高齢者のウェルビーイングを支える「老年社会学」
超高齢社会を支える老年社会学
世界有数の超高齢社会である日本では、医療や介護だけでなく、家族のあり方や地域社会、就労、社会保障など、高齢者を取り巻く環境そのものが大きく変化している。長寿化は社会の成熟を示す一方で、介護や認知症、社会的孤立、生活困窮など、高齢期にはさまざまな課題が生じる。
こうした課題を、個人の問題としてではなく、社会との関係の中で理解し、その解決策を探る学問が「老年社会学」である。
老年社会学は、高齢者や老化に関する現象を社会学の理論や方法を用いて探究する学問である。さらに、医学、心理学、社会福祉学、公衆衛生学、経済学など幅広い分野の知見も取り入れながら、高齢期に生じる社会的課題の解決を目指す学際的な研究分野でもある。
「私が一貫して問い続けているのは、『高齢者や介護者のウェルビーイングを社会はどのように支えることができるのか』ということです」
「高齢者や介護者の孤立化と多様化が進み、特に家族とのつながりや経済的なゆとりなどの私的資源に乏しい人ほど、虐待、孤立、離職、うつなどの問題を抱えやすくなっています。このような問題を防ぐために、どのような支援や社会の仕組みが必要なのかを研究しています」
そう語るのは、大学院国際学術研究科・老年学学位プログラムの杉原陽子教授である。高齢期には、病気や介護、退職、家族との死別、社会関係の変化など、人生の大きな転機を多く経験する。その影響は、本人だけでなく、家族や地域社会にも及ぶ。だからこそ、高齢者の暮らしを支えるには、医療や介護・福祉制度だけでなく、家族や地域とのつながり、働く環境、ボランティアやNPOなど多様な社会資源をどのように組み合わせるかが重要になる。
一方で、高齢者の暮らしを支えるために社会保障費が増加し、社会の負担になるという見方も少なくない。このような見方について、杉原教授は次のように述べている。
「高齢者は地域や家庭内で多くの役割を担い、さまざまな貢献をしています。高齢者の能力や経験を活かすことは社会にとっても有益です。老年社会学は、課題だけでなく、高齢者が持つ可能性にも光を当てています」
高齢者や介護者のウェルビーイングを支える社会を考える
杉原教授の研究は、介護や孤立をはじめとする高齢社会の課題の背景にある社会の仕組みに目を向けるものである。
「介護が必要になったときに、十分な支援を受けられる人もいれば、孤立してしまう人もいます。その違いは本人の努力だけでは説明できません。家族関係や経済状況、地域環境、就労環境、制度など、さまざまな条件が重なり合って生じています。私の研究では、問題の背景にある社会的要因を明らかにし、よりよい支援や制度のあり方を考えることを目指しています」
人生を通じて積み重ねられた教育、就労、所得、人とのつながりなどは、高齢期になると生活の質に大きな差をもたらす場合がある。そのため、近年では、高齢期だけを切り取って考えるのではなく、ライフコースの視点から人生全体を捉え、問題を理解することも重要な研究テーマとなっている。
問題発見から解決策までを見据えた研究
杉原教授の研究室では、「問題発見」→「要因解明」→「支援・政策への展開」という流れを重視している。家族介護、健康格差、支援格差、高齢者の社会参加など幅広いテーマを対象に、量的研究と質的研究を組み合わせながら、高齢者や家族、地域住民、専門職への調査を実施し、エビデンスに基づく支援や政策形成(EBPM)につなげる研究を進めている。
「研究成果は論文として発表するだけでなく、研究から得られた知見を、政策立案や地域づくり、支援の充実へと結び付けることに大きな意義があります。研究室でも、個人の要因だけではなく、地域や制度などの社会レベルの要因も含めて検討し、エビデンスに基づく政策形成(EBPM)や地域福祉に貢献する研究を重視しています」
「支援格差」の解明から、よりよい支援と政策を考える
「支援格差」を可視化する
杉原教授の研究を特徴づけるキーワードが、「支援格差」である。支援格差とは、必要な支援を受けられる人と受けられない人との間に生じる格差を指す。同じように介護や生活上の困難を抱えていても、適切な支援につながる人もいれば、そうでない人もいる。
「支援を受けられるかどうかは、本人の努力だけでは決まりません。家族や地域とのつながり、経済状況、就労環境、制度など、さまざまな社会的条件が重なり合って決まります。だからこそ、問題を個人に帰すのではなく、社会の仕組みから考える必要があります」
支援格差の背景には、人生を通して積み重ねられた教育や就労、所得、人間関係などの違いがある。こうした「累積的有利・不利」は、高齢期になったときに生活や健康の格差として表れやすい。杉原教授は、こうした構造を実証研究を通して可視化し、「誰が、なぜ支援につながりにくいのか」を明らかにすることを目指している。
「高齢期の健康格差や支援格差が、どのような社会的不利が重なり合うことで生じるのか、そのメカニズムの解明にも取り組んでいます。特に、セルフ・ネグレクトや多問題家族など、支援の網から漏れてしまう人々に対する重層的支援体制についても研究を進めています」
「ストレス」と「サポート」から社会を読み解く
支援格差が生まれる背景を理解するうえで、杉原教授が長年重視してきたのが「ストレス」と「サポート」という視点である。
「ストレスは人々の生活や社会のあり方を見直す手がかりになります。ストレスの原因は何かを考えることで、社会状況や社会環境、人とのつながりのあり方を検討することができます。そして、そのストレスを和らげるために必要なのが、家族や地域、専門職などからのサポートです」
この視点に基づき、杉原教授は介護保険制度導入以前から家族介護者のストレスとサポートの実態を調査し、介護サービスだけでは補えない支援の重要性を明らかにしてきた。
近年では、この関心は家族介護にとどまらない。民生委員やボランティア、高齢就労者など、地域社会を支える人々へと研究対象を広げている。その中でも注目しているのが、民生委員などの地域福祉に携わる住民の「役割ストレス」である。
「民生委員の調査では、辞めたい理由として最も多かったのは『忙しすぎる』ことではなく、『何をどこまで担えばよいのか分からない』という役割の曖昧さでした。役割の曖昧さを減らすには、専門職からの後方支援やフィードバックが効果的であることもわかりました。高齢者の力を地域や社会に活用するには、役割に伴い生じるストレスを軽減するサポート体制を検討する必要があります」
家族介護者、民生委員、ボランティアなど「人を支える人」を支えること。それもまた、高齢社会における重要な研究テーマである。
エビデンスを、社会を変える力へ
自治体との共同研究や介護サービス利用の実態分析などを通して、介護保険制度や介護サービスが高齢者や家族にどのような効果をもたらしているのかについても検証している。量的データによって全体の傾向を把握するとともに、質的調査によって一人ひとりの生活や経験を丁寧に理解し、多面的に課題を分析している。そして、実証研究から得られた知見を、制度や地域づくりへ活かすことを目指している。
「近年では、エビデンスに基づく政策形成(EBPM)の重要性が広く認識されるようになっています。しかし、エビデンスとは単に統計データを示すことではありません。人々の生活実態を丁寧に把握し、その背景にある社会的要因を理解したうえで、よりよい制度や支援のあり方を考えることが重要です」
「支援格差を小さくしていくことは、一部の人だけを支えることではありません。誰もが人生のどこかで、『支える側』にも『支えられる側』にもなります。だからこそ、必要なときに、必要な支援へとつながる社会の仕組みを整えることが、高齢社会全体のウェルビーイングにつながります」
高齢者の力を活かす社会へ — プロダクティブ・エイジングが拓く未来
高齢者の可能性に目を向ける
杉原教授の研究には、もう一つの大きな柱がある。それが、「プロダクティブ・エイジング」である。
高齢者は支援を受ける存在であると同時に、地域や社会に貢献する存在でもある。就労、ボランティア、地域活動、家族への支援など、高齢者はさまざまな形で社会に貢献している。高齢者を社会の負担としてのみ捉えるエイジズム(年齢差別)への対抗概念として、「プロダクティブ・エイジング」が提唱されている。この考え方は、高齢者を「支えられる存在」としてだけではなく、「社会を支える存在」として捉えるものである。杉原教授は、就労やボランティア活動などの社会貢献活動が、高齢者自身の健康やウェルビーイングにどのような効果をもたらすのかを実証的に検証している。
「高齢者が行っているさまざまな社会貢献活動は、社会にとって有益であるだけでなく、高齢者自身の健康や生きがい、ウェルビーイングを高める効果もあります。高齢者の経験や知識、能力を活かせる環境を整えることは、超高齢社会において重要な政策課題です」
一方で、社会参加を促すだけでは十分とはいえない。活動が過度な負担となれば、かえってストレスを生み、継続が難しくなる。
「高齢者が活動を安心して続けるための支援やストレス・マネジメントについても今後さらに検討する必要があります。誰もが無理なく、自分らしい形で社会と関わることができる環境づくりが、今後も重要な研究課題です」
老年学の未来を担う人材を育てる
2026年から桜美林大学大学院・国際学術研究科・老年学学位プログラムの教授に就任した杉原教授。研究で得られた知見を教育へ還元し、次世代の研究者や実践者の育成につなげることにも力を入れている。
「日本は世界で最も高齢化率が高いにもかかわらず、老年学部や老年学科を設置している大学・大学院は、桜美林大学大学院の他にはありません。高齢者福祉や高齢者看護、老年医学が、さまざまな学部に分散しているのが実情です。医学・心理学・社会学・社会福祉学、その他の関連分野を含めて、老年学を一つのまとまりとして総合的に学べる桜美林大学大学院は、とても魅力的な学びの場です」
教育では、高齢社会の課題を「知る」だけでなく、「なぜその課題が生じるのか」「どのような支援や政策が有効なのか」を、自ら問い、考え、検証する姿勢を育むことを重視している。
高齢社会の課題は日本だけのものではない。世界各国で高齢化が進むなか、日本の経験や研究成果は国際社会にとっても大きな意義を持っている。国内外の多様な学生や専門職と学び合い、ともに学問と実践をつなぐ老年学を発展させていきたいと語る。
「老年学は、高齢期だけを対象とする学問ではありません。人生全体を社会との関係の中で捉え、『誰もが安心して年齢を重ねられる社会とは何か』を考える学問です。その問いを、研究と教育の両面から追い続けていきたいと考えています」
教員紹介
Profile
杉原 陽子教授
Yoko Sugihara
東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻博士課程修了。博士(保健学)。東京都老人総合研究所(現・東京都健康長寿医療センター研究所)、鎌倉女子大学、東京都立大学(旧・首都大学東京)を経て、2026年より現職。専門は老年社会学・健康社会学・高齢者福祉。
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