飛行検査官、航空大学校教官、試験官。多様なキャリアで培った視点を糧に航空の未来を育む
原点にあるのは、少年時代に抱いた飛行機への憧れ
「飛行検査官」という仕事を知っているだろうか。日本全国の空港や無線施設が正しく機能しているか、自ら飛行機を操縦しながら確かめていく——国内を駆け巡る、空を舞台にした仕事だ。このキャリアを起点にパイロットとなった航空学群の坂口敦教授は、やがて航空分野における人材の育成にも興味を見出すようになった。以来、航空大学校の教官、航空従事者試験官、運航審査官と、実務と人材育成の双方を行き来しながら、航空の世界を幅広い角度から見つめている。坂口教授のキャリアを貫くのは、「もっと知りたい」という衝動。その原点には、小学生の頃に心を奪われた飛行機への憧れがあった。
「少年時代から自動車や鉄道といった乗り物全般が好きだったのですが、中でも三次元を自由に移動する飛行機に強く惹かれました。中学生になっても興味が失われることはなく、エンジンで飛ばす模型飛行機を自ら設計したりしていました。いつか自分が飛行機を操縦できたらいいなと想像を膨らませるうちに、自然と航空分野を志すようになりました」
空の安全性を検査するため、日本中を飛び回る
高校卒業後は大学の工学部に進学したものの、1年後に当時の運輸省航空大学校に合格したことで進路を変更。過酷な訓練や試験が続く日々が始まったが、飛行機そのものへの愛が苦労を上回っていた。特に印象に残っているのは、初めて自分ひとりの操縦で空を舞ったソロフライト。前後左右を見回しても、機内には自分以外誰もいない。すべての責任は自分にあるのだという恐怖を感じつつも、自分で飛行機を飛ばしていることへの大きな達成感を覚えた。航空大学校での学びを経て、坂口教授は運輸省航空局飛行検査でのキャリアを選ぶ。民間の航空会社に進む卒業生がほとんどの中で飛行検査という進路を選択した背景には、「面白そうだ」という直感があった。
「飛行検査という業務ではありますが、航空機を操縦するパイロットであることに変わりはありません。その主な役割は、航空局が所有する飛行機で日本中の空を飛び回りながら、全国にある空港や無線施設から発せられる電波の受信状況に問題がないかを確認することです。既存の航空路の安全を守るとともに、新しい空港が開設される際にも、システムが設計通りに機能しているかを検査しています。私の時も1名しか募集がなかったので、パイロットとしては珍しいキャリアだといえるでしょう。その独自性に惹かれたこともあり、採用試験を受けてみることにしました」
教官を務めたことで芽生えた人材育成への関心
民間のエアラインに勤務するパイロットは、定められた空路を繰り返し飛行することになる。しかし飛行検査の場合、自分たちの計画に沿ってフライトすることができる。その点に仕事の面白さを感じていた坂口教授。全国に点在する空港施設や無線施設を検査するため、北海道から沖縄まで国内を縦横無尽に飛び回っていたのだという。5年間にわたって飛行検査官を務めたのち、次は航空大学校の教官として出向することになった。
「自分自身が通ってきた道でもあり、学生たちと年齢が近いこともあって、彼らの気持ちがわかる状態で教育の道に進むことができたのはいい経験でした。主に操縦方法などの実務を教えていたのですが、教えたことに対する飲み込みが非常に早かったんです。フィードバックした内容を次の訓練までに直してくれるので、どんどん上達していく。操縦が苦手だった学生がファーストフライトを成功させた際には、感無量の思いでした」
操縦できる機体を増やすため、海外での訓練を経験
学生たちの成長を実感できる航空大学校での仕事にやりがいを感じていた坂口教授。教育証明を取得し、宮崎・帯広・仙台の3校を巡って学生教育に注力していた。しかしその間も、パイロットとしての熱意が失われることはなかった。再び航空局に戻ると、機長になるために必要な定期運送用操縦士の技能証明を取得。より多くの飛行検査を担うため、海外機体のライセンスも取得した。
「海外の機体について勉強するのは非常に面白かったです。ビジネスジェット機『ガルフストリーム IV』はアメリカ、ターボプロップ旅客機『サーブ 2000』はスウェーデンの機体で、それぞれ現地での訓練を経験しました。機体の仕組みについて新しく学ぶのも好きですし、自分が操縦できる飛行機が増えることにも楽しさを感じていましたね」
「飛行機のことをもっと知りたい」という思いがモチベーションに
さまざまな機体のライセンスを相次いで取得
2009年の配置換えに伴い、坂口教授はまたも新しい業務を担当する。任されたのは、航空従事者試験官という立場。パイロットライセンス取得希望者の操縦する飛行機に同乗し、フライトを評価する仕事だった。もともと国内の飛行検査に従事していた坂口教授は、日本で製造された旅客機「YS-11」のライセンスを所有していた。しかし、試験官として多様な航空機の操縦を評価するためには、当然ながら自身も幅広い機体の資格を所有している必要がある。仕事の幅を広げるため、エアバス社「A320」「A380」の資格を相次いで取得したのだという。ひとつの機体の資格を取得するだけでも、膨大な勉強が求められることは想像に難くない。坂口教授のモチベーションはどこにあったのだろうか。
「エアラインのパイロットになりたい人もいれば、自家用機を飛ばしたいという人もいる。目的も機体も異なる試験を担当するからには、私も勉強を続けなくてはなりません。その原動力となったのは、飛行機のことが大好きで、もっと詳しく知りたいという気持ちです。最初に憧れを抱いた少年時代から何も変わっておらず、いまだに新しい飛行機について勉強していると、夜も眠れないほどに没頭してしまいます(笑)」
機長になるために求められる資質を見極める
続いて、坂口教授は運航審査官という役割を担うことになった。主に担当していたのは、機長として適切に乗務できるかどうかを認定する業務。ライセンスを持っているからといって、機長にふさわしい人材であるとは限らない。その資質を見極めることが坂口教授の仕事だった。
「飛行機の操縦技術はもちろんのこと、機長になるためには、安全性、効率性、経済性、快適性といった幅広い要素を考慮してフライトする能力が問われます。例えば、緊急事態が発生した場合に、どのように対応するのか。そうしたマネジメント能力について、口述試験を含めて総合的に審査を行っていました。それまで試験官として関わっていたのは、基本的に新しくライセンスを取る人ばかりです。しかし運航審査官の場合は、豊富なキャリアを持つパイロットを審査することになるので、こちらも気が引き締まる思いで業務に臨んでいました」
夢を追う過程、そしてパイロットになってからも、“初心忘るべからず”の精神が重要
テクノロジーが進化しても、パイロットが学び続ける意義
実務と人材育成の双方に熱意を燃やしてきた坂口教授は、航空大学校仙台分校の分校長を務めあげた後、航空教育の最前線である桜美林大学航空学群にて教授としてのキャリアをスタートした。飛行検査の業務で自らフライトを行ったこと、航空大学校で学生たちと関わったこと、試験官としてパイロットの技術を審査したこと、幅広い機体のライセンスを取得するために勉強を重ねたこと……。あらゆる経験が教育における糧になっている。
「航空分野の仕事は華やかに見えるかもしれませんが、実際は大きな責任感の伴う非常に厳しい世界でもあります。安全かつ効率的なフライトを実現するため、常に技術向上へのモチベーションをキープしなくてはなりません。近年はテクノロジーの発展により、オートパイロットによる飛行も可能となっています。以前は人間の手でスピードや高度、離着陸のタイミングを計算していましたが、それもコンピュータが算出してくれる時代になりました。しかし万が一、システムに不具合が起こるなどの緊急事態が発生した際には、人間であるパイロットが対応や判断を迫られることになります。航空学群では操縦技術だけでなく、『パイロットの健康問題』など幅広い授業を担当することになりました。自分の実務や教育の経験を活かしながら、パイロットとして長く活躍していくための学びを学生に提供したいと考えています」
操縦技術を効率的に教育する方法を模索したい
中でも坂口教授が関心を持っているのは、操縦技術の効率的な教育方法だ。桜美林大学のキャンパス内には、専門性を身につけるためのFTD(飛行訓練装置)やATC(航空交通管制シミュレーター)が完備されている。この充実した環境を活用し、より技術を向上させるための手法を検討することが今後の目標だという。
「教育において重視しているのは、“初心忘るべからず”の精神です。最初は緊張感を持ってフライトに臨んでいたパイロットであっても、慣れることによって危険なミスを引き起こしてしまう可能性があります。そのため、常にパイロットを目指したきっかけや、初めてフライトした時の気持ちを忘れずに飛ぶことの大切さを学生に教えています」
多様なキャリアを積んできたからこそ学生に伝えられることがある
つまずいた時には原点に立ち返ってみる
厳しい航空の世界に進んでいく中で、挫折感を覚えてしまう学生もいる。簡単に夢をあきらめないためにも、“初心忘るべからず”の精神が重要であると坂口教授は語る。こうした教育のプロセスは、航空大学校で教官、そして分校長を務める中で培われたものだった。
「航空大学校で勤めていた際には、私のところに挫折した学生からの相談が数多く寄せられました。それに対し、私はまず自分がパイロットを目指したきっかけを話し、『君はどうなの?』と問いかけていました。大きな夢を追いかけることに疲れてしまったら、自分が航空業界を目指した原点に立ち返ってみる。それでも難しい場合は、飛行機そのものを好きになる努力をしてみる。飛行機について熱心に学んでいると、自然と愛着が湧いてきます。そうした対話を重ねながら、挫折した時には何度でも話を聞くから、もう一度頑張ってみようと励ましていました。私自身が多様なキャリアを積んできたからこそ、航空業界に携わる幅広い選択肢を提示できた点も大きかったと感じています」
飛行機に乗るお客様の信頼と期待を裏切らないために
少年時代に飛行機への憧れを抱き、現在も学生の教育に注力する傍らで、自身も学びを深め続ける。まさに“初心忘るべからず”を体現するパイロットであり教育者だといえるだろう。航空業界の未来を任せられる人材を育成するため、坂口教授はフライトの楽しさと難しさを学生に伝えている。
「飛行機は本当に楽しい乗り物です。お客様もワクワクした気持ちを胸に抱きながら搭乗されている方が多い。そうした方々の信頼と期待を裏切らないよう、学生には常に勉強に励み、自分の健康をしっかり維持し、航空業界の未来を担ってもらいたいと考えています。同時に、航空の世界では何よりチームプレーが求められます。安全で快適なフライトを追求するには、パイロット、整備スタッフ、地上スタッフ、そして管制が一丸とならなくてはなりません。航空業界全体を巻き込んで活躍できる人材を育てるため、今後も私の経験を活かしながら全力で学生をサポートしたいと思います」
教員紹介
Profile
坂口 敦教授
Atsushi Sakaguchi
1961年神奈川県生まれ。1984年、当時の運輸省航空大学校を卒業後、運輸省航空局飛行検査に入省。「YS-11」の副操縦士を約5年務めたのち、航空大学校の教官として出向。教育証明を取得し、宮崎・帯広・仙台の3校を巡り学生教育に従事。再び航空局に戻り定期運送用操縦士の技能証明を取得。2009年に航空従事者試験官に配置換え、運航審査官、次席飛行検査官を歴任し、航空大学校仙台分校の分校長として定年を迎える。その後、航空大学校契約教官としての再任用を経て、2026年より現職に至る。
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