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日中友好の架け橋として
思いがけない日本留学への道
「日本語の聖書をお持ちですか」
「持っていますよ」「見せていただけますか」
「どうぞ。本日の記念に、この聖書を差し上げましょう」
「本当ですか。ありがとうございます」
1984年9月20日、中華人民共和国。薛恩峰准教授の勤務先を、日本から来た関西キリスト教親善訪中団が訪れた。独学で日本語を学んでいた当時21歳の薛准教授は、日本人牧師に自ら声をかけ、日本語の聖書を手にした。その出会いが、人生の転機となった。
「『日本語がとても上手ですが、どのように勉強されたのでしょうか』と問われたので、『独学です』と答えたところ、深い関心を寄せてくれました。そして2か月後、一通の手紙が届いたのです」
差出人は9月に会ったばかりの日本の牧師。「あなたを同志社大学に留学生として招待したい」という内容だった。「かつて遣隋使や遣唐使が中国で学びました。今度は私たちが中国からの留学生を支えたい」と言ってくれたという。
予期せぬかたちで、日本への道が開かれた。1986年4月9日、薛准教授は人民服姿のまま大阪伊丹空港に降り立った。しかし、潤沢な資金はなく、皿洗いや建築現場での仕事など、生活のためになりふり構わず働いたという。一方で、日本のキリスト教団体から奨学金や生活支援を受けることができた。その支えがあったからこそ、学問に取り組む時間を得られたのだと薛准教授は述懐する。
「神様のお恵みであったと思います。学部でキリスト教の基礎を学び、大学院では聖書神学や歴史神学を専攻しました。大学院での研究テーマは、聖書の中国語訳の歴史や中国基督教史、そして国家と宗教間の関係でした。社会主義国家において宗教とはいかなる存在なのか。日本で神学を学びながら、自らが生きてきた祖国の経験と重ね合わせ、問い続けました」
中国は1966年から1976年までの文化大革命の時期、宗教活動が大きく制限されていた。しかし1978年、鄧小平が「改革・開放」政策を打ち出し、宗教政策は大きく転換する。対外交流を進める上で、宗教理解は不可欠であるという現実的判断もあった。鄧小平が訪日の際に奈良の唐招提寺を訪れたことや、米国との関係構築においてキリスト教文化への配慮を示したことは、その象徴的な出来事だった。
「改革開放以降、中国ではキリスト教会の数が急増しました。その背景には、文化大革命の過程で人間関係が分断された社会において、隣人愛を重んじるキリスト教の倫理が、多くの人々に新たな希望として受け止められたという側面もありました」
キリスト教が社会に根付いている日本
日本で神学を学び、牧師になることを志していた薛准教授は、同志社大学大学院で研究に励む一方で、休日は教会で奉仕活動に携わっていた。自らの志を貫き、誠実に努力を重ねれば、必ず道は開ける。それが薛准教授の信念である。
「もし日本に来て、豊かさや安定だけを追い求めていたら、牧師になるという目標は実現できなかったでしょう。土曜日や日曜日の教会の奉仕では、礼拝に来る方々が気持ちよく過ごせるよう、トイレ掃除などの目立たない仕事にも進んで取り組みました」
薛准教授は、中国では文化大革命の影響で宗教活動が大きく制限されていた時代を経験している。そのため、日本で目にした光景は新鮮だった。教会が地域社会に根づき、礼拝だけでなく、幼稚園の運営や福祉、教育活動などを通じて社会に貢献している姿に、深い感銘を受けたという。とりわけ教育分野において、キリスト教が果たしてきた役割は大きい。同志社大学、関西学院大学、青山学院大学、上智大学、立教大学など、数多くのキリスト主義大学が日本社会の人材育成に大きく貢献してきた事実は、その一例だ。
「文化大革命の時代、中国ではキリスト教は否定的に語られることもありました。しかし日本で生活し、教会の働きを目の当たりにする中で、キリスト教が決してそのように批判されるべき宗教ではないのだと実感しました。これこそが信教の自由なのだと、身をもって理解したのです」
信仰に支えられ、日本留学という夢も実現した。そのとき、薛准教授は改めて自らに問いかけた。自分は何のために生きるのか、と。その答えは、自身の歩みの中にあった。中国で生まれ育ち、日本で学び、信仰を深めた自分だからこそできる役割がある。一衣帯水の間にある日中両国を結ぶ架け橋となり、相互理解を深めること。その使命を胸に秘めて、歩もうと考えた。
日本語を独学で身につける
1980年代、日本語学習ブームの中国
1972年9月29日、北京において、田中角栄首相と周恩来首相の間で日中共同声明が署名・発表され、日中国交は正常化された。これをきっかけに、両国の交流は徐々に活発化していく。
「実際に日中の交流が活発になったのは1979年以降だったと思います。当時、日本人が観光やビジネスで中国を訪れる機会は増えていましたが、中国側から海外へ渡航することは、経済的にも制度的にも難しい時期でもありました。日本からの旅行者は、ひと目でそれとわかりました。洗練されたまばゆいファッションに、首からカメラを下げている姿は、とても印象的だったからです」
当時の中国では、日本の大衆文化も紹介されていた。山口百恵と三浦友和が出演したテレビドラマ『赤い疑惑』、高倉健が主演の映画『君よ憤怒の河を渉れ』など、そこに映し出される都市の風景や人々の装いは、多くの中国の人々にとって未知の世界だったと薛准教授は語る。
「画面に広がる街並みやファッションは、当時の私たちにとって別世界でした。こんなにも見事に整った都市や綺麗な装いに目を奪われました」
薛准教授は、中国・西安の牧師家庭に生まれ育った。西安は、かつて空海が遣唐使として学んだ長安の地であり、日本人にとって歴史的ゆかりの深い都市でもある。そのため日本人観光客の訪問も多く、街は自然と日本語への関心が高まっていった。公園の一角では即席の日本語学習会が開かれ、若者たちが集った。そうした時代の空気の中で、当時17歳の薛准教授もまた、日本語を独学で学び始める。しかし学習環境は決して恵まれていなかった。教科書や辞書の入手は困難で、カセットレコーダーやテレビはまだ一般家庭に普及していない。ラジオさえ高級品だった時代である。
「テレビを持っている家庭にお願いして、日本語講座が放送される時間だけ見せてもらうこともありました。教材も設備も十分ではありませんでしたが、それでも学びたいという思いが先にありました」
一心不乱に勉強して通訳に
正しい発音と実践的な会話力を身につけるために、薛准教授は、日本人観光客が宿泊するホテルの前に毎朝早く足を運び、「日本語を勉強しています。会話の練習をさせていただけませんか」と、必死に日本語で声をかけていた。
突然の申し出にもかかわらず、耳を傾けてくれる人は少なくなかったという。中には、日本へ帰国した後に手紙を送ってくれる人もいた。そこから文通が始まり、日本語の辞書や小説、中高生向けの国語教科書などを国際便で送ってくれる人も現れた。見ず知らずの異国の青年に寄せられたその善意は、薛准教授の学びを力強く支えた。
「最初は将来を切り開くため、半ば切羽詰まった思いで日本語の学習を始めました。しかし、学べば学ぶほど、その世界の奥深さに引き込まれていきました。母は『寝言まで日本語で話していた』と言います。ある日、ふと気づきました。物事を考えるとき、日本語でそのまま思考していたのです。それまでは、日本語を一度中国語に置き換えて理解していました。しかし、その瞬間から、頭の中でそのまま日本語が流れるようになっていたのです」
日本語の実力が認められ、薛准教授は中国の工芸品や美術品を扱う会社に採用され、通訳として働くことになった。中国の工芸品や美術品を日本の取引先に紹介したり、また国際旅社日本部で日本からの訪中団や旅行団の案内を務めたりもした。日本から客人が訪れるたびに、通訳として現場に立ち、日本人と中国人をつなぐ役割を果たしていたのだ。
そして1984年9月20日、薛准教授の勤務先に、日本から関西キリスト教親善訪中団が来訪する。この出会いが、その後の人生を大きく動かすことになった。
学びは出会いの中で輝く
桜美林大学との出会い
中国から来日し、同志社大学で学んだ薛准教授は、「日中友好の架け橋になる」という明確な志を胸に歩みを進めてきた。学生時代から、すでに各地で講演活動を行い、日中交流の意義や宗教理解の重要性を語り続けていた。
ある日の講演後、一人の紳士が静かに声をかけた。
「桜美林大学の創設者、清水安三先生をご存じですか。中国で恵まれない人々のために学校を設立し、教育に尽くした日本人です」
この言葉をきっかけに、薛准教授は初めて桜美林大学の存在を知る。中国と深い縁を持つ教育者の歩みを知り、自身の志と重なるものを感じたという。
そして、1994年、清水安三の母校である同志社大学では、アジアのキリスト教を主題とする学会が開催されていた。薛准教授は、当時桜美林大学でキリスト教学を担当していた望月賢一郎先生とともに、ゲスト講演者として招かれていた。
望月賢一郎先生は恵泉女学園短期大学の教授としても活躍し、タイをはじめアジア各地で教育・研究に携わっていた人物である。この出会いを契機に交流は深まり、「ぜひ桜美林大学の学生たちに『中国のキリスト教』について特別講義を」と依頼を受け、薛准教授は実際に授業内で講話を行った。これが、桜美林大学との具体的なつながりを築く大きな一歩となった。
一方で、研究者としての歩みも着実に続けていた。2008年には『原典 現代中国キリスト教資料集—プロテスタント教会と中国政府の重要文献1950~2000』(新教出版社)を共著で刊行し、その成果を受けて学会での講演にも招かれるようになった。そうした中、2011年、桜美林大学においてキリスト教学関連科目を担当する教員の募集が行われた。これに際して推薦を受け、「ぜひ本学でキリスト教科目を担当してほしい」との正式な招聘を受けることとなった。
こうした出会いを経て、薛准教授は2012年に桜美林大学へ着任する。
そこで彼が深く向き合うことになったのが、本学の教育理念「学而事人(がくじじじん)」である。
「学而事人」は、創設者・清水安三が中国での教育活動を通して育んだ思想であり、キリスト教倫理の根幹にある「隣人愛」の教えに基づいている。
知識を蓄えることを目的とするのではなく、学びを通して視野を広げ、他者の痛みや社会の課題に応答できる人間へと成長する——そのような教育観が、この言葉には込められている。
薛准教授が担当する授業「キリスト教と建学の精神」では、この理念を中心に据え、聖書の言葉やキリスト教の歴史・思想、そして清水安三の生き方を結びつけながら、学生たちと共に学びを深めていく。
「授業では、学而事人の人間観を通して、学生が自らの存在と社会との関係を静かに見つめ直す時間を大切にしています。同時に、宗教に関する基礎的な知識と理解力も丁寧に養っていきたいと考えています」
人間は人との関わりの中で生きている
薛准教授は、教育の柱として、3つの理念を掲げている。それは、①異文化理解、②人間理解、③社会的責任と実践である。
「まずは、異文化理解です。多文化が共生する社会においては、異なる価値観と対話し、共に生きる力が不可欠だと考えています。その価値観の根底にあるものの一つが宗教です。たとえ外国語を自在に操ることができたとしても、相手の文化的・宗教的背景を理解していなければ、真の意味での理解には至らないでしょう。言葉を超えて他者と関係を築く姿勢こそが重要なのです」
そして、宗教を学ぶことは、人間を理解することにほかならないと薛准教授は語る。「宗教を学ぶということは、突き詰めれば『人間を理解する』ということなんです。歴史を振り返れば、人間は常に宗教とともに歩んできました。宗教は人間文化の最も豊かな部分を支えてきた存在です。文化は宗教の表現であり、その根底にある宗教的世界観は、個々人の思考や行動の前提となり、価値観の核を形づくっています」
薛准教授は、宗教を「単なる信仰対象ではなく、人びとの考え方や行動の大前提を映し出す鏡のようなもの」と表現する。
「歴史や宗教、文化の背景を知ることで、他者の生き方を尊重する視点が育まれます。授業では、聖書の言葉やキリスト教の歴史を現代社会の課題と結びつけながら、学生が自ら問い、考える力を養うことを大切にしています」
ここで、話題は、三つ目の柱である「社会的責任と実践」へと移った。
「異文化への理解、人間そのものへの洞察を深めていくと、世界の中での自分の立ち位置が見えてきます。では、私たちは社会に対してどのような責任を負っているのでしょうか」
そう問いかけたあと、薛准教授は「人」という字に込められた意味を静かに語り始めた。
「『人』という字が示すように、人は人と人との“あいだ”で生きる存在です。古の人々が、その意味を込めて『人間』と記したのも、まさにそのためです。世界の分断や人々の痛みに目を向け、そこで得た学びを社会へ還元していくこと。これがキリスト教主義教育が目指すものです。学びを自己の中だけで閉じず、他者へ、そして社会へと開いていく姿勢を大切にしてほしいと考えています」
さらに薛准教授は、学びの本質を「出会い」と表現する。
「学びとは、出会いのためにあります。出会いを通して見聞を広げ、自らを豊かに成長させ、自己を完成させていく。そしてその先に、社会に貢献できる心豊かな人として歩んでいく姿を、私たちは期待しています」
ここで教授はふと表情を和らげ、キリスト教の核心に触れた。
「キリスト教は『愛』を教え、語る宗教だといわれています。私はよく『であいであい』と表現するのですが、すなわち『であいであい(出会いで愛)』を学ぶ”ということです。人との出会いを通して愛を知り、愛を実践する力を育てていく。これこそが、桜美林学園の教育モットー『学而事人』が目指す人間像です」
薛准教授の言葉には、学びを単なる知識の獲得ではなく、他者との関わりの中で育まれる“愛の実践”として捉える視点が一貫して流れている。
教員紹介
Profile
薛 恩峰准教授
Xue Enfeng
1963年、中国・西安に生まれる。独学で日本語を習得し、1986 年に来日。同志社大学神学部・大学院神学研究科博士前期課程修了。甲東教会伝道師、早稲田教会協力牧師、早稲田大学基督教青年会信愛学舎舎監、富坂キリスト教センター研究主事、四谷新生教会牧師・四谷新生幼稚園園長、日本クリスチャン・アカデミー本部事務局長、同関東活動センター所長、東京府中教会牧師を歴任し、現職。日本基督教団において、中国大陸出身者として初めて按手を受けた牧師である。共著に、『岩波キリスト教辞典』(岩波書店)、『原典現代中国キリスト教資料集—プロテスタント教会と中国政府の重要文献1950~2000』(新教出版社)、『主よ、用いてください—召命から献身へ』(日本キリスト教団出版局)、『無我夢中——桜美林学園の創立者・清水安三の信仰と実践』(新教出版社、2022)など。
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