賛美歌学から見る「共同体の歌」
伝統と革新の研究
歌を通して共有される思想と音楽
「歌」は、最も身近な音楽表現のかたちのひとつだ。人類の歴史のなかで、さまざまな歌が生まれ、歌い継がれてきた。なかには、何百年もの時を越えて受け継がれてきたものもある。その代表例が賛美歌である。賛美歌とは、キリスト教において神への賛美や感謝の思いを歌に託した教会音楽であり、特にプロテスタント教会では、一般会衆が共に歌うことが重視されてきた。礼拝はもちろん、結婚式や葬儀など、多様な場面で歌われている。芸術文化学群の植木紀夫教授は、この「賛美歌学」を専門とし、長年にわたりその研究と教育に取り組んできた。讃美歌に特化した研究者は国内でも数少なく、とりわけ首都圏において植木教授の存在は極めて貴重である。
「賛美歌は神への賛美を表現する歌、または信仰の詞、と言うことができるかと思います。それらを『歌う主体』という視点で考えると『共同体の歌』だということです。必ずしも発声や発語の訓練を受けた人たちが歌うものではなく、一般の人々が集まって共に賛美歌を歌う。そこには思想があり、お互いのアイデンティティを確認する役割があります」
この「共同体の歌」という視点は、賛美歌だけでなく唱歌や校歌、国歌など、1つのコミュニティを共有している人々が歌うものにも当てはまるという。そのなかでも、植木教授は特に明治時代に西洋から日本へ輸入された「唱歌」と「賛美歌」の関係に注目している。
「日本での唱歌は19世紀にある日突然、歌われ始めました。これは明治政府の使節団が西洋を視察して、近代国家形成のために唱歌が役立つと考えたからです。たとえば、多くの人が学校で歌ったことのある『蛍の光』や『仰げば尊し』、『ふるさと』といった唱歌も、明治期に西洋の民謡や賛美歌をプラットフォームにしてつくられたもの。音楽的にはプロのためにつくられたものではなく、共同体が自分たちの共通性を確認することを目的に歌われます。この賛美歌研究と唱歌の研究は立体的につながっていて、日本における西洋音楽の教育の原点を探ることにもなるのです」
植木教授は、ドイツと日本を行き来しながら賛美歌の研究を続けており、2019年にはサバティカル(研究休暇)を得て、ドイツのマインツ大学の賛美歌研究所で10ヶ月間の研究活動を行った。マインツ大学はドイツで唯一、賛美歌学の研究所がある大学。植木教授はプロテスタントだが、マインツはカトリックの町だ。そこで40年ぶりに改定されたカトリックの賛美歌集についても研究した。また同年に短期間、ドイツ人よって1907年に創立された上海の同済大学のドイツ研究所で、青島という地域におけるドイツ、日本、中国の文化的交流と賛美歌・唱歌の伝播についても調査。歴史的背景を踏まえた国際的な視点から行われるこれらの研究は、植木教授ならではのアプローチだ。
伝統から現代へ。コンテンポラリーな教会音楽にも挑戦
一般的に教会音楽と聞くと、バッハなどの古典的なバロック音楽を思い浮かべるかもしれない。しかし、植木教授の研究は伝統だけでなく、現代における教会音楽の新たな展開にも及んでいる。
「近年取り組んでいる研究テーマとしてはプレイズ・アンド・ワーシップ、つまり『現代の礼拝におけるポップス』があります。賛美歌には教会で厳かに歌うイメージがあるかもしれませんが、最近の若者たちは現代的な礼拝音楽、コンテンポラリー・ワーシップ・ミュージックという音楽スタイルを取り入れています。教会音楽におけるそうした新しい動きにも、共同体の歌としての評価が求められます」
ロック、ポップ、ヒップホップなども含まれる現代的なスタイルで実施される教会音楽のフェスなどにも参加し、実際の現場を通じて研究を続けている植木教授。「61歳の自分には挑戦です」と笑うが、時代の変化と向き合う姿勢は研究者として重要だと考えているという。
「時代の流れとともに音楽の表現は変わっていいと思っています。バッハは素晴らしいですが、その時代において意味があったものがそのまますべてが現代に通用するわけではありません。思想を伝えるために変わらず引き継いでいくものと、表現するために変化させていくもの、その見極めが必要です」
教会音楽の専門家として
日本の音楽教育に新たな視点を
ドイツで磨いた教会音楽家としての力
植木教授が教会音楽や賛美歌学を専門にするきっかけになったのは、ドイツへの留学だった。東京藝術大学の声楽科を卒業し、学校の教員をしながら声楽家として活動した後、1993年に29歳でドイツにあるヴュルテンベルク州教会立教会音楽大学へ。当時は、結婚したばかりで蓄えはわずか。現地では日本で修めた声楽科卒の学位は、教会音楽学位としては当然認められず、ギムナジウム(ドイツの中等教育機関で、大学進学を前提とした7年制または9年制の学校。日本の中学・高校に相当する)を出た19歳の若者たちとスタート地点から学び始めることになった。
「彼らは19年間、ドイツの音楽的伝統の中で育ち、無意識のうちに歌、そして現地の音楽文化・伝統の中に浸かってきているわけです。彼らは『この賛美歌を即興しなさい』という課題を受けて、それぞれに表現することができる。一方、私は彼らとは異なり文化的な蓄えが乏しく、それを意識的に獲得していかなければならない。 ドイツ語は学んで留学しましたが、現地で教会音楽の学びを始めたとき『ラテン語も必要だった』という事実に気づく。10歳下の同級生たちは、ラテン語、フランス語まで習得済だったりする。一緒になって学ぶなかで、文化の厚みを感じていました。それはネガティブな嘆きではなく、自分は『自分の身の丈から始めるしかない』という前向きな思いにつながっていく経験でした」
一般的なタイミングとは異なる時期に留学という道を選んだ植木教授。その決断には、明確な使命感があった。
「私は高校生のときに洗礼を受けたプロテスタントのクリスチャンです。なぜ30歳を目前に留学したのか……キリスト教的に言えば、『ドイツで学び、日本に戻り、教会音楽をやることが自分の使命だ』と確信していたからです。そして、その確信を共有できる人と出会い結婚できたことも、幸運でした」
強い思いで教会音楽の本場ドイツに飛び込んだ植木教授は、ヴュルテンベルク州教会立教会音楽大学の学部(B課程)を飛び級で終え、同大学院で教会音楽家(カントール)の最高資格である「A級」を取得した。この資格は、オルガン、オルガン即興法、合唱指揮法、オーケストラ指揮法など複数の専門分野を極め、教会での音楽活動全般を担う総合的な能力を証明するものだ。
「カントールを簡単に訳すと『指揮者』になります。『カンタービレ』と同種の語源で『歌わせる人』という意味になります。バッハの時代には指揮者とオルガニストは別の役割・職種で、教会にはそれぞれの専門家がいました。しかし現在は経済的な理由もあって、1つの教会が1人の音楽家を雇うことが多くなり、カントールは総合的に教会音楽の活動を監督します」
植木教授は、学業の傍ら、エスリンゲン市ツォルベルク教会で非常勤のカントールを務めた。オルガンを弾き、合唱団を指導し、牧師と協力して礼拝をコーディネートする……その経験は今も教育活動の基盤になっているという。
「ドイツで興味深かったのは、音楽大学、地域の音楽教室、オペラハウス、教会が繋がっていることです。街の音楽教室で育った人が音楽大学を出てプロになり、オペラハウスでコンサートを開く。地域の人たちは地元の教会の合唱団で歌い、そこには専門的な教会音楽の教育を受けた人もいれば、街の職人さん、会社員などさまざまな人が集まる。音楽が人々の日常生活とつながる文化的なサイクルがあるんです」
留学中に4人の子どもを授かり、奨学金とインターンシップで7年間の生活を支えた。身を置いた環境は、音楽と信仰が自然に結びついた伝統ある世界だった。どの町に行っても教会があり、パイプオルガンがある。植木教授も所属した教会の鍵を持っていて、いつでも練習できる環境があった。2000年に帰国するまで、教会音楽を通じて地域のコミュニティにとけ込んだ生活ができていたという。
使命感と出会いが導いた教育者への道
教会音楽家としての資格を持つ人は日本国内でも非常に少ない。特にA級の資格を持つ人となると全国で数えるほどしかいない。とはいえ、帰国後に教会音楽家としての専門性を生かせる場所を探すのは簡単ではなかった。
「教会音楽家という職業は日本にはないので、ドイツで研鑽してきたことをどう生かすか考えていました。声楽ならば声楽家として、オルガンならばオルガニストとして、そして合唱指導の……と募集があれば積極的に応募しましたが、教会音楽に関連する仕事をみつけるのは大変でした」
36歳で帰国して約3年、家族との生活を成り立たせるため、フリーランスとしてドイツの精密機器メーカーのパンフレットの翻訳校正をしたり、合唱団の指揮者を複数掛け持したり、オルガンと声楽の個人レッスンをしたりと、さまざまな仕事を経験する日々を送った。そんななか、転機となったのは桜美林中学校・高等学校の非常勤講師になったこと。そこから思いがけない形で大学教員への道が開けた。
「桜美林中学校・高等学校がオルガンを弾ける非常勤講師を探しているという話が人づてに回ってきたのです。大学で職を得るための公募はすべてダメだったなかでの話でしたから、『今与えられたことをやろう』と思い、引き受けました。すると、そこで幸運なことが2つありました。一つは面接でお会いした校長先生が私の履歴書をじっと見て、『植木先生、あなた中高でいいんですか?』と言ってくださったこと。その校長先生は履歴書にある『A級教会音楽家国家資格』の意味を理解してくださったこと。そしてもう一つは中高で教えるようになってから、大学のチャプレン(学校付き牧師)の先生が『大学に来てほしい』と声をかけてくれたこと。そこから状況が変わり、大学で働くことになりました」
その専門性を買われ、まずは専門職職員兼講師になり、大学のキリスト教活動でのオルガニストも務めた。その後、専任教員となる一方で、桜美林大学のチャペルの立て替えとパイプオルガンの導入にも関わり、契約したスイスのオルガンメーカーとの調整などの仕事も担当した。「職を探している時はダメだったのに、探すのをやめたら教会音楽に関われる場所に立てたという面白い人生です」と植木教授は振り返る。
桜美林大学ならではの音楽教育
学生の可能性を広げる環境
総合大学で音楽を学ぶ魅力
桜美林大学の芸術文化学群音楽専修で植木教授が担当するのは「合唱」「合唱指揮法・指導法」「賛美歌学」など。これらの科目を通して、単なる技術だけでなく、音楽の根底にある思想や歴史的背景までを教えている。
「桜美林大学の音楽教育の特徴は、従来の音楽大学のような縦割りの組織ではないことです。声楽専攻だから声楽だけ、ピアノ専攻だからピアノだけというわけではなく、音楽と社会との関わりをもっと広く捉えています」
芸術文化学群では、音楽だけでなく演劇・ダンス専修やビジュアル・アーツ専修など、他分野との連携も可能。総合大学ならではの学びの広がりがある。キリスト教主義である桜美林大学では、教会音楽関連の「礼拝学」「賛美歌学」「宗教音楽史」「ゴスペル」などの科目も置かれており、西洋音楽の根底にあるキリスト教文化について学ぶ機会もある。植木教授自身、これまで取り組んできた教会音楽における専門性と大学のカリキュラムがうまく融合していると感じているという。
「教会音楽家としてのアイデンティティを持ちながら、より広い視野で音楽教育に携われるのは大きな喜びです。教育に携わる中で自分に問われるのは、自分自身の研究・教育への向き合い方です。学生に言葉で伝える、ということをするわけですが、その言葉の元となる研究にきちんと向き合えているかです。 私自身、若い頃、恩師たちから多くを学びました。多くのことを教えていただきましたが、自分の中に一番残っているのは、先生方の芸術に向き合う姿勢、背中だったように思います。音楽は音楽そのものだけでなく、さまざまな分野とつながっています。学生たちには音楽を通して思想を表現することの意味や、共同体のなかでの音楽の役割について考えてほしいですね」
教員紹介
Profile
植木 紀夫教授
Norio Ueki
1963年東京都生まれ。東京藝術大学卒業後、声楽家として活動。1993年から2000年までドイツに留学し、ヴュルテンベルク州教会立の教会音楽大学(Hochschule für Kirchenmusik der Evangelischen Landeskirche in Württemberg)で学び、「Diplom Kirchenmusiker A」(A級教会音楽家資格)を取得。エスリンゲン市ツォルベルク教会で非常勤カントール兼オルガニストを務める。帰国後、フリーランスの音楽家として活動、複数の合唱団指導や立教大学非常勤講師などを経て2005年から桜美林大学に勤務。専門は教会音楽、賛美歌学。日本賛美歌学会会員、福音讃美歌協会讃美歌委員。2019年サバティカル期間中はドイツ・マインツ大学賛美歌研究所および中国・上海同済大学ドイツ研究所で研究活動を行った。
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