多文化多言語のこどもたちの「声」が聴こえる学びの場を
日本語教育学の中心にあるのは「ことば」と「共生」
言語学の理論的な研究から、困難に直面するこどもたちの教育・支援、そして日本語教師の養成へ——リベラルアーツ学群の川田麻記教授が歩んできた軌跡は、「日本語教育学」という学問の幅広さを改めて認識させてくれる。そもそも日本語教育学とは、「ことば」と「共生」を中心に据えた学問である。言葉は、表面的な意思疎通のツールではなく、教育や政治、環境といった人間に不可欠な概念の理解や思考の発達において欠かすことのできない基盤となる。さらに、ことばが豊かになれば、他者とつながるための表現も豊かさを増す。いわば、ことばは人が人として生きるための拠り所。それゆえに、日本語教育学は、日本語を介した相互的、対話的な関わりの中で、互いのアイデンティティを尊重し、共に生きる道を拓くことを重要な目的とする学問なのだと川田教授は話す。
「ことばは、時を経て社会的背景などを反映する中で、生き物のように変化します。同様に、日本語教育のあり方も時代を追うごとに変化してきました。従来の日本語教育では、いわゆる“標準的”とされる日本語モノリンガルを規範とし、日本語母語話者のようになめらかで正しい日本語を習得することが優先されてきました。しかし、現在では、学習者の母語・母文化を尊重しつつ、日本語を学ぶ一人ひとりが、社会の一員として、日本語を活用し、いかに自己実現できるかを重んじる学習者中心主義の教育が展開されるようになってきました。こうした流れの中で、教師の役割も『教える』から『支援する』『共生する』、そして『連携する』へと変化しつつあります。学習者とその家族、学校、コミュニティのウェルビーングを射程に、様々な実践・研究に学際的に取り組んでいるのが日本語教育学という分野なのです」
多文化多言語のこどもたちの学びとケアのまなざし
中でも川田教授が現在深く関わっているのが、日本に暮らす言語的・文化的に多様な背景をもつこどもたちの学びを応援する取り組みだ。日本社会は、マジョリティ集団の日本語母語話者を想定して構造化されている。学校も、日本語を母語とし、日本文化を背景にもつこどもを前提として制度化されているため、多文化多言語のこどもたちは、彼女・彼らがもつ言語文化的な豊かさよりも、日本語のできなさが問題視され、教室活動から周縁化されやすい。こうした状況を改善すべく、教育現場の課題に則した実践を続けている。
「日本で暮らす多文化多言語のこどもたちにとって、日本語は生きていく上で重要な言語資源の一つです。しかし、こどもの思考の深まりや成長を考えると、日本語にとらわれすぎないことが大切です。重要なのは、日本語ができない原因をこどもに求めるのではなく、ことばの壁の向こうにあるこどもの声を聴こうとすること、こどもの声をどう学びに生かすかという“ケアのまなざし”ではないかと考えています」
「ことば」そのものへの関心から「ことばと教育」へ
留学生の友人に教えられた“独りよがり”な外国語学習
幼少期から「ことば」に対する強い好奇心を持っていた川田教授。外国語に興味をもち、それらのことばが話される国・地域にも関心をもつようになり、大学は留学プログラムが豊富な関西外国語大学に進学。外国語を学ぶ中で日本語への関心が芽生えたのは大学3年生の頃、ある留学生の友人との出会いがきっかけだった。日本語を学び始めたばかりの友人への配慮のつもりで、できるだけ英語でコミュニケーションをしようとしていたところ、「あなたはなぜ、日本語を話さない?私は日本語を学びに来たのに」と言われ、ハッとしたのだという。
「それを聞いて『なんて独りよがりなことをしていたんだ』と正直自分にショックを受けました。それから思い立って通信教育で学び始めたのが日本語教育学との出会いでした」
故郷の方言を肯定してくれた恩師との出会い
その後、1年間のアメリカ留学を経て帰国し、もっと専門的に言語学、言語教育を学びたいと思い、大学院へ進学した川田教授。そこで日本語学研究の大家であり後に恩師となる南不二男教授と出会い、ことばへの好奇心がさらに刺激されたそうだ。
「南先生は、私の母語である『土佐ことば』に関心を示してくださったんです。当時は大阪にいましたが、田舎者だと思われたくなくて、方言が出ないよう意識していたので、驚いたというか、嬉しかったですね。南先生は、『土佐ことば』が歴史的にも地理的にも特徴的で貴重な方言であることを教えてくださり、私の母語を価値づけしてくださいました。とても励まされ、それがきっかけで、修士論文では土佐方言アクセントの通時的研究に取り組みました」
芽生えたのは「日本語教育の現場に活きる言語研究を」という思い
教育現場の問いに応える言語研究へ
修士論文でアクセント研究に取り組む中で、音声学・音韻論への関心が高まった川田教授。言語研究と言語教育の両面をさらに学ぶためにウィスコンシン大学マディソン校の日本語学Ph.D.プログラムへ進む。談話分析や相互行為言語学を学び、ことばの振る舞いの面白さに没頭していった。「“知らないよ〜だっ”の “だっ”って何?」「“はいはいはい”ってなんで3回いうの?」「“えっ”って本当に感動詞?」音調や会話の相手との共有知識の想定、会話の連鎖の構造から垣間見える人の思考、行為、そしてことばの機能。ことばに対する素朴な疑問を解き明かすプロセスは楽しくて仕方なかったという。
それと並行して、現地の教育現場にも関わることとなった川田教授は、教室でのふとした学習者からの問いに耳を傾けるようになる。例えば、「先生、“あなた”はいつ使いますか。」という問い。
「日本語の教科書には、大抵“あなた=You”といった対訳しか掲載されません。でも、“あなた”は英語のYouと同じではない。そもそも日常会話で“あなた”が用いられる場面は少ないですよね。相互行為の中で使用される“あなた”を考察すると、“あなた”は、認識的に優位な立場にある人が、そうでない(と想定する)立場の人に対して使用される傾向があり、とりわけ相手を非難する文脈で出てくる特徴が見えてくるんです。教科書ではそこまでは伝えられない。そんな経験から、教育現場の問いに応える言語教育の大切さを学びました」
多文化多言語のこどもたちとの出会いが教えてくれた現実と新たな「ことばの世界」
こどものSOSに応答できない無力感
アメリカから帰国後は、留学生教育、そしてこどもたちの学ぶ現場に向き合う時間が増えた。その中で言語的マイノリティとしての多文化多言語のこどもたちが置かれている現実を目の当たりにし衝撃を受ける。
「それまでに関わってきた大人の学習者の多くは、日本語の語彙、文法等、ことばの使い方を問う傾向がありました。一方で、こどもたちの問いは『なぜ日本語を学ばなければならないの?』『なんでここにいなきゃいけないの?』といったもっと切実なものでした。自分がそれまで取り組んできたことばの使用を調査・研究する形での関わり方では太刀打ちできず、大きな無力感を覚えました」
“できなさ”を埋める日本語教育からの脱却、自らの言語観、言語教育観の問い直し
家族の都合や世界情勢に翻弄されて日本での生活を送っているこどもたち。にもかかわらず、日本語至上主義の社会では日本語を話せないことによって「できない」というレッテルを貼られてしまう。それどころか、日本の教育現場では日本語ができなければ学びの土俵に上がることすら難しく、こどもたちが教育から離脱してしまうという事態も生じている。こうしたこどもたちとの出会いが、川田教授に大きな変化をもたらした。
「来日したことでこんなに苦しむこどもたちを前に、そのSOSに応答できないことがとても歯痒かったんです。同時に、『できなさ』を埋めるだけの日本語教育にも限界を感じました。どんな問いかけをすればこどもたちが本来持つ好奇心を損なわずに学べるのか。その問いと向き合うために、自分自身の言語観、そして言語教育のあり方を問い直す必要がありました」
「トランスランゲージング教育論」との出会いから日本語教員養成のあり方を模索
こどもが持つ複数のことばを、思考するための「資源」と捉える
これまでもこどもの日本語教育に関する書籍や論文に触れたことはあったが、単に知識としてインプットした学びに過ぎなかった。実際にこどもたちと触れ合ったことで、自身に足りていなかった学びを痛感したのだと川田教授は話す。こどもたちと向き合うために大学院生の時のように猛勉強し、小学校や高校、地域の日本語教室などあちこちに足を運んだ。そうした中で、「トランスランゲージング(TL)教育論」に言語教育の新たな可能性を見出す。
「日本語や英語といった言語は、一般的にモノリンガルの視点からみて、人の頭の中で別々に存在するものとイメージされる傾向があります。しかし、特定の名称が付けられた言語は、実は、社会的、政治的に規定されたものと考えられています。“Translanguaging”は、その“名付けられた言語”の境界に固執することなく、話者が自らの持つ言語資源のすべてを活用することとされています。『TL教育論』では、こどもの言語実践を取り締まるのではなく、こどもの持つ複数の言語を思考するための『資源』として肯定的に捉え、戦略的に活用することを後押します」
こどもたちの成長する姿がかつての自分と重なった
「TL教育論」で中心となるのは、こどもたちが持つ言語資源をすべて活用することが学びに有効であり、その言語実践をこどもたちの権利として捉えるスタンスである。日本の教育現場では、授業中に日本語以外の言語を使うことがよくないことと思われがちだが、こどもたちの流れるような思考を止めないためには、持ちうるすべての言語資源を活用できるような教育の設計が求められる。
「日本語で授業が行われていても、理解が難しい箇所があれば母語で考える。こどものもつ言語資源を場面や状況に応じて柔軟かつ戦略的に活用するのが『TL教育論』に基づいた授業のデザインです。これを実際に取り入れたところ、こどもたちが“水を得た魚”のように成長していく姿に出会い、本当に感動しました。そこで思い出したのは、院生時代に、『土佐ことば』を価値づけして頂いたことでアイデンティティを取り戻したかつての自分の姿でした」
社会をつくるケアの倫理観と「日本語教育学」のあり方を求めて
「TL教育論」×「こども哲学」の実践で広がる可能性
「TL教育論」を基盤とした川田教授の取り組みとして、哲学対話を通じた「こども哲学」の実践がある。哲学対話とは、正解のない日常の問いに対して、参加者全員でじっくりと対話・思考を深める営みのこと。近年、こどもたちの思考力を育てる手法としても注目を集めている。川田教授はこどもの考えを引き出すための対話の場として、多言語で「探求の共同体」を構築しようとする活動を展開。参加者のもつ言語資源を戦略的に活用しながら読解や動画視聴を行い、こどもと共にひとつの問いについて探求する。こどもは、深く思考する時、自分のどの言語資源を用いても良い。こどもの声を傾聴しながら対話を重ねるのだという。
「『Philosophy for Children, 通称“P4C”』と呼ばれる言語活動を応用したものですが、例えば、『ふつうって、どういうこと?』という問いを深掘りした時は、まず、人によって「ふつう」が違うということがわかるんですが、国によっても違うよね?と。車は日本は左側通行だけど、アメリカは右…。ってことは、ルールが「ふつう」を作ってるってこと?いや「ふつう」がルールを作るんじゃない?… と、どんどん新しい問いが生まれました。最終的に、その問いは友達、家族といった人間関係の親密さとの関係性にまで及びましたが、保護者にもこの探求に加わってもらい、家庭のことばも使いながらみんなで考え続けました。『多文化・多言語』というレンズを通して対話していくと、普段は見えないものが見えてきたりします。“P4C”の実践では、「批判的思考」「創造的思考」「ケア的思考」という三つの思考の側面が育まれると言われていますが、実際、これらの思考が育まれることで成長しているのは、こどもだけではないと感じています」
言語教育を学ぶ学生たちとともに実践の場に立つ
幼児からの“P4C”の実践に学生たちとともに関わる重要性を感じている川田教授は、これまでオンラインやイベントを通じ、ゼミで「マルチリンガルこども哲学」を実施。こどもたちは知的好奇心に導かれながら、周囲の人々との対話によって「ことば」を獲得していく。その様子を間近で見ることで、学生たちにとっても、自分自身のあり方を捉え直す一歩になればと願う。
「言語的マイノリティとしてのこどもに関わる教員や支援者は、こどもの学習権を含む人権意識や、言語イデオロギーがもたらす不均衡な社会的力関係に対して批判的意識をもつことが求められます。また、こどもとの関わりの中で、相手の感情や視点を考慮に入れ、相手の立場に立って判断の妥当性や応答のあり方を問う「ケア的思考」も欠かせません。 しかし、こういったことはそもそも教えることができないんです。だからこそ、“P4C”の実践を通して、こどもと関わり、こどもを知ることが大切なのだと思います。私にできるのは、その場を設け、こどもとつなぐこと、そして振り返りの中で、社会の構造的問題や人と人との関係性を意識した問いを、学生にも自分自身にも投げかけ続けることなのかなと思っています」
学習者の自己実現を後押しできる言語教育者を育むために
日本語教育の目標は「日本語ネイティブと同じように話せること」ではなく、「学習者が社会の中でどのように生きていくかを後押しすること」にあると川田教授は語る。日本社会に溶け込むことを優先すれば、マジョリティに合わせて声が上げられなくなることは想像に難くない。それだけでなく、多言語話者に対する差別や偏見を助長するきっかけにもなってしまう。「ことば」と「共生」という日本語教育学の核心を捉えつつ、ケアの倫理観に基づいて、何が社会正義かを問うことができる言語教育者を養成することが川田教授の今後の目標だ。
「一筋縄ではいかないので、学生も私もジレンマやモヤモヤを感じますが、その葛藤の中に踏みとどまりながら、創造的、批判的、そしてケア的に他者と対話していけるかどうかが鍵になると考えています。学生たちと対話を通じて、関わる人々とのつながりを再発見し、言語教育のプロとしていかに応答責任を果たしていくか、これからも学生たちと共に問い続けていけたらと思っています」
教員紹介
Profile
川田 麻記教授
Maki Kawada
高知県生まれ。2001年に関西外国語大学外国語学研究科言語文化修士課程、2008年にウィスコンシン大学マディソン校東アジア言語文学学科博士課程を修了。テキサス大学オースティン校アジア研究学科専任講師、国際基督教大学夏期日本語教育非常勤講師、関西外国語大学外国語学部准教授などを経て、2016年より現職に至る。
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