イスラーム法とは何か
イスラーム世界の道徳的・法的指針となるイスラーム法
イスラーム法(シャリーア)とは、ムスリムの信仰生活から社会生活全般に至るまでを規律する、包括的な行動規範である。その法源は、聖典「クルアーン(コーラン)」および預言者ムハンマドの言行録であるスンナ(ハディース)にあり、神が示した「正しい生き方」を指し示すものと理解されてきた。内容は、礼拝や断食といった宗教的義務を扱うイバーダートと、取引、家族関係、刑罰など社会生活に関わるムアーマラートに大別され、近代法の区分でいえば、民法・刑法・行政法に相当する広範な領域を包含している。こうした点において、イスラーム法はイスラーム世界における道徳的かつ法的な指針を成してきた。
私たちは一般に、「法」と聞くと、国家が制定し、裁判所が適用し、警察によって執行されるルールを想起しがちである。しかし歴史的に見れば、法は必ずしも国家と不可分の存在ではなかった。慣習や宗教、倫理と結びつきながら人びとの行為を規律してきた規範もまた、社会において「法」として機能してきた。
「イスラーム法の特徴を端的に言えば、国家が制定した法律ではないという点にあります。法源となるのはクルアーンであり、それを具体的な規範として解釈し、体系化してきたのがウラマーと呼ばれる宗教学者たちです。つまり、実際には人間による解釈の積み重ねではあるものの、理論上の立法者は神であると考えられてきました。イスラームにおいては神の絶対性が強く意識されており、真理を完全に知り得るのは神のみである、という前提が共有されているのです」
そう語るのは、リベラルアーツ学群の堀井聡江教授だ。イスラーム法は、ムスリム(イスラームの信者)の約9割を占めるスンナ派において、解釈方法の違いから4つの主要な法学派に分かれてきた。法学派の相違は、信仰内容そのものにあるのではなく、クルアーンやスンナ、慣習、推論などをどのような順序と比重で用いるかという、法解釈の方法論にある。代表的な四法学派として、ハナフィー派、マーリキー派、シャーフィイー派、ハンバリー派が挙げられる。
「法解釈には、地域性や、解釈を担う人間が置かれた社会的文脈が大きく影響します。私の専門である中東、たとえばエジプトなどでは、日常レベルで学派間の違いが強く意識されることはそれほど多くありません。しかし、東南アジアのようにイスラーム到来以前の慣習法が色濃く残る地域では、ローカルな伝統と結びついた形でイスラーム法が運用されている場合もあります。その結果、中東で見られるイスラーム法とは異なる様相を呈することもあるのです」
神の権利と人の権利
イスラーム法は、大きく「神の権利(ハック・アッラー)」と「人の権利(ハック・アル=アブド)」という2つの枠組みによって捉えられる。こうした区分は、私たちが一般に思い浮かべる近代的な法概念とはやや異なって映るかもしれないが、基本的には、神の権利が公的領域、人の権利が私的領域に対応しているのだと、堀井教授は説明する。
その意味では、イスラーム法は他の法体系とまったく異質なものではなく、アプローチの仕方が違うだけで、共通点も多く見出せる。ただし、この区分はあくまで理解を助けるための枠組みであり、実際には両者を明確に切り分けることは難しいという。その複雑さこそが、イスラーム法の興味深さであり、同時に理解を難しくする要因でもある。
「私たちがイスラーム法を理解しようとすると、どうしても西洋近代法の発想を前提に、それに当てはめるかたちで考えてしまいがちです。しかし、本当にそれでよいのかという問題があります。こうした問いを強く意識するようになったのは、19世紀後半のオスマン帝国における法典編纂を研究する中でのことでした」
19世紀後半、法の近代化が進むなかで、オスマン帝国でも法律がつくられた。その多くはフランス法をモデルとしていたが、民法典については、イスラーム法を基盤とした法体系を維持したいという意図があったという。オスマン帝国ではハナフィー派のシャリーアが公式に採用されており、それに基づいて編まれた民法典が通称「メジェッレ(Mecelle)」である。
「私はメジェッレの翻訳プロジェクトに、10年以上にわたって参加しています。もともとはオスマン帝国史の研究者が立ち上げたプロジェクトですが、イラン史や中央アジア史の専門家のほか、日本の法律家の方々も参加しています。私たち研究者が提案した訳語が、法律家メンバーから『日本法に照らすと違和感がある』と指摘されることも少なくありません。しかし、日本語や近代法の枠組みに無理に当てはめてしまうことで、アラビア語が本来持つニュアンスや、イスラーム的な価値観が損なわれてしまう危険もあります」
理解しやすさを優先するのか、それとも概念の正確さを重視するのか。そのバランスは非常に難しい問題だ。単純化しすぎてしまうと、イスラーム法の本質そのものを見失ってしまう。だからこそ、安易に割り切ることはできないという。
強行法規と任意法規という枠組みで捉える
神の権利と人の権利は、公法と私法として単純に切り分けられることもある。しかし実際には、その境界は必ずしも明確ではなく、両者のあいだには広いグレーゾーンが存在する。私的領域とされがちな婚姻や売買といった行為にも、神の権利、すなわち宗教的・倫理的な規範が深く関与しているからだ。
「婚姻は極めてプライベートな問題ですが、当事者の自由に委ねてしまうと、社会的な権力勾配の中で、女性が不利益を被る可能性が高い。イスラーム世界では、男性が女性に『マフル(婚資)』と呼ばれる財産を贈ることが義務づけられているのですが、イスラーム法においてはこれを『ゼロにする』『支払わない』といったことは認められていません。最低限支払うべき額が定められ、それは神の権利として必ず守られるべきものとされています」
堀井教授は、この点を、近代法でいう「強行法規」に近いものとして捉えることができると指摘する。個人の合意によっても変更できない規範として位置づけられることで、社会の基盤が安定するからである。同様の考え方は、売買などの経済行為にも及び、宗教的価値観に照らして許されない行為が、明確に線引きされている。
こうした観点から堀井教授は、「神の権利」を強行法規に、「人の権利」を任意法規に対応させて理解する枠組みを提案している。これは、公法と私法という二分法とは異なるかたちで、イスラーム法の構造を捉え直す試みである。
もっとも、イスラーム法は国家が制定した成文法ではない。では、その規範はどのようにして社会の中で実効性を持つのだろうか。
「イスラーム法は、裁判の場において判断基準として用いられてきました。裁判官自身がイスラーム法を解釈する学者でもあり、たとえばハナフィー派の裁判官であれば、その学派の法解釈に基づいて判決を下します。そうした判断が積み重なることで、『これは守らなければならない規範だ』という理解が社会に共有されていくのです」
1990年代、イスラーム法研究者は日本にほとんどいなかった
身近にあったがわからなかったイスラーム
堀井教授がイスラーム世界に関心を抱くようになった原点は、幼少期にさかのぼる。家の最寄り駅の近くにはモスクがあり、ムスリムの人びとの姿も身近にあったという。
「子ども心に、『あの人たちは一体何なのだろう』と思って親に聞いたのですが、親もよくわからず、答えられなかったのです。そこから、イスラームとは何なのだろうと強く意識するようになりました」
その素朴な疑問は、高校時代にかけて次第に学問的関心へと変わっていく。当時、日本語で読めるイスラーム関連の書籍は限られていたが、手に入るものは片端から読み進めたという。
「読んでいくうちに、イスラームでは戒律が非常に重要で、そこから法的な規範が派生しているということがわかってきました。そしてイスラーム法そのものに強く惹かれるようになったのです」
しかし当時、日本でイスラーム法を専門とする研究者はほとんど存在していなかった。そこで堀井教授は、法学部に進めば何らかの手がかりが得られるのではないかと考えた。
「高校生ですから、法学がどういった学問なのか、大学の授業がどのようなシステムなのかも、正直よくわかっていませんでした。ただ、法学部に行けばイスラーム法も学べるのではないか、さらに国際関係法学科なら世界の法律を扱うのだろう、とかなり単純に考えていたのです」
ところが、実際に進学してみると、学ぶ内容の中心は国際法であり、イスラームについて触れる機会はほとんどなかったという。だが幸い、同じ大学に外国語学部があり、そこにイスラームを専門とする教員が複数在籍していたこと、そして他学部履修がある程度認められていたこともあり、堀井教授は外国語学部のイスラーム関連の授業を積極的に履修していった。
「イスラームの授業がかなり充実していたので、後のち役に立ちました。アラビア語も大学に入ってから本格的に勉強し始めました。外国語はやはり相性がありますね。自分にとってアラビア語を学ぶのは、そこまで難しくありませんでした。後にペルシャ語やトルコ語も勉強しましたが、そちらは非常に苦労しました」
大学院進学にあたっては、外国語学部で指導を受けたイスラーム研究の教員から助言を受け、イスラームを本格的に研究できる環境へと進むことを決めた。
イスラーム法研究はさまざまなアプローチがある
堀井教授が研究の道を本格的に進もうとした当時、日本でイスラーム法を専門に研究する研究者は、ほとんど存在していなかった。そのため、大学院の指導教員からは早い段階から「海外に出るべきだ」と勧められていたという。海外にはイスラーム法研究に携わる研究者層も厚く、学術的な蓄積も豊富にあったからだ。
「イスラーム法をテーマにした修士論文作成の過程で様々な研究に出会い、最終的にドイツへの博士留学を決めました。今でこそドイツの大学でも英語で授業を受けたり、英語で博士論文を書いたりすることができますが、当時は博士論文をドイツ語で書く必要があり、それはかなり大変でしたね」
ドイツ・ケルン大学で研究を重ね、日本に帰国した堀井教授は、結果的にイスラーム法研究の分野で数少ない専門研究者の一人となった。
「しかし、イスラーム法そのものを学説レベルで正面から研究している人は確かに少ないかもしれませんが、この分野は非常に多様なアプローチがあります。たとえば、オスマン帝国史の研究者の中には、研究史料としてイスラーム法の文書を扱っている人も少なくありません」
オスマン帝国史で扱われる史料には、裁判文書や寄進財産に関する記録など、イスラーム法と密接に関わるものが多い。そうした史料を読み解く過程で、結果的にイスラーム法研究と重なり合う領域が生まれるのだという。
「最終的には、自分をイスラーム法の研究者として位置づけるのか、それともオスマン帝国史の研究者として位置づけるのか。その立場の取り方によって肩書きが異なるだけなのです」
イスラーム法を理解するとは、膨大な解釈の蓄積を読み込んでいくこと
オスマン帝国よりも前に遡って検討したい
堀井教授が近年特に関心を寄せているのが、国家政策とイスラーム法との関係である。イスラーム法は学説法であるため、国家権力の影響をあまり受けてこなかったと捉えられることも少なくない。しかし近年では、国家がイスラーム法の形成や運用に一定の影響を及ぼしてきたことを示す研究も徐々に蓄積されつつあり、まさにその点が現在の関心分野なのだという。
国家とイスラーム法の関係は、単純な一方向の影響関係ではない。時代の推移に沿って連続的に捉えられる側面もあれば、それぞれの時代状況に応じて大きく様相を変える側面もある。そうした複雑な変化を、歴史の中で丁寧に読み解いていく必要があると堀井教授は考えている。
「対象地域としては、これまで専門としてきたエジプトが中心になるでしょう。特に13〜14世紀のマムルーク朝の時代は、国家の影響力が非常に大きかった。そのため、国家がイスラーム法にどのような影響を及ぼしたのかという点については、マムルーク朝やオスマン帝国を対象とした研究が比較的多く存在します。ただ、個人的には、そうした時代よりもさらに遡って検討できるのではないかと考えていて、そこに取り組んでいきたいと思っています」
神の権利、人の権利、そして国家の介入——。これらが歴史の中でどのように位置づけられ、どのようなバランスで重なり合ってきたのかを追っていくことで、その関係性がより鮮明に浮かび上がってくるはずだという。
極端な解釈を否定し、解釈の多様性を保っていくこと
イスラーム法については近年、特に否定的なイメージの中で語られる場面が少なくないと、堀井教授は語る。その背景には、近代国家の成立と法制度の変化が大きく関わっているという。
「現代の国家では、法律は基本的に国家が制定するものです。イスラーム法を現代社会の中で“正式な法”として機能させようとすると、どうしても国家の法制度の中に組み込む必要が出てきます。そうすると、さまざまな問題で解釈が1つに絞られ,それだけがイスラーム法なのだと理解されるようになります」
しかし本来、イスラーム法には成文法典のような単一のテキストが存在せず、多くの法学書や学説の積み重ねによって形成されてきた。イスラーム法を理解するとは、そうした膨大な解釈の蓄積を読み解くことにほかならない。
「研究者であれば、文献を読み込みながら解釈の幅や多様性を学ぶことができますが、一般の市民がそれを行うのは現実的に非常に難しい。結果として、イスラーム法が本来持っていた解釈の多様性が、徐々に社会の中で共有されなくなってきている側面があります」
そうした状況の中では、特定の立場に基づく極端な解釈が生じやすくなる。タリバンなどに代表される急進的な動きは、その象徴的な例だという。
「タリバンやイランの事例を見ても、権力を握った人たちが『これがイスラーム法(シャリーア)だ』と一方的に定義してしまう。すると、本来は社会の基盤を安定させるために、たとえば婚資(マフル)によって女性の権利を守ってきたイスラーム法が、逆に女性を抑圧する道具として用いられてしまうのです」
こうした極端な解釈に対抗するために、学問は何ができるのか。堀井教授は、決して容易な課題ではないとしつつも、学者の役割は明確だと語る。
「イスラーム法には本来、多様な解釈の伝統があるということを、示し続けていくしかありません。タリバンのような人たちは、そもそもそうした伝統を継承していない。だからこそ、『それが唯一のシャリーアではない』と、根拠をもって否定していく必要があるのです。日本の人たちにとって、イスラーム法はとても異質なものに見えるかもしれません。しかし、よく見ていくと、法的な考え方の中には身近なものも多くあります。もちろん異なる部分もありますが、現代社会にも通じる要素は少なくありません」
10年以上にわたって続けてきたメジェッレの翻訳プロジェクトも、現在は終盤に差し掛かっている。ただし、訳語の整理や概念のすり合わせなど、なお多くの課題が残されているという。
「積み残している作業はまだたくさんあります。正直、いつ完全な形にできるかは見通せない部分もありますが、一つひとつ丁寧に片付けていくしかありません」
極端な解釈が声高に語られる時代だからこそ、イスラーム法が本来備えてきた厚みと多様性を、粘り強く示し続ける。その地道な営みこそが、研究の現在地なのだ。
教員紹介
Profile
堀井 聡江教授
Satoe Horii
東京都出身。東京大学大学院 人文社会系研究科 宗教学・宗教史学イスラム学専修 修士課程修了 文学修士。ケルン大学(ドイツ)博士課程修了 Ph.D。日本学術振興会 特別研究員、東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 非常勤研究員などを経て、2007年より桜美林大学に着任。単著に『イスラーム法通史』(山川出版社)、『シャリーアの「変容」 近代との邂逅』(山川出版社)、共著に『イスラーム法研究入門』(成文堂)など他多数。
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