• ビジネスマネジメント学群

    ビジネスプログラムエアラインビジネス領域

中村 泰寛 教授

Yasuhiro Nakamura

中村泰寛先生がインタビューに応じている様子
  • 再建を果たしたJALのフィロソフィと経営改革
  • 運航管理から労務まで、現場を身近に見てきた航空業界のキャリア
  • ニューヨーク支店長、グループ会社役員など要職を歴任
中村泰寛先生がインタビューに応じている様子

日本航空グループ企業の経営に深く携わる

JAL再建後の現場で実感した、全員参加の経営改革

2010年1月19日、日本航空(JAL)は2兆3,000億円という戦後最大規模の負債を抱えて経営破綻し、会社更生法の適用を申請。事実上の倒産を経験した。再建のため政府から要請を受け、会長に就任したのが、京セラや第二電電(現KDDI)を創業した稲盛和夫氏だった。

稲盛氏が再建にあたって掲げたのは、「JALフィロソフィ」の策定と「アメーバ経営」の導入だ。JALフィロソフィでは、社員一人ひとりが共有すべき価値観や意識を明確化し、組織全体としての一体感を高めた。そして、アメーバ経営では、会社を独立採算で動く小集団=アメーバに分け、それぞれにリーダーを任命。各ユニットが自律的に経営に関わる体制を築き、生産性の向上を目指したのだった。

「各アメーバが自身の活動成果を把握することで、リーダーを中心に全社員が“自分たちの経営”を意識するようになります。それぞれの持ち場で能力を発揮し、利益確保にも自発的に取り組む。アメーバ経営は、経営者意識を持つリーダーの育成と、全従業員が参画する“全員参加型の経営”を実現する仕組みです」

そう語るのは、ビジネスマネジメント学群の中村泰寛教授だ。中村教授は2015年、株式会社JALグランドサービスの代表取締役社長に就任。当時まさに、アメーバ経営を現場で実践することが求められた。

「JALグランドサービスは、航空機の誘導、手荷物や貨物の積み下ろし、機内用品の補給・管理、機内清掃、国内貨物取扱業務など、空港での地上支援業務全般を担う企業です。現場には様々な担務の社員がいて、社長として直接対話する機会も多く、非常に貴重な経験でした。アメーバ経営によって、ひとつの案件で数千万円単位のコスト削減を実現できることもあり、大きな成果を実感しました」

月に一度、中村教授は各部署の部長を集めて生産性向上を目指した会議を開いていたという。その議論から生まれた取り組みのひとつが、車両燃料の効率化だ。成田空港や羽田空港は非常に広く、グランドサービスの社員は現場控室から多くの車で各スポットに向かう必要がある。しかし作業現場までのルートは複数あり、個人個人が好きな経路で目的スポットに向かっていた。

「そこで実際に移動距離と時間を測定し、最も効率的なルートを探したのです。燃料の節約になると同時に、現場への到達が早まることで作業開始もスムーズになります。小さな事例ですが、結果的に全体の生産性向上やサービス品質の向上にもつながりました。また私の退任後、JALグランドサービスではDX(デジタルトランスフォーメーション)も進みました。現場ではタブレットが導入され、作業進捗情報が共有・可視化されることで関連組織間の連携が円滑になりました。リアルタイムでの情報把握が可能になったことで、定時性・安全性の向上にも寄与しています」

会長として、コロナ禍における危機を乗り越えた

JALグランドサービスの代表取締役社長を退任後、中村教授は、ジェットスター・ジャパン株式会社の取締役会長に就任した。同社は2011年に設立されたLCC(格安航空会社)で、日本航空(JAL)とオーストラリアのカンタスグループが共同出資した企業だ。運営スタイルは、カンタス航空の子会社・ジェットスター航空のビジネスモデルを踏襲しており、オーストラリア本社との連携も密接に求められた。

「取締役会長として最も苦労したのは、毎月開催される取締役会で議長を務めることでした。会議の進行は基本的に英語です。得意ではない英語で議事を進めるのは、本当に苦痛でした(笑)」

さらに就任のタイミングはコロナ禍とも大きく重なった。航空業界がかつてない危機に直面するなか、毎回の会議では主に資金繰りが議題となり、親会社との交渉を繰り返す日々も続いたという。「本当にそれぞれの担当が必死に頑張ってくれました。よく会社があの状況を乗り越えられたと思います」と中村教授は当時を振り返る。

運航管理から労務まで、
現場を身近に見てきた航空業界のキャリア

パイロットと二人三脚で作りあげるフライトプラン

中村教授が航空業界に足を踏み入れたのは、1984年。JALへの新卒入社がきっかけだった。飛行機への興味ももちろんあったが、最大の動機は「海外勤務をしてみたい」という思いだったという。

最初の配属先は伊丹空港の航務課。運航統制や運航管理の基本を学んだ後、東京の運航本部へ異動し、運航部にて世界中の空港・航路情報を収集・整理し、パイロットへ提供するマニュアルの維持管理業務を担当した。

「パイロットが運航前に確認する情報は膨大です。私たちは、ルートごとに必要な情報を選別し、わかりやすくまとめて提供する役割でした。滑走路の工事情報や空域の規制など、各国が28日ごとに更新する情報を集めて資料を作成していました。当時は今のように電子化されておらず、郵送で情報が届くことも珍しくなかったですね」

中村教授が担当していたのは中近東エリア。現在はあまり使われていないが、当時は南回り欧州行きの航空機が飛んでおり、タイムリーな情報収集が求められたという。

連絡便業務やフライトプラン作成について語る中村泰寛先生

「運航管理の仕事は、パイロットと一緒にフライトプランを作成するという非常にやりがいのあるものです。悪天候など刻々と変化する状況にも対応する必要があり、それがまた醍醐味でもあります。その仕事を直接サポートする業務を担当できたことは大変ありがたい経験だったと思います。その後、北京支店での総務業務も経験しましたが、まもなく羽田整備事業部への異動が決まり、労務管理の業務を担当することになりました。整備士は機種ごとに資格が必要で、その管理や養成計画などにも担当の一人として参加しました。その後、整備本部では整備職の、本社の労務部では地上職全体の労務対応の窓口を行ってきました」

日本航空はもともと異動の多い会社だが、中村教授の異動ペースは特に速く、約2〜3年ごとに新たな部署での経験を積んできた。運航現場から労務まで、航空業界の実務を幅広く身近に経験してきたことが、のちの経営職としての手腕にも確実に生きている。

安全推進本部で痛感した、航空事業における安全の重さと求められる責任感

その後、中村教授はドイツ・フランクフルト支店への赴任を経験している。現地では総務マネージャーとして勤務し、支店運営業務に加えて、営業活動や対外関係業務などにも関与した。日本大使館・領事館との調整、旅行会社や関係企業との折衝、さらにはVIPの出迎え対応など、多岐にわたる業務を担った。

一方で、労務管理にも深く関わった。欧州では労働関連の制度が確立されており、社員代表団体との月例ミーティングが徹底されていたという。労働条件の変更が容易ではない当時の厳しい環境のなかで、対話を通じた信頼関係の構築が欠かせなかったと語る。フランクフルトでの約3年間を経て再び本社へ戻り、労務部で約4年間勤務。その後、安全推進本部への異動が告げられる。

「2008年に部長に昇格し、それと同時に安全推進本部へ異動しました。JALグループ全体の安全管理を担う部門で、特に運航の根幹である“安全”をどう守り抜くかという重責を担う立場でした」

JALにとって「安全」は単なるスローガンではない。1985年に発生した日本航空123便墜落事故(御巣鷹の尾根に墜落)は、JALの歴史のなかでも最大の悲劇であり、以降の企業文化に深く刻まれている。安全推進本部では、事故の教訓を風化させないため、ご遺族との継続的な対話を続けていた。

「異動してきたばかりの頃、私が『もう23年経ちましたね』と口にしてしまったところ、ご遺族の方から即座に『まだ23年です』と返されました。自分のなかでも事故の重みは強く意識していたつもりでしたが、無意識のうちに“過去の出来事”と捉えてしまっていたのだと気づかされ、大きな反省とともに、今も強く心に残っています」

この経験は、教育者となった今でも忘れることができないという。多くの学生たちは事故当時まだ生まれていないが、それでもこの出来事の意味と重みを伝えることの重要性を強く感じている。

「羽田空港には、JALの安全啓発センターがあり、事故の残骸や資料がそのまま展示されています。JALでは社員が定期的に訪問し、安全意識を高める取り組みが行われています。今では、私自身も桜美林大学の学生たちを連れて見学に行くことがあります。航空の未来に携わる若い世代にも、伝えていかなければならないと感じています」

ニューヨーク支店長として、経営と対外対応の最前線に立つ

安全推進本部での1年間を経て、中村教授は、日本航空の運航本部に異動。そこではパイロットの採用・訓練から、新機種の導入に関わる人事・設備・運航体制の整備まで、実務を統括する業務部長として、本部長を支える立場に就いた。

「パイロットに関するすべての業務を横断的に見渡し、安定した運航体制を維持・運営することを求められる部署でした。専門性の高い領域でありながら、経営と現場の橋渡しをする役割に、大きな責任とやりがいを感じました」

その後、中村教授は米州地区支配人兼ニューヨーク支店長としてアメリカに赴任。世界経済の中心地・ニューヨークで、日本航空の対外的な顔としての任務を担うことになる。

「ニューヨークには、在留邦人のなかでも、日本を代表するような企業の経営者や政府関係者が集まっています。商社や銀行の幹部、政治家、各界のVIPなど、さまざまな方々との接点も重要な業務の一つであり、貴重な経験でした」

また、ニューヨークを拠点に、アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジルといった各国にも足を運び、営業や拠点運営のサポートも行った。支店長というよりはむしろ、米州全体を見渡す責任者としての比重が大きく、現地の実情を肌で感じながら、本社経営判断にもタイムリーに情報を提供してきたという。そして、この海外での豊富な実務経験を経て、中村教授は、空港地上支援を担う、株式会社JALグランドサービスの代表取締役社長に就任。航空業界の中枢で培ってきた知見を、次のフィールドへとつなげていくこととなったのだ。

経営において大切なことは何か

キャンパス内で腰掛ける中村泰寛先生

パイロットの不足は今後ますます深刻に

JALのさまざまな部署を経験し、運航、整備、労務、安全、経営といった幅広い領域に携わってきた中村教授。その歩みは、航空業界の最前線で培われた知見と、経営の意思決定に関わる実務が融合した、極めて稀有なキャリアだ。その中村教授が、今の航空業界に対して最も強く感じているのが、パイロットの不足である。

「現在、世界的にパイロットが足りていないという現実があります。一方で、航空機の便数は今後20年で約2倍に増加すると予測されています。従来は大型機でまとめて運航していた路線も、今では中小型機を高頻度で飛ばすスタイルが主流になってきました。サービスの質は向上しますが、1機につき2名のパイロットが必要となる以上、需要と供給のバランスは崩れていくのです」

ヨーロッパでは、将来的な「パイロット1名での運航」の実現に向けた研究も進んでいるが、現時点ではまだ実用化のめどは立っていない。こうした状況を踏まえ、パイロットの需要は今後も確実に逼迫していくと中村教授は語る。

同じフィロソフィを共有する重要性

航空学群では、すでに多数のパイロットが育ち、国内外の航空会社で活躍している。中村教授がジェットスター・ジャパンの取締役会長を務めていた際には、桜美林大学の卒業生パイロットと実際に現場で顔を合わせることも多かったという。

「今後も、世界の航空需要が尽きることはありません。ただし、少子化の影響を受け、日本国内の航空需要そのものは緩やかに減少していくと見られています。LCCを含むグループ経営のなかで、各社がどう機能を分担し、最適なリソース配分を行っていくかが鍵になるでしょう」

また、中村教授は、グランドサービスなどの空港関連地上業務、いわば運航の裏方にこそ、いま光を当てるべきだと語る。キャビンクルーは花形職だが、グランドサービスは汗をかき、汚れる仕事。処遇の改善や業務の効率化が急務であり、実際、航空関連のシステムは高度にデジタル化されてきているが、空港関連地上業務の現場はまだまだアナログな部分も多く残っているのが現実だという。

中村教授が、現在ビジネスマネジメント学群に所属しているのは、こうした現場と経営の両方に携わってきた経験を還元できるからだ。経営を中枢で支えた経験から、企業理念や組織文化の重要性を学生に伝えたいと語る。

「JALの再生においては、アメーバ経営の導入とともに、社員全員が理念を共有することの大切さを学びました。経営とは戦略だけではなく、組織全体を巻き込む文化づくりが重要なのです」

『ビジネス演習(空港業務)』の授業では、学生たちがグループワークを通じて、空港業務のどこをどう改善できるかを自ら考える取り組みも行っている。航空業界に限らず、こうした思考を持つ人材を社会に送り出すことが大きな目標だと、中村教授は考えている。

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む中村泰寛先生

中村 泰寛教授

Yasuhiro Nakamura

1961年福岡県生まれ。大学卒業後、日本航空株式会社へ入社。人事・労務、運航、整備、安全、グループ会社経営といった幅広い領域に携わってきた。また、米州地区支配人兼ニューヨーク支店長、株式会社JALグランドサービスの代表取締役社長、ジェットスター・ジャパン株式会社の取締役会長など、要職を歴任。2021年より、桜美林大学に着任。航空業界での経験をもとに、学生たちに経営とは何かを伝えている。

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