イギリスの風景が育んだ、市民社会と女性史へのまなざし
イギリスの風景と原体験
電車の車窓から街並みを眺めながら、日本の風景と、かつて暮らしたイギリスの記憶とを重ね合わせていた。リベラルアーツ学群の出島有紀子教授は、小学3年生のとき、1年間だけイングランド中部の都市、バーミンガムで生活していた。
「バーミンガムは工業都市として知られますが、実際に暮らしてみると、街の中には緑が多くあります。日本の公園というと、砂場や遊具が設置されたそれほど広くない空間を思い浮かべますが、イギリスの公園は、視界いっぱいに芝生が広がり、池まで備えた広大な空間が当たり前のように存在しています。規模そのものが、まったく違っているのです」
ロンドンからバーミンガムへ移動する車窓から見える風景も、強く印象に残っていた。派手な屋外広告がほとんどなく、景観が抑制されていることに、小学生ながら不思議さを覚えた。
「また、イギリスでは教会の関係者と話す機会もあり、弱い立場の人を支えようとする意識が、ごく自然に根付いていると感じていました。チャリティが特別な行為ではなく、日常の延長線上にある。その空気感が、とても印象的だったのです」
帰国後、日本の街並みを見ながらイギリスでの体験を思い返す中で、中学生の頃に知ったのが、ナショナル・トラストの活動だった。自然や歴史的建造物を、開発から守るために市民自らが寄付を募り、土地や建物を取得し、次世代へと受け継いでいく。1895年にイギリスで始まったこの仕組みは、現在では世界各地に広がっている。
「なんて理想的な仕組みなのだろうと思いました。そのため大学では、イギリスの文化や社会をきちんと学びたいと考えたのです。授業を受ける一方で、2年次に約1か月間のイギリス一人旅を実施したりもしていました。そして3年次、新聞で『英国ナショナル・トラストに日本人を派遣』という記事を見つけました。すぐに応募し、選考を経て派遣が決まり、現地で環境保全活動に参加することになりました」
日英のボランティア活動の違いと女性史の研究
イギリスでボランティア活動に参加して、出島教授が強い印象を受けたのは、「ボランティア」という行為そのものの捉え方の違いだった。出島教授は、小学生の頃から青少年赤十字の研修に参加し、高校時代には少年自然の家の活動にも携わってきた。さらに1995年には、阪神・淡路大震災のボランティアにも関わった。そうした経験を通じて、ボランティアとは「社会を良くするために努力し、困っている人を助けるために懸命に取り組むもの」だと考えてきたという。しかし、イギリスで体験したボランティアは、そのイメージとは大きく異なっていた。
「参加していた人たちは、『普段は都会で働いているけれど、ここに来るのは楽しいから』と、ごく自然に話していました。途中でティータイムを挟んだりもしますし、日本で想像していたような必死さはあまり感じなかったのです。社会を変えようと気負うというより、日常の延長として、半分はレジャーのような感覚で参加している。そんなカジュアルさがありました」
イギリスでは、ボランティアや寄付が特別な行為ではなく、生活のリズムの中に溶け込んでいる。無理なく、気張らず、できる範囲で関わる。その姿勢こそが、社会を下支えしているのではないか。こうした体験を重ねながら、大学では今井けい先生の講義でイギリス文化を学んだことが転機となった。
「講義の主なテーマは、イギリスの女性史でした。高校までの歴史の授業ではほとんど触れられていませんでしたが、社会や慈善活動を支えてきた女性たちが数多く存在していたことを知り、強く惹かれました。そして、女性史を専門にしたいという思いと同時に、以前から関心のあったナショナル・トラストとも結びつくのではないかと考えました。ナショナル・トラストの創設者は3人いて、そのうちの一人が女性だったのです。その人物が、社会改良家として知られるオクタヴィア・ヒルでした。彼女の伝記や書簡を読み解く中で、研究の道に惹き込まれていきました」
近代イギリスにおける慈善活動と医療の歴史
オクタヴィア・ヒルが目指したボランティアと「友愛」の思想
ヴィクトリア時代のイングランドにおける福祉は、中央政府や地方政府だけでなく、民間団体や任意(ボランティア)団体、さらには家族や親族といった多層的な担い手によって支えられていた。その中で、独自の慈善思想と実践を展開した人物が、社会改良家のオクタヴィア・ヒルだった。ヒルは、貧困者向けの住居管理運動や環境保護活動を通じて、貧しい人々の境遇改善に生涯を捧げた。
ヒルの思想の根底には、当時の社会に広く浸透していた個人主義と自発的行為主義(ヴォランタリズム)があった。社会問題は、国家や制度だけに委ねるのではなく、個人の自発的な関与と、組織を越えた連携によってこそ改善できる。彼女はそう考えていた。
「既存のチャリティには限界があると、ヒルは感じていました。金銭や物資を与えるだけでは、貧困者が援助に依存してしまい、その構造を固定化してしまう恐れがあるからです。重要なのは、単なる施しではなく、人々が自立して生きていける仕組みをつくることでした」
この考えを具体化したのが、ヒルによる住居管理運動である。彼女は、慈善事業ではなく、「ビジネス」という枠組みの中で、貧困者向け住宅の管理を行った。住宅を提供し、借家人からの家賃はボランティアが集金する。昼間に在宅しているのは女性であることが多かったため、集金や支援を担うボランティアも主に女性が務めた。
ボランティアの役割は、家賃集金にとどまらない。清掃の監督や会計、建物の修繕に関する助言、借家人の選定、職探しの支援、貯金の管理、花の配布や植物栽培の指導、娯楽の企画など、「借家人の自立を妨げることなく提供できる、あらゆる対人援助」を担っていた点に、この運動の特徴がある。
「援助とは、お金を渡すことだけではありません。緑豊かな場所へ連れ出すことや、部屋に花を飾ること、音楽を楽しむ機会をつくることも、人の尊厳を支える大切な支援になる。ヒルは、こうした関わりは、一人ひとりと丁寧に向き合わなければ実現できないと考えていました」
19世紀のイギリスは、自由主義と個人主義が色濃く、公的介入に対して慎重な空気のある時代でもあった。その中でヒルが重視したのが、「友愛」という考え方である。彼女にとっての友愛とは、うわべだけの贈与とは無縁の、思いやりに基づく関係性だった。施しを与えるのではなく、相手が自立するために手を差し伸べ、ともに歩む姿勢。そこにこそ、真の支援があると考えていた。
イギリスにおける女性医師の進出と英領インド
専門性を深めるため、出島教授はイギリスの大学院に進んだ。当初は「女性とチャリティの歴史」を研究テーマに据え、修士論文もその観点から執筆したが、指導教授の専門は「ジェンダーと医学史」だった。そもそもそうした分野の存在すら知らなかったというが、女性とケアの問題意識を共有するその研究領域に強い関心を抱くようになり、以後の研究の軸にしていった。
「日本帰国後には、その問題意識をさらに掘り下げ、女性と医学の関係をテーマに修士論文を執筆しました。研究対象として着目したのは、イギリスにおいて近代的な意味で医師として認められるに至った女性たちです。女性が医師になることを制度的に阻まれていた時代に、彼女たちはいかにして医師としての資格と社会的承認を獲得したのか。伝記や医学雑誌、行政資料などを丹念に読み解くなかで、浮かび上がってきたのが『英領インド』という歴史的文脈でした」
19世紀後半、イギリス人女性はアメリカやドイツ、フランス、スイスなどで医学教育を受けることが可能になっていた。しかし当時のイギリスでは、外国の医学学位は法的に認められておらず、女性は医師として登録されなかった。この状況が改められるのは1877年以降のことである。ヴィクトリア時代のイギリス社会では、医師という職業自体が専門職として確立途上にあり、そこへ女性が参入することには強い抵抗が存在していた。
その壁を相対化する契機となったのが、「インド人女性を西洋医学によって救済する」という医療帝国主義的な言説、あるいは「白人の責務(White Man’s Burden)」という思想だった。とりわけ、男性医師の立ち入りが禁じられていた婦人部屋「ゼナーナー」の存在は、女性医師でなければ果たせない役割を強調する装置として機能した。この論理のもと、英領インドでは、イギリス人女性医師の進出が制度的に後押しされていく。
「もっとも、そこには限界もありました。イギリス人女性医師はインド医局に正式に採用されることはなく、インド人女性医師の育成を目的としたダファリン基金も、実際にはイギリスで医師登録を済ませた女性を優先していました。医業に対する報酬や地位には、民族とジェンダーによる顕著な格差が存在していたのです。その一方で、同時期のイギリス国内では、女性の職業的機会を拡大しようとする社会運動も活発化していました」
魔女と西洋医学の歴史
出島教授が担当する「社会探究(魔女と西洋医学の歴史)」は、毎回多くの学生が履修する講義だという。本講義では、文芸作品などに描かれる魔女像と近代以前の西洋医学との関係を手がかりに、身体・病気・治癒・生死をめぐる知が西洋社会でどのように形成され、それが治療者の行為といかに結びついていたのかを考察する。
近代以前、医師と魔術師の境界は必ずしも明確ではなかった。地域社会で弱者のケアを担ったのは、「ワイズ・ウーマン(wise woman)」や「ハンディウーマン(handywoman)」と呼ばれる女性たちであり、彼女たちは医療や助産、福祉の領域で重要な役割を果たしていた。しかし、治療の効果や知識の正確さとは無関係に、ジェンダーや権力構造の中で「魔女」として迫害されることもあった。
その後、科学革命と医学革命を経て医業が専門職として制度化される過程で、女性は徐々に排除されていく。公衆衛生の発展や病原菌の発見は医療を大きく変化させたが、その変化は医療提供者の役割や位置づけ、さらにはジェンダー規範とも深く関わっていた。西洋社会において医師という職業が確立する陰で、周縁へと追いやられた医療者の存在や、特定の医学的言説が強調されてきた歴史にも目を向ける。
さらに本講義では、魔女像が現代のメディアで繰り返し再生産されている点にも注目する。そこには、「ワイズ・ウーマン」や「ハンディウーマン」が担ってきたケアの役割が、かたちを変えながらなお社会に求められていることが示唆されている。科学・社会・ジェンダーの交錯を読み解くことで、医療の歴史を批判的に捉え直す視座を提示している。
市民の力で社会を動かせると知ること
19世紀よりも前から女性は決して「無力な存在」ではなかった
市民の連帯や自発的な運動を通じて社会を変えていこうとする動きは、19世紀のイギリスにすでにあった。出島教授はその背景について、キリスト教における福音主義の影響、そして階級社会の中で形成された中産階級の意識があるのではないかと語る。
「社会をより良くする責任を市民として引き受けるという感覚が、アイデンティティの一部として共有されてきたのではないか。そこでは、ボランティアは義務として課されるものではなく、自然な行為として受け止められてきたのではないか、と考えています。その精神は19世紀から連続し、現在では楽しめるようなかたちでチャリティ活動として実践されているのは、素晴らしいと思います」
こうした市民的実践の担い手であった特に女性たちの存在は、日本の教科書ではほとんど語られない。知られているのはせいぜいフローレンス・ナイチンゲールくらいだろう。しかし実際には、オクタヴィア・ヒルをはじめ、政治的権利を持たない時代から、社会をより良くしようと行動してきた女性たちがいた。また、1918年に限定的な女性参政権が認められ、1928年には普通選挙が実現するが、それ以前においても、女性は決して「無力な存在」ではなかった。
「私が10代後半から20代を過ごした1990年代から2000年代においても、女性が将来像を描きやすい時代とは言い難かったと思います。しかし、歴史をひもとけば、市民の力によって社会を少しずつ変えてきた人々が確かに存在し、その中に女性も含まれていたことがわかる。その発見は、自らを社会の構成員として捉え直す勇気を与えてくれたと感じています」
だからこそ、市民の連帯が社会を動かし得ること、そしてそこに女性が主体として関わってきたという事実を学生たちに伝えたいと出島教授は語る。
自分と同じ壁に向き合ってきた人から、前に進むヒントを得る
今日の学生たちは「自分も社会の一員なのだ」という実感を持てているだろうか。出島教授は、学生時代を振り返りながら、当時の自分もまた、社会とのつながりを十分に意識できていなかったと語る。しかし、興味のあることを自分なりに調べたり、関心を持った活動に一歩踏み出したりする経験は、少しずつ自信を育てる。その積み重ねが、「社会に対して何かしてみよう」という意識へとつながっていくという。
「たとえばボランティア活動に参加することも、自分が社会を構成する一員だと実感するきっかけになります。桜美林大学には、国内外で参加できる多様なボランティアの機会がありますし、『サービスラーニング』に参加した学生が、大きく成長している姿を見ることも少なくありません」
社会に対して閉塞感や無力感を抱き、「自分の力で何かを変えるのは難しい」と感じている人もいるだろう。しかし、歴史をひもとくと、今の自分たちと同じような壁に直面し、それでも前に進んできた人々が数多く存在していることがわかると出島教授は語る。
「歴史の中の人々の人生を知ることは、自分自身の力になりますし、壁を乗り越えるためのヒントにもなります。教科書には載らないけれど、調べれば見えてくる人たちがたくさんいる。特に女性は、表舞台に記録されてこなかった存在が多いからこそ、同じような困難を乗り越えてきた事実を知ること自体が、大きな励みになるはずです」
教員紹介
Profile
出島 有紀子教授
Yukiko Dejima
1974年宮城県出身。英国 University of Warwick 歴史学研究科 修士課程修了(MA in Social and Cultural History)。津田塾大学大学院 文学研究科博士課程 英文学専攻 博士課程単位取得満期退学。2004年より桜美林大学に着任。2026年より現職。専門は、近代イギリスを中心とした女性の歴史、特に慈善活動、医療、看護の歴史。共著に『ナイチンゲールはフェミニストだったのか(ナイチンゲールの越境3:ジェンダー)』(日本看護協会出版会)、『ナイチンゲールが生きたヴィクトリア朝という時代(ナイチンゲールの越境4:時代)』(日本看護協会出版会)、『論点・ジェンダー史学』(ミネルヴァ書房)など。
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