• ビジネスマネジメント学群

    マネジメントプログラムマネジメント領域

村上 理 准教授

Osamu Murakami

村上理先生がインタビューに応じている様子
  • 会計記録は「数字に現れる企業の素顔」
  • 金融機関勤務を経て財務会計の研究者に
  • 倫理観を持った会計担当者を育成する
村上理先生がインタビューに応じている様子

会計記録は「数字に現れる企業の素顔」

巨額不正会計「エンロン事件」の衝撃

2001年、アメリカで巨大エネルギー企業の信頼が音を立てて崩れ落ちた。エネルギー業界の寵児としてもてはやされたその企業の華やかな看板の裏で、粉飾された会計が静かに進行していた。米エネルギー大手「エンロン社」による巨額の不正会計・粉飾決算事件だ。ずさんな財務報告と監査法人の隠蔽工作により当時の史上最大規模の経営破綻を引き起こしたこの事件は、後のコーポレートガバナンスや監査制度の抜本的な改革の契機となっていく。

「ちょうど私が大学生だった頃に、エンロン事件が起きました。世界を揺るがした事件です。これを見て、私は『なんだか不思議だな』と思って興味を持ちました。きらびやかなイメージの奥に、隠しようのない真実が刻まれている——当時はうっすらとした興味を抱いただけだったのですが、今思えば、それが、会計に関する研究へ進むきっかけになったように思えます」

そう語るのは、ビジネスマネジメント学群の村上理准教授だ。専門は、財務会計および会計職業倫理。会計記録は、「数字に現れる企業の素顔」だ。その裏には、数字の正しさを支える人とルールがある。会計や監査を単なる計算技術としてではなく、企業や投資家、政府、会計専門職団体といった多様な人々の利害と力学が織りなす“社会制度”として捉える——。それが村上准教授の研究に通底する視点だ。

会計基準の設定プロセスにおける権力の影響とは?

研究テーマのひとつは、会計基準の変遷について。会計基準と聞くと揺るぎないルールのように思える。しかし実際には、会計基準は少しずつ、頻繁に変わっていく。「これはなぜだろう?」という疑問が研究の第一歩だった。基準が「変わる」あるいは「変えられない」その背後には、しばしば政治の力が働いている。村上准教授が注目してきたのは、政治的な事情によって基準のあり方が左右されたケースだ。

「例えば、たくさんの企業が赤字に陥ると雇用の問題に影響が及びます。失業率の上昇は、政治家にとって都合が悪い。すると企業が赤字になりにくい会計基準に変更される——。こういうことが過去の研究でも確認されています。会計基準は、決して中立な場所でつくられているわけではないのです」

政治の影響の象徴的な事例として村上准教授が挙げるのが、1990年代のアメリカで盛んに行われた「ストックオプション会計」をめぐる議論だ。これは自身の論文「会計基準の設定プロセスにおける権力関係」(会計理論学会年報、2014年)で正面から論じたテーマでもある。

「ストックオプションは報酬の一種であり、その価値は主として株価に依存するものです。一般的には、株価が上がればストックオプションの価値も増えるので、株価の向上につながる経営を促すインセンティブになる。支払った報酬であれば、それは企業にとって“費用”のはずです。ところが当時は、実務上その費用がゼロと測定されることが多々ありました。この基準を正そうとする動きも出てきたのですが、『費用計上を求められれば赤字に転落する企業も出てくる。それであれば雇用の問題につながる』という理由で、産業界が基準を変更することに反対していたのです。その裏には、当然ながら得をしている者もいるわけです。どれだけストックオプションを付与しても費用がゼロというのは、現在の感覚ではどう考えてもおかしい。それでも、当時は政治力に勝てなかった。基準の改正はなかなか進まなかった。これが、会計基準の設定プロセスにおける権力の影響の一例になります」

米国公認会計士協会における
「会計職業倫理」制度化70年を追う

村上准教授の研究のもうひとつの柱は、「会計職業倫理」だ。なかでも力を入れてきたのが、米国公認会計士協会(AICPA)の職業倫理基準の歴史だ。なぜ、日本ではなくアメリカを対象に選んだのだろうか。

「アメリカは世界最大の資本市場を持つ国です。しかも情報公開がしっかりしていて、歴史的な資料がインターネットでも公開されている。日本と比較して、このテーマにおける研究資料が豊富に揃っていました。そこで私は、1918年から1988年にかけての米国公認会計士協会における職業倫理基準の発展を検証しました」

70年におよぶ基準の変遷をたどるなかで、村上准教授が浮かび上がらせたのは、倫理という言葉のイメージを覆すような大きな転換だった。20世紀初頭、倫理とは“心の持ちよう”の問題だと考えられていた。それは、多くのアメリカ人の根底にあるプロテスタント倫理をベースにしたものだ。ところが、20世紀の半ばごろから倫理も「精神の問題」から「制度の問題」へと姿を変えていく。何事もルールや文書で決めていく現代のアメリカらしい慣習が倫理観にも導入されたのだ。

「もともと会計士の職業倫理は、『誠実であること』『独立して判断すること』『公共の利益に奉仕すること』といった、かなり精神的・抽象的なものと考えられていました。つまり、ルールで細かく決めるよりも、専門職としての自覚や良心に任せるべきものだと見なされていたわけです。しかし20世紀のアメリカ社会では、資本市場が拡大し、企業会計や監査の影響力が大きくなりました。投資家、企業、政府、社会全体が、会計士の判断に依存するようになります。その結果、会計士が『自分は独立している』『専門的に正しいと判断した』と言うだけでは足りず、第三者から見ても信頼できる明確な基準が必要になっていったのです」

具体的には、米国公認会計士の職業倫理基準のうち、『独立性』『一般に認められた会計原則』『公共の利益』に関する規定を題材として、倫理という概念が明文化されていく過程を細かく検証した。関係者の批判を浴びながらもこれらの規定が次々と明文化され、倫理がルールのなかへ取り込まれていく。20世紀の100年間で、アメリカ社会は道徳的秩序を重んじる社会から、規則を重んじる社会へと変貌したとされる。米国公認会計士協会もまた、このようなアメリカの変容の影響を受けながら、職業倫理基準を発展させてきた。村上准教授の代表論文「米国公認会計士の職業倫理の制度化に関する一考察」(2023年)には、その“制度化”の過程が丹念に描かれている。そして、この考察は、海を越えて日本に波及する可能性もあるという。

「ビジネスの世界ではよく、アメリカで起きたことは日本における“すでに起こった未来”だと言われます。アメリカで生まれた考え方は、やがて日本にも輸入されてくる。日本においても公認会計士の倫理や独立性については細かい制度があり、それは時代に合わせてアップデートされています。私は、日本と無関係にアメリカを研究しているのではなく、いわば日本の未来を先回りして見ている意識で研究をしているのです」

金融機関勤務を経て財務会計の研究者に

金融機関勤務を経て財務会計の研究者になった経緯について語る村上理先生

「目の前のことに必死になっていたら、専門家になっていた」

そんな村上准教授だが、学生時代から明確な志を掲げて財務会計の研究に猛進してきたわけではない。冒頭で紹介したように、北海道大学経済学部在学中に、エンロン事件が起き、財務会計に漠然とした興味を持つ。しかし、その時点では、研究者を志すことはなく、学部卒業後、金融機関に就職。実務の現場を経て、研究の世界へと戻ってきた。そのきっかけを尋ねると意外な答えが返ってきた。

「研究に対する特別なモチベーションはありませんでした。とにかく目の前のことを必死にやっていたら、いつの間にか会計が専門になっていたという感じです。一度社会人を経験した方なら、案外そういう方が多いのではないでしょうか」

村上准教授が簿記を本格的に学んだのも社会人になってからだ。簿記というのは、実務で触れて初めて「ああ、こういうことか」とその意味が理解できる。その実感が研究への入り口になったのだという。大学院では会計職業倫理の研究に取り組み始める。当時はまだ、アメリカの資料も今ほど整備されていない時代だった。

「英語の資料を何とか入手して読み込んでいきました。特別に英語が得意だったわけでもなく、生成AIもない——。最初から大学院に行くつもりで勉強してきた人間でもなかったので、この時期は本当に研究者として鍛えられました」

北海道大学大学院で経営学の博士号を取得し、同大学院の助教に。その後、跡見学園女子大学准教授などを経て、2026年4月、桜美林大学ビジネスマネジメント学群に着任した。実務と研究、その両方を行き来してきた経歴が、現在の教育観の土台になっている。

倫理観を持った会計担当者を育成する

キャンパス内で佇む村上理先生

その人の行動がお金の使い方に表れる

教育の現場で村上准教授が大切にしているのは、学びを教科書の中だけで完結させないことだ。金融機関に勤めていた経験を活かし、なるべく実務の話を多めにしたいと考えている。ゼミでは、実際の企業の決算書を読み解く演習にも取り組む。数字の羅列に見えていたものが、企業の素顔として立ち上がってくる瞬間——それこそが会計を学ぶ醍醐味だと考えている。

「例えば、1年間の自分のお金の使い方を、お小遣いアプリで振り返ってみる。カラオケや遊びの出費が目立つ年は、友達を大切にした1年。本をたくさん買っている年は、一生懸命勉強した1年です。日記のように、その人の行動がお金の使い方に表れる。企業の会計記録も基本は同じなのです」

人も企業も、お金を使わずには生きられない。だからこそ、会計記録はもっとも確実な“足跡”になる。例えば、企業のCMは、どこもキラキラしたイメージを訴求する。しかし、本当の姿は会計記録のほうに現れる。派手な広告を打っていても、何期も赤字が続いている企業は数多く存在する。企業には、表の情報だけではわからない裏の顔がある。企業の本当の姿を知りたいなら、会計記録を見るようにと就職活動中の学生に必ず伝えているという。村上准教授は、会計記録から世界を読み解く愉しみをこんなふうに語る。

「私はマクロ統計の代わりに銀行の財務諸表を読みながら経済を考えることが好きです。1970年代の高度成長期、銀行は小売業や卸売業にどんどんお金を貸していました。日本中にデパートやスーパーマーケットが続々とできていく時代です。ところが今は、貸し出しの多くが不動産。景気がいいとはいえ、1970年代とは経済の“形”がまるで違う。そうした移り変わりも、銀行の財務諸表から見えてくるのです」

ルールや制度で不正会計を防ぐのには限界がある

会計というレンズを通すと、ニュースの奥にある経済の構造そのものが見えてくる。しかし、その先に村上准教授が見据える目標とは何か——。研究者として会計倫理の“制度化”を追ってきた本人の口から出たのは、意外にも「人間の倫理観」という言葉だ。日本においても企業の不正会計問題は後を絶たない。研究者として制度やルールの歴史を見つめてきたからこそ、村上准教授はその限界にも自覚的だ。

「企業が不正会計をして、本気で隠そうとしたら、外部監査があっても、それを暴くのは容易ではありません。テクノロジーによって、すべての会計行為がデジタル化される世界が訪れれば話は別かもしれませんが、現状においては、ルールや制度では限界がある。不正を完全に防ぐ方法は、最終的には一人ひとりの倫理観に行き着くのではないか——というのが現状の私の結論です。皮肉なことに、私はむしろ“倫理は精神論ではなく制度の問題だ”という方向の論文を書いてきました。しかし、解決策は提示できていません。仕事をしていれば、『ごまかそうと思えばできてしまう』という瞬間は誰にでもあります。最後の最後に頼りになるのは、やはりその人自身の倫理観なのです」

デジタル化が進めば、単純な着服のような不正は減るかもしれない。だが、それで不正が根絶されるわけではない。技術が変わっても、最後に問われるのは人の心のありよう——倫理の“制度化”を追い続けてきた研究者は現在、大学で倫理観のある会計担当者を育成している。それが、会計職業倫理をめぐる問題の根本的な解決に迫る一番の近道なのかもしれない。

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む村上理先生

村上 理准教授

Osamu Murakami

2005年 北海道大学経済学部卒業。金融機関勤務を経て、2010年北海道大学大学院経済学研究科会計情報専攻修士課程修了。2014年 同大学院経済学研究科現代経済経営専攻博士課程修了。博士(経営学)。大同大学情報学部講師、跡見学園女子大学マネジメント学部准教授を経て、2026年4月より現職。専門は財務会計、会計基準、会計職業倫理、監査。

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