• リベラルアーツ学群

    社会領域教育学

斎藤 遼太郎 准教授

Ryotaro Saito

斎藤遼太郎先生がインタビューに応じている様子
  • 保育・療育・学校をつなぐ地域連携の仕組みづくりを研究
  • 小学校教諭を志した経験が、特別支援教育研究の原点に
  • 特別支援を“当たり前”の教育として地域へ広げたい
斎藤遼太郎先生がインタビューに応じている様子

特別支援教育から、
すべての子どもの学びを考える

一人ひとりに合った学び方は、
教育全体に通じている

「特別支援教育は、障害のある子どもだけを対象にした、特別な教育ではありません。一人ひとりの教育的ニーズを捉え、その子に合った学び方や環境を考えることは、すべての教育に通じる視点でもあります」

そう語るのは、リベラルアーツ学群で「特別支援教育」を専門とする斎藤遼太郎准教授だ。特別支援教育と聞くと、特別な教育的ニーズのある子どもへの支援を思い浮かべる人も多い。しかし、子ども一人ひとりが学びやすくなるための工夫は、障害の有無にかかわらず、多くの子どもにとって役立つものでもある。斎藤准教授は、「ユニバーサルデザイン」の考え方を例に次のように語る。

「たとえば先生が授業で指示を出すとき、口頭だけで伝えるのではなく、手順を紙にして示し、そこに番号を振って『まずは1番を見てね』と伝える。そうすると、耳で聞くだけでなく、目で文字を確認でき、順序も分かります。これは、ユニバーサルデザインと特別支援の共通点を示す、わかりやすい代表例だと思います」

認知特性の研究を通じて
日々の支援の手がかりを見出す

特別支援教育の分野は、知的障害、肢体不自由、病弱、視覚障害、聴覚障害、発達障害など、幅広い領域にわたる。このうち斎藤准教授は大学院時代、知的障害や発達障害のある子どもの認知特性に着目した心理実験に取り組んできた。

その一つが、「キャンセレーションタスク」を用いた研究である。キャンセレーションタスクとは、複数の刺激の中から、指定された対象を探し出す課題を指す。斎藤准教授はこの課題を通じて、知的障害のある人がどのように情報を捉え、行動につなげているのかを明らかにしてきた。

「大学院では、実際に子どもや大学生に作業してもらい、その結果を分析する実験心理の研究を行っていました。たとえば、犬や猫、うさぎ、鉛筆などのイラストをたくさん並べた中から、『犬の絵だけに線を引いてください』と伝え、どのように対象を探すのかを見ていく。そうした作業を通じて、知的障害のある方の記憶や注意の働きを調べていました」

研究の結果、同時に探す対象が増えると、知的障害のある人にとって負荷が大きくなることが明らかになった。また、目標物を声に出しながら探すことが、必ずしも成績の向上につながるわけではないことや、文字とイラストでは、探しやすい配置のあり方が異なる可能性も示された。

「たとえば、何かを探すときに『声に出したほうがよい』と考えられることがあります。しかし、知的障害のある方の場合、声に出すことが探索の助けになるとは限らないことがわかりました。また、文字を探す場合は整然と並んでいたほうが探しやすい一方で、イラストの場合は、必ずしもきれいに整っていることだけがよいとは限らないことも明らかになっています。こうした結果は、日常生活の中でどのような提示の仕方が本人にとってわかりやすいのかを考える手がかりになると思います」

保育・療育・学校をつなぎ、
子どもの就学を支える

斎藤准教授は近年、保育所・幼稚園・児童発達支援・学童保育・小学校など、子どもを取り巻く機関同士の連携を主軸にした研究を展開している。同テーマに取り組むようになった背景には、就学前後における情報共有の難しさがある。

「保育所や幼稚園では、遊びや生活を中心に子どもの育ちを支えています。一方で、小学校に入ると、教科書や時間割に沿って学ぶ時間が増え、評価の仕組みも変わっていきます。もちろん、それ自体は必要なことですが、知的障害や発達障害のある子どもの多くは、新しい環境に慣れることに時間がかかる傾向があります。そのため、関わる人や場所、活動の内容が一気に変化する小学校就学時には、本人に大きな負荷がかかることもあるのです」

小学校への移行期に子どもがつまずく要因は、学習面だけに限らない。周囲との差を感じたり、自分自身でも「できない」ことを意識したりする中で、自己肯定感や自己有用感が揺らぐこともあるという。

こうした課題に対応するため、保育所・幼稚園から小学校へ子どもの情報を引き継ぐ仕組みは整えられている。しかし現場では、連携の必要性を感じていても、日々の業務の中で十分な時間を確保しにくいことがある。また、既存のシートだけでは障害のある子どもの特性や支援の工夫を書ききれなかったり、保護者が利用する施設ごとに同じような情報を何度も記入しなければならなかったりと課題は多い。

そうした背景を踏まえ、斎藤准教授が具体策として考えているのが、子どもに関わる複数の機関の情報を一つにつなぐ、統合的な情報共有シートだ。

「保育所から小学校へ情報を送る仕組みや、障害のある子ども向けの就学支援シートはあります。ただ、障害のある子どもの場合、保育所や幼稚園だけでなく、児童発達支援の施設にも通っていることがあります。さらに就学後には、学童保育や放課後等デイサービスを利用することもある。そうした複数の施設から、それぞれ別々に情報が送られると、小学校の先生にとっても整理が大変になりますし、保護者の方も何度も同じような情報を書くことになります。だからこそ、関係する機関の情報を一つにまとめ、就学をよりスムーズにつなぐシートを作れないかと考えています」

シートに記録するのは、子どもの困りごとだけではない。どのような場面で落ち着いて過ごせるのか、どのような声かけや環境調整が有効なのかといった、日々の関わりの中で見えてきた情報も含まれる。斎藤准教授は、そうした情報を就学前後で共有することが、子どもと支援者の双方を支える手がかりになると考えている。

「障害のある子どもの支援では、表に見えている行動だけでなく、その背景にあるものを捉えることがとても大切です。たとえば、園や児童発達支援の場で見えていた本人の特性や、落ち着いて過ごすための工夫が、小学校に十分に伝わっていれば、受け入れる側の先生たちも事前に準備しやすくなります。環境の変化を完全になくすことは難しいですが、関係する機関が情報を共有し、子どもが少しでも安心して次の場所に進める環境を整えたいと考えています」

Column

小1プロブレムとは?

保育園や幼稚園から小学校への移行は、障害の有無にかかわらず、子どもにとって大きな変化となる。入学後、授業中に座っていられない、先生の話を聞けない、集団行動になじめないなど、学校生活への適応に難しさが生じる状態は「小1プロブレム」と呼ばれる。その背景にあるのは、遊びや生活を中心とした環境から、時間割や教科学習を中心とした環境への変化だ。環境の変化に不安を感じやすい子どもにとっては特に、入学前後の丁寧な情報共有や支援の連続性が重要となる。

小学校教諭を志した経験が
特別支援教育の研究者になる原点に

担任の言葉が小学校教諭への夢を確かなものにした経験について語る斎藤遼太郎先生

担任の言葉が
小学校教諭への夢を確かなものにした

斎藤准教授が教育領域に関心を持ち始めたのは、自身が小学6年生の頃だったという。当初の夢は小学校教諭。そこからさまざまな転機を経て、現在のキャリアを築いてきた。

最初に小学校教諭を志すきっかけになったのは、当時放映されていたテレビドラマ『ガッコの先生』だったという。一方で、自身の実体験による影響も大きかった。斎藤准教授のクラスは、特別支援学級に在籍する児童と一緒に活動する交流級だった。移動教室などの場面で、自然と知的障害のある児童と関わる役割を担っていた斎藤准教授に、担任の先生がかけた言葉がある。

「その子は、距離感が近い傾向にあり、身近な人の体に触れることも多々ありました。ただ、自分はそれを拒絶することなく、ありのままに受け止めていたのだと思います。その様子を見た担任の先生が、『小学校の先生、向いてるね』と言ってくださいました。今思うと、障害のある子どもとの関わり方を自然に考えられる人だという意味を込めて、声をかけてくださったのかなと受け止めています」

教員を志す仲間の中で
特別支援教育と出会う

小学校教諭への思いを胸に、中学校、高校へと進学し、進路選択の時期を迎えた。斎藤准教授が通っていたのは、東京大学を目指す生徒も多い進学校だった。一方、東京大学には小学校教諭の免許を取得する課程がない。大学で幅広く学んだうえで別の方法で教員免許を取るのか、それとも教員養成に力を入れる東京学芸大学に進むのか。2つの選択で揺れる中、最終的に東京学芸大学を選んだ理由について、斎藤准教授はこう振り返る。

「当時、より難関の大学を目指して、教員免許は別の方法で取る道もあるのではないかと考えたこともありました。ただ、東京学芸大学であれば、周りも学校の先生を目指している人たちです。進路選択について友人に相談したところ、『同じ夢を目指す人たちの中で学んだほうがいいのではないか』と言ってくれ、志望校を決めたことを今でも覚えています」

大学進学後も、小学校教諭になる夢は変わらなかった。また、当時は特別支援についても「障害の『し』の字もわからなかった」という。そんな斎藤准教授にとって転機となったのが、大学でのサークル活動だった。

「大学時代には、障害のある子どもたちの余暇支援を行うサークルで活動していました。土日に出かけたり、公民館を借りて工作をしたりするサークルです。障害のある子どもたちの支援に関心があって入ったわけではなく、同じ学部の友人についていく形で見学に行き、『子どもと遊べるなら』と参加を決めました。しかし、いざ活動を始めてみると、障害のある子どもたちは、表情や気持ちを素直に出してくれることが多く、少しできたことも本人たちの成長につながっているように感じました。その経験が自分の中に“刺さった”のだと思います。学部2年生になる頃には特別支援学校の免許も取りたいと思うようになっていきました」

思いがけない出来事が
特別支援教育の研究へ導いた

大学卒業後は大学院に進学し、修士課程修了後に小学校教諭になることを考えていた斎藤准教授。しかし、予定していた修士課程への申し込みを忘れてしまい、進路を選び直すことになる。その先で出会ったのが、東京学芸大学の特別支援教育特別専攻科だった。

「もともと大学院に進むつもりで大学に入っていましたが、大学院の申し込みを忘れてしまったので、同じ東京学芸大学にあった特別支援教育特別専攻科を受験しました。1年間で特別支援の専修免許状を取得できるコースで、そのコースに進む選択をしたことが、特別支援教育の研究へ進む大きなきっかけになりました」

その後、斎藤准教授は東京学芸大学大学院教育学研究科特別支援教育専攻の修士課程に進み、特別支援教育を専門とする奥住秀之先生のもとで研究を進める。奥住先生の研究室では、実験心理の手法を用いた研究が行われており、斎藤准教授はここで、研究計画の立て方や統計処理の基礎を学んだ。その経験は、前述の「キャンセレーションタスク」を用いた研究にも生かされていく。

「当時から地域支援や地域との関わりにも関心がありましたが、修士・博士課程で研究を進めていくうえでは、実験心理の方法を用いた研究に取り組むことになりました。自分自身も数学などが好きだったので、実験を計画し、データを取り、結果を分析することはとても楽しかったです。統計処理のいろはも含めて教えていただきましたし、その経験は今の研究にも生きていると思います」

修士2年次までは、小学校教諭になるつもりでいた。しかし同じ時期に、若手研究者を支援する日本学術振興会の特別研究員に内定したことが、進路を考えるもう一つの転機となった。博士課程へ進み、大学教員を目指す道が現実味を帯びる中で、斎藤准教授は自身が向き合いたい「教育」の対象が、小学生だけに限らないことに気づいていった。

「もともとは小学校の先生になりたいという思いがありました。ただ、日本学術振興会の特別研究員に内定をいただいたときに、研究者の道に進むべきなのかもしれないと考えるようになりました。さらに、当時の研究室には、大学院生が学部生を指導する仕組みが整っていたことも大きかったように思います。学部生と一緒に研究を考えたり、卒業論文の文章を見たりする中で、自分がやりたいのは『教育』であって、必ずしも対象が小学生でなくてもいいのだと気づいたのです。大学生への教育もおもしろいし、研究を通じて学校現場とも関わることができる。さまざまな出来事が重なり、大学教員を目指すことに決めました」

「保育」と「教育」の接続から、
地域連携への関心が深まった

東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科の博士課程修了後は、茨城キリスト教大学文学部児童教育学科に着任した。同学科は、幼稚園教諭や保育士、小学校教諭など、子どもの育ちに関わる人材を養成する学科だった。そこで保育士を目指す学生に向けて「障害児保育」の授業を担当したことが、現在の研究の主軸である「地域連携」への問題意識を深めるきっかけとなったという。

「以前勤めていた大学は、教育と保育がセットになった学科でした。保育士を目指す学生も多く、私自身も『障害児保育』という授業を担当していました。その中で、障害のある子どもの幼児期の支援について調べるようになり、特に気になったのが、保育所や幼稚園から小学校へ上がるときの連携です。保育の段階から小学校に進むときは、とても大きなハードルがあるのだと感じました」

また、遡れば、大学生時代に行っていた学童保育でのアルバイト経験も大きい。きっかけは、大学時代に所属していた余暇支援のサークルだった。サークルに参加していた子どもの保護者から、学童保育で障害のある子どもに関わる人手が足りないと声をかけられたという。

「学部3年生の頃から、学童保育でアルバイトをしていました。そこで関わっていたのは、重度の知的障害と肢体不自由のある子どもでした。車いすを使っていて、食事やトイレなど、生活のさまざまな場面で介助が必要でした。その子が小学4年生から中学2年生になるまで、5年ほど関わらせていただいたのですが、その子に合った関わり方を考えることの大切さを実感しました」

学童保育も学校も、子どもに関わる大切な場である。しかし、それぞれの場で見えている子どもの姿や支援の工夫が、十分に共有されているとは限らない。斎藤准教授は、こうした経験も現在の地域連携への関心につながっていると語る。

「学校で見えている姿と、学童保育で見えている姿は、必ずしも同じではありません。だからこそ、それぞれの場所でどのような支援が必要なのか、どのような関わり方が本人に合っているのかを共有することが大切だと思います。学童保育での経験を通じて、学校だけでなく、子どもが過ごす地域のさまざまな場所が連携していく必要性を感じるようになりました」

特別支援を“当たり前”の教育へ

キャンパス内で佇む斎藤遼太郎先生

一人ひとりに合わせる教育を、
学校と地域に根づかせたい

斎藤准教授は、特別支援教育を「教育の原点」と捉えている。一人ひとりの子どもの状態やニーズに応じて、学び方や支援の方法を考えることは、特別支援教育に限らず、あらゆる教育に通じる視点だからだ。

「特別支援教育は、教育の原点だとよく言われます。なぜかというと、一人ひとりに合わせた教育を大事にする分野だからです。今の学校教育は一斉指導が中心になっている面もありますが、もともと教育は、一人ひとりに合わせて行われていたものだと思います。特別支援教育を学ぶことは、教育の本質を見直すことにもつながるのではないでしょうか」

一方で、斎藤准教授には、特別支援が「特別な支援」でなくなることへの願いもある。障害のある子どもだけではなく、すべての子どもにとって必要な支援が、日常の教育の中で当たり前に行われること。その実現に向けて、研究者として地域連携の仕組みづくりに取り組みながら、教育者として教職を目指す学生たちとも向き合っている。

「私自身は、“研究者”というより、教育者を軸とした活動に研究者としての役割が加わっている、という意識があります。桜美林大学で教職を目指す学生たちの夢を応援したいですし、そのためにできることは何でもやっていきたいと思っています。特別支援が、“当たり前”の支援や先生たちの“当たり前”の考え方に落とし込まれていくことが、最後の目標なのかもしれません」

そのためにも、斎藤准教授が今後形にしたいと考えているのが、子どもに関わる機関同士の連携を支える仕組みづくりだ。児童発達支援、保育所、幼稚園、学童保育、放課後等デイサービス、小学校など、複数の場で見えている子どもの姿を、どのようにつなげていくのか。具体的な方法はまだ模索の途中だが、斎藤准教授はそれを「生涯の目標」と語る。

「障害のある子どもを支えるうえでは、保育所や幼稚園、小学校だけでなく、児童発達支援や学童保育、放課後等デイサービスなど、いろいろな場との連携が必要になります。まだ具体的に動いているわけではありませんが、どこかの自治体と協力しながら、関係する機関が顔を合わせ、子どもの情報を無理なく共有できるような体制をつくっていけたらと考えています。就学をもっとスムーズにつなぐ仕組みをつくることは、自分にとって生涯の目標の一つです」

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む斎藤遼太郎先生

斎藤 遼太郎准教授

Ryotaro Saito

1989年神奈川県生まれ。東京学芸大学教育学部を卒業後、東京学芸大学特別支援教育特別専攻科を修了。その後、同大学大学院教育学研究科特別支援教育専攻の修士課程を修了し、さらに同大学大学院連合学校教育学研究科発達支援講座の博士(教育学)を修了。大学時代は障害のある子どもたちの余暇支援に関わるサークル活動や学童保育での経験を通じて、特別支援教育への関心を深める。大学院では、知的障害や発達障害のある子どもの認知特性に着目し、視覚探索や注意・記憶に関する研究に取り組んだ。茨城キリスト教大学文学部児童教育学科助教、講師、准教授を経て、2026年4月より桜美林大学リベラルアーツ学群に着任。現在は、特別な教育的ニーズのある子どもへの支援に加え、保育所・幼稚園・児童発達支援・学童保育・小学校など、子どもを取り巻く機関同士の連携にも関心を広げている。

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