• リベラルアーツ学群

    社会領域文化人類学

    統合領域ジェンダー研究

工藤 正子 教授

Masako Kudo

工藤正子先生がインタビューに応じている様子
  • 在日ムスリム社会のダイナミズム
  • 国境を越える家族
  • ステレオタイプを乗り越える
工藤正子先生がインタビューに応じている様子

在日ムスリム社会のダイナミズム

1980年代後半に日本で急増したイスラーム教徒

日本に暮らすイスラーム教徒(以下、ムスリム)の数は、1980年代後半以降パキスタンやバングラデシュなどから、働くことを目的に若者たち(主に男性)が来日したことを機に急増した。その後、新規入国者は減少したものの、インドネシアなど東南アジアの国々からのムスリムも増加するなどして、多様な言語的、文化的背景をもつ人々から成るムスリム・コミュニティが日本に形成されてきた。

リベラルアーツ学群の工藤正子教授が、日本に暮らすパキスタン人ムスリムとその家族の間でフィールドワークを始めたのは1990年代末。東京の都市部や近郊に、新たなモスクが次々と建ち始めた時期だった。

「それまで日本にあったのは、20世紀前半にインド系商人やタタール系の難民の人々が中心となって神戸や東京などの都市中心部に建設したモスクでした。しかし1990年代に入ると、新たに来日したムスリムたちが暮らす地域にもモスクが設けられるようになりました。私はそうしたモスクを訪れ、出入りさせてもらいながら研究を始めました。モスクでは男女の空間が分かれているため、女性のスペースに受け入れてもらい、話を聞くようになりました。そこで外国人ムスリムと結婚してまもない日本人女性たちに会い、家庭を訪ねたり、一緒に食事をさせてもらったりしながら交流を重ねてきました」

ムスリムになった日本人女性たち

工藤教授は、モスクに集う女性たちのなかでも、とくにパキスタン人ムスリムと結婚した女性たちとその家族を対象に研究を進めていった。

「外国人ムスリム男性と結婚する日本人女性は、多くの場合、イスラーム教に改宗します。ただし、これはすべての外国人ムスリムとの結婚に共通するわけではありません。イスラーム諸国でも、ムスリムの結婚に関する規定は国によって異なります。パキスタンでは、男性ムスリムがムスリム以外と結婚する場合、相手の女性が“啓典の民”、つまり、基本的にはキリスト教やユダヤ教の信徒であれば、結婚は可能です。そのいずれでもない日本人女性の場合は、結婚に先立ってイスラーム教へ改宗することになったのです」

結婚生活におけるイスラーム

結婚を機にイスラームに入信した日本人女性たちは、その後、自分がムスリムであることをどのように捉えていったのだろうか。

「わたしが話を聞いた女性たちの場合、当初はパキスタン人男性との結婚手続きをきっかけとした改宗にすぎなかったのが、子どもが生まれると状況が変わってきたようです。子どもをムスリムとして育てることへの夫からの期待と、同調圧力の強い日本社会の間で悩む女性も少なくありませんでした」

モスクで出会った日本人女性たちは、子どもに教えるために自らがイスラームの知識を身につけようと、モスクなどでの勉強会に通い始めたケースが多かった。話を聞いた女性たちの間では、そうした場で他のムスリム女性たちと交流するなかで、一口にムスリムの宗教観といっても実際には多様であることに気づき始めたケースが少なくなかった。

「たとえば、『イスラームの女性はこういう恰好をするよ』と夫から言われても、そうした女性像には実はイスラームの教えだけでなく、パキスタンの文化も影響しているのでは、と考え始める女性もいました。女性たちは、そうした気づきをきっかけに、家庭生活のなかで『本当のイスラームとは何か』を問い始め、一方で、外の社会でも“日本人ムスリム”としての自分のあり方を模索していくのです」

また、夫たちの側の変化もある。日本に出稼ぎ目的で来日したムスリム男性たちは、地域や職場で肌の色や宗教などによる偏見や差別に直面してきた。そうした経験を通じて、ムスリムであることの意味を問い直すようになった男性たちもいる。さらに、結婚後は職業的にも夫たちの生活環境は大きく変化した。1980年代後半に来日したパキスタン人男性の多くは当初、工場労働などに従事していたが、結婚後は中古車輸出業を始める人が増えたという。すると、彼らの生活圏は日本社会だけでなく、パキスタン人男性の同業者コミュニティや、海外の取引相手との関係にも拡がっていく。一方、日本人の妻たちは、子どもが学校に通い始めると、子どもの学校や地域社会での関係が生活の比重を占めるようになる。そうしたなかで女性たちは妻や母として、夫と日本社会の橋渡し役を担う立場におかれ、さまざまな葛藤も経験していく。

このように、日本人女性たちは結婚を機にマジョリティからマイノリティとなり、宗教や文化の境界を行き来しながら暮らしていくことになる。女性たちはその狭間で模索しながら、自分なりの信仰と生き方を築いてきた。こうした女性たちの姿を、モスクなどでのフィールドワークを通じて工藤教授は見つめてきた。

国境を越える家族

海外で子育てする日本人女性について語る工藤正子先生

海外で子育てする日本人女性たち

1990年代前後に結婚をとおしてムスリムとなった日本人女性たちは、子どもが就学する頃になると、「どんな価値観のもとで子育てをしていくのか」という課題に直面するケースが目立ったという。

「子どもが小学校に上がる年齢になると、パキスタンやアラブ首長国連邦などに移住し、現地で子どもを育てる家庭もでてきました。例えば、2000年代初期までに私の研究に参加してくれた女性たち40名でみると、14名、つまり約3分の1の家庭でそうした選択をしていました。この数が当時のパキスタン人男性と日本人女性の家庭全体を代表するわけではありませんが、わたしが研究した範囲でみれば、決して少なくない割合が子どもを海外で育てる選択をしたことがわかります。こうした経緯で、夫の多くは仕事を続けるために日本に残り、妻と子どもが海外に移り住み、互いを訪ね合う“国境を越える家族”が形成されてきました」

このように、国境を行き来する家族が日本人女性とパキスタン人男性の夫婦の間で見られるようになった。しかし、こうした夫婦のほかにも、さまざまな理由で国境を越えて分散する家族は東アジアでふえており、決して珍しいものではないという。それでは、海外に子どもを連れて移住した後の日本人女性たちの生活はどのようなものだったのだろうか。

「日本にいるときは、国籍の上では日本人としてマジョリティでありながら、宗教的にはマイノリティという立場でした。パキスタンに移住すると、ムスリムが圧倒的多数を占めるため、宗教的には多数派になります。しかし、日本では“国民”であったのが、パキスタンでは一転して“外国人女性”となり、言語や文化の面でもマイノリティになります。そうした立ち位置の変化のなかで、女性たちは日々の子育てをとおして移住先の社会と関わり、自分自身のアイデンティティや役割を問い直すようになるのです」

トランスナショナルな子ども時代を経験した若者たち

つづいて工藤教授が焦点を当てたのは、こうして国境を越える家族で育ち、「トランスナショナルな子ども時代」を経験した若者たちの姿である。海外で成長した子どもたちは、2025年現在、20~30代を迎え、多くは日本で進学したり、就職したりしている。工藤教授は、これら若者たちへのインタビューを通じて、彼ら彼女らがこれまでの経験をどのように捉え、日本や他国で新しい生き方を創り出してきたのかを理解しようとしてきた。

「パキスタンに移住した場合、都市の比較的裕福な家庭の子どもたちが通う学校が選ばれるケースが少なくありませんでした。そうした学校は教授言語が英語中心で、インターナショナルな雰囲気の学校もあります。しかし一歩外に出れば、社会にはイスラーム的、パキスタン的な文化や価値観が浸透しています。さらに、夏休みなどには日本に帰国し、短期ですが日本の学校に通うケースもありました。このように成長過程で複数の文化や宗教の間を行ったり来たりする経験をもつ子どもたちは、日本やパキスタンの社会、そしてイスラームに対して、一歩引いて冷静に見つめる視座を獲得してきたようです」

こうして海外で成長した子どもたちは、主として英語で教育を受けてきていても、その多くは日本に帰国している。高校、大学進学、就職など、帰国のタイミングはさまざまだが、それぞれの選択の背景にあるのは、教育・就職といった進路に関わる戦略だけではない。そこには、家族への思いや感情、そして、子ども時代を過ごした複数の場所での記憶や経験が複雑に関係し合っていたという。そうした若者たちの帰国後の生活はどのようなものなのだろうか。

「子どものときには日本への一時帰国を楽しみにしていたのに対して、日本で暮らすようになってからは、必ずしも思い描いていたような“故郷”ではなく、外見で特別視されたり、育ってきたことばや文化の違いから日本社会に距離を感じることもあります。宗教への関心が薄い日本では、イスラームへの固定観念だけでなく、宗教そのものへの偏見も存在します。これらの理由から帰国後は疎外感を覚える若者もいます。その一方で、若者たちは日本でさまざまなかたちで居場所を創り出し、世界各地にいる友人や家族とも、オンラインや実際の訪問などを通じて関係を維持しています。こうしたグローバルな関係性も『自分とは何者で、どこに帰属するのか』に関わる感覚を育む要素となっています」

イギリスのムスリム社会

キャンパス内で腰掛ける工藤正子先生

移民集住都市バーミンガムでのフィールドワーク

日本人女性とパキスタン人男性がつくる家族の軌跡を追い続ける一方で、工藤教授は新たな調査拠点を得た。ヨーロッパの移民社会を研究するプロジェクトへの参加をきっかけに、2006年以降、イギリスのバーミンガム市を中心にムスリム・コミュニティでのフィールドワークを始めることになったのである。

「イギリスでは、第二次世界大戦後の労働力不足を背景とした旧植民地からの移民受け入れや、その後の家族の呼び寄せなどをへて、すでにムスリム・コミュニティが世代を重ねています。移民が集住する都市では、移民コミュニティに入れば、その規模はマイノリティであることを意識させないほどです。その一方で、一歩外に出れば深刻な差別が存在する現実もあります」

工藤教授は、パキスタン系移民の第二世代に聞き取り調査を行ったあと、2010年代に第三世代の若者たちの間でも調査を行った。その結果によれば、これら若者たちの多くは、自らを「パキスタン系」としてだけでなく、「イギリス人(British)」としても強く意識していたという。さらに、移民第二世代である親たちのなかには、「第三世代の若い人たちにとって、もうパキスタンだけが“第二の故郷”じゃないの。日本で研修した人もいるし、若い人たちの目はもっとグローバルに向いているのよ」と話してくれた人もいる。しかし、その一方で、若い世代はムスリムである自分も大切にし、自らの宗教的アイデンティティを柔軟に表現している様子が見てとれたという。

「若いムスリム女性たちは、上の世代、とくに移民第一世代の祖母がパキスタンの民族衣装を日常的に身にまとうのに対して、中東風のヒジャーブ(ムスリム女性の被り物)を現代的にアレンジして選ぶなど、着るもののトレンドにも敏感です。イスラーム嫌悪(イスラームへの偏見や差別)が高まるなど社会状況は刻々と変化していますが、彼女たちは上の世代のやり方をそのまま受け継ぐのではなく、現代イギリスを生きる若いムスリム女性として自身のアイデンティティを主体的に表現しています。もちろん、ムスリム社会は非常に層が厚く、女性たちの装いを例にしても、社会階層や世代、移住の歴史、そして生活の場面などによって多様であり、そこにイギリスのムスリム社会のダイナミックな実像をみることができます」

文化人類学から世界をみる

異文化を内側から捉える

工藤教授が文化人類学に最初に関心を抱いたのは大学時代。社会学の授業で文化人類学や民俗学についても学んだことがきっかけだという。

「文化人類学の魅力は、異文化を遠くから眺めるのではなく、現地の人々の内なる世界に入り込み、できる限り同じ目線で世界を眺めようとする姿勢にあります。そうして見えてくる文化は、決して“不変”のものではありません。そこには、世代やジェンダーなどによる違いがあり、また、外からのグローバルな人やモノ、情報の流れも複雑に絡み合います。こうしたなかで、人々はそれぞれの立ち位置から現実に向かい合い、ときに葛藤し、その結果、文化は常に動き続け、作り直されます。こうした異文化を内側からダイナミックに捉えるアプローチに触発され、文化人類学をもっと学びたい、と思ったのです」

もう一つの「イギリス」: 移民の眼が映し出す社会

大学を卒業後、イギリスの大学院の修士課程に進学し、文化人類学を学んだ工藤教授。その後、社会人経験を経て、再び日本の大学院で研究に取り組むことにした。そこでテーマとして選んだのが「移民」である。人が国境を越えるとき、人々が慣れ親しんだ文化、とくに、家族のかたちやジェンダー関係をめぐる価値観や日常の実践が、移住先の複数の文化が混じり合う世界でどう変化していくのかに関心を抱くようになったという。

「イギリスは移民の背景をもつ人々の多い国ですが、留学時代をすごした当時のスコットランドのエディンバラの、とりわけ大学という環境のなかで、留学生以外の移民の姿はあまり身近ではなく、目も向いていませんでした。ところが、その後、日本の大学院で文献を読み進めるうちに、イギリスの旧植民地出身の移民たちが第二次世界大戦後に築いたコミュニティが見えてきました。とくに、かつて製造業が盛んだったバーミンガムやマンチェスターに生きるインド系やパキスタン系の移民たちの世界が、文化人類学者らが描き出したエスノグラフィー(民族誌)をとおして鮮やかに浮かび上がってきたのです」

日本の大学院で研究を再開した1990年代後半には、1980年代後半に来日したパキスタンの若者たちが日本人女性と出会い、家族を形成しつつあった。博士課程に進学してから、そうした日本のパキスタン人コミュニティに着目し、関東圏でのフィールドワークを開始。そのなかで、パキスタン人ムスリムとの結婚を機にイスラーム教に改宗した日本人女性たちを対象に研究を進めていくようになったのだ。

ステレオタイプを乗り越える

日本社会で定着するムスリムのコミュニティ

イギリスと比べると、日本のムスリム・コミュニティは小規模だが、世代を重ねながら地域社会に根づきつつあると工藤教授は語る。店田廣文・早稲田大学名誉教授が2025年に発表した資料 “Estimate of Muslim Population in Japan, 2025” (多民族多世代社会研究所)によれば、2024年末時点で日本に暮らすムスリムは、およそ42万人(うち日本人は約55,000人)と推計されている。

「ムスリム人口は増加していますが、日本社会ではマイノリティの立場にあります。2001年の米国同時多発テロの後には、世界的にイスラームへの偏見や誤解が広まり、日本でも少なからず影響がありました。またムスリムの人々は、日本社会では一般的に宗教そのものが理解されにくい、という問題にも直面してきました。例えば、2000年代頃は、新たに形成されたムスリム家庭の子どもたちの多くが小学校にあがる時期でしたが、給食で『豚肉が食べられない』と聞いた教員やほかの保護者から『ほかの子と一緒じゃないとかわいそう』、『日本人なのにどうして?』と言われたりすることもあったようです。同じムスリムでも食べ物に関わる考え方や実践は多様ですが、その多くにとって、食べ物は生命維持のためだけでなく、信仰やアイデンティティをも支える重要なものです。イスラーム教以外にも、食べてはならないとされるものがあり、その教えを守ることとアイデンティティが深く結びついている宗教は少なくありません。こうしたことは、地域や学校で “みんな同じ”という同質性が重んじられる日本社会では忘れられがちです。ムスリムの食をとおして多様な背景や価値観をもつ人々の生き方に気づくことは、自分たちの“当たり前”を捉え直す貴重な機会になるはずです」

他者の声を聴き、世界を複眼で捉え直す

イスラームというと、どこか遠い世界の話のように感じる人も多いかもしれない。しかし、工藤教授によれば、私たちの身近に暮らすムスリムは増えており、日本で生まれ育ったムスリムも少なくないという。今後の日本社会は、これまで以上に多様なルーツや背景をもつ人々から構成されると予想され、多文化共生の重要性も増していくと考えられる。では、私たちはどのように社会の多様化と向き合っていけばよいのだろうか。

「やはり、“実際に話してみる”ことから見えてくることは大きいと思います。その経験をとおして、例えば、イスラームから世界がどう見えているかがわかるだけでなく、“ムスリム”として一括されがちな人々の間の多様性や変化にも気づき、自分の中にできあがっていたステレオタイプを別の角度からみることにもつながるでしょう」

他者を「外から観察する対象」として捉えるのではなく、「内側に入って関わり合う」姿勢こそが大切だと工藤教授は語る。実際、授業などで学生をモスクに連れて行き、現場での交流を通して理解を深める機会も設けているという。

「文化人類学を学ぶ醍醐味は、異文化を知るだけではありません。他者の声、とりわけ社会の中心に届きにくい声に耳を傾けることで、社会を多様な立ち位置から複眼的に見る力が身につきます。私の研究を通じて、これまで“当たり前”と思っていた日常に別の見方を発見する面白さを伝えたい。学生時代に得た気づきが、見慣れた日常や社会を問い直す第一歩になることを願っています」

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む工藤正子先生

工藤 正子教授

Masako Kudo

上智大学文学部卒。イギリス・エディンバラ大学大学院(Faculty of Social Sciences, Department of Social Anthropology)修士課程修了(Master of Science)。東京大学大学院総合文化研究科(超域文化科学専攻・文化人類学分野)博士課程修了(学術博士)。東京大学大学院 助教、京都女子大学 教授、立教大学 教授を経て、2023年4月より現職。文化人類学を専門とし、移民の家族やジェンダーについて、パキスタン系ムスリム移民を切り口に研究している。

教員情報をみる