま関心を持っているのは、映画における“身振り”についてです。映画では、心理的な動機から出発した俳優たちのいわゆる“自然な演技”によって、心情やシーンの意味を伝えているのだ、というのが一般的な認識だと思います。しかし、画面に映る具体的な身体の動きというものは、何も心理的な動機から出発しなければいけないという法はない。手に持っているものを置く、服を着替える、立ち止まって振り向く……。これらは必ずしも感情や心理に属してはいません。そして、こうした何気ない“身振り”を映画に導入する際には、むしろ不自然な、リアルではない動きになる場合があります。しかし、そうした“振り付け”に近い身振りこそが、心理的で自然な演技とは一線を画した、映画における本質的なアクションなのではないかと感じています」
「西部劇の神様」として名高いジョン・フォード監督の作品では、こうした“振り付け”られた映画的身振りが効果的に用いられている。ところが、彼が俳優たちに演技指導する場面はほとんど記録されていない。これは本人の意向によるものだという。俳優を魔法のように動かす監督としての手腕。自身の作品づくりを通じてこの謎に迫ることが今後の目標だ。
「『インターステラー』などで知られるクリストファー・ノーラン監督作品をはじめ、近年の大作映画ではすべての動作やセリフに必然性があり、リアルに組み立てられています。一方で、リアルではないかもしれないが、魅力的な映画的“身振り”が失われつつある。いつからそうなってきたのか、映画の歴史を辿ることで、映画から失われたものについて考えたいと思っています」
映画制作、研究、教育に通じる信念は
「目の前のものと向き合うこと」
創作と研究、そして教育を軽やかに行き来しながら、映画と関わり続ける窪田准教授。過去の監督や作品をリスペクトしつつ、目の前に映し出されるシーンの一つひとつを重視する価値観は、すべての活動に共通している。
「やはり映画に魅了されてきた人間なので、映画を裏切るようなことだけはしたくないんですよね。教育や研究についても同様で、単にカメラの使い方を教えるとか、ショット分析をするのではなく、何が見えて何が聞こえたのか、なぜこのカットなのかといった本質的なことを伝えつつ、今後も柔軟に活動を続けたいと思います」
教員紹介
Profile
窪田 信介准教授
Shinsuke Kubota
1967年大阪府生まれ。助監督、制作プロダクション勤務を経て脚本家となる。2007年に総合文化学群の講師となり、現職に至る。主な脚本作品に『深追い』(監督:榎戸耕史/2005)、『ボーイ・ミーツ・プサン』(監督:武正晴/2007)、『今夜のメニュー』(『plus one vol.3』の一篇)(監督:冨樫森/2009)、『ビート』(監督:松原信吾/2015)、『陰の季節』(監督:榎戸耕史/2016)、『息ができない』(監督:冨樫森/2021)、『ふたりごっこ』(監督:冨樫森/2023)などがある。『やがて水に歸る』(監督:榎戸耕史/2017)は日本シナリオ作家協会「2017年鑑代表シナリオ」に選出。
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