記事公開日:2025年8月1日
専門領域は「経営戦略」
旅館の事例が教える経営戦略の要諦
ある旅館が、長らく経営の苦境にあえいでいた。本来の適正価格である1万4000円の宿泊プランでは客足が伸びず、値下げを繰り返すうちに、いつしか9800円の格安プランが当たり前になっていた。それでも利益は出ず、コスト削減を進めれば進めるほど、現場の負担は増していく。疲弊したスタッフは辞めていき、新人を採用しても定着せず、教育の手間ばかりが残った。サービスの質も落ち、状況は悪化の一途をたどっていた。
人手不足が深刻化する中で、経営陣は一つの決断を下す。営業日を週4日に減らし、月・火・水を休館日に設定したのだ。しかし、やむを得ず行ったこの決断が、旅館の経営を根本から立て直すきっかけとなる。週休3日制によってスタッフの疲労は和らぎ、サービス準備の時間も十分に確保された。結果として、接客の質が向上し、業務の連携もスムーズになった。臨時スタッフへの依存が減ったことも、顧客対応の一貫性を高める要因となった。
価格を適正水準に戻しても、客は離れなかった。むしろ、サービスの質を見た顧客はリピーターとなり、稼働率と単価の双方が向上していった。宿泊単価は9800円から3万5000円へ。利益は倍増し、社員の年収は4割上昇。離職率は33%からわずか4%にまで改善された。
「この事例には、経営戦略の本質が凝縮されています。企業経営とは、限られた資源をいかに有効に使うかというゲームなのです。お金も、人も、時間も、無限ではありません。あらゆる企業は、その制約のなかで最大の成果を引き出す方法を模索しています」
そう語るのは、ビジネスマネジメント学群の坂本雅明准教授だ。企業は利益をあげなければならない。そのために、がむしゃらに働くという選択肢もある。しかし、それでは社員はついてこない。できるだけ楽に、効率的に、収益を生み出す方法があるなら……誰だって、それを選びたいはずだ。
「詐欺のように聞こえるかもしれませんが、そんな方法は実在します。それが経営戦略です。経営戦略の定義は学者の数だけあるとも言われていますが、私の考えはシンプルです。できるだけ少ない経営資源で、できるだけ多くの利益を生み出す方法。この説明に異を唱える人はいないでしょう。そして、その方法論は空想ではなく、正しい知識と考え方があれば、実現可能なのです。過去の多くの学者たちが、その手法を多様な観点から研究し、理論として積み上げてきてくれました。私たちはその蓄積の上に戦略を組み立てることができるのです」
実務で使える経営戦略手法の体系化を目指して
坂本准教授の専門は、経営戦略とその策定方法だ。そこには、実務での厳しい経験から生まれた問題意識があるという。
「私は大学卒業後、5年間のメーカー勤務を経てコンサルティング会社に転身し、戦略コンサルタントとして活動し始めました。20代半ばの頃です。戦略コンサルタントとは、顧客企業の経営者に対して経営戦略をアドバイスする仕事ですが、最初はまったく成果が上がりませんでした。それはそうですよね。コンサルタントとしての専門知識もなければトレーニングも積んでいなかったわけですから」
1990年代後半はコンサルティングメソッドをWebサイトや書籍で学べる環境はなく、自己研鑽の術もない状況だったという。今考えれば、無謀な転職だったと坂本准教授は振り返る。数年間、思うような成果を出せない辛い思いをするなかで、一念発起。大学院に進むことを決断し、一橋大学大学院でMBA(経営学修士号)を、東京工業大学(現・東京科学大学)大学院で博士号(技術経営)を取得した。
「一橋でさまざまな企業分析をするなかで、当時の日本には技術力が高いにもかかわらず、業績の悪い企業が多くありました。指導教授から『その一因は、技術力をお金に換えることのできないMBA取得者にある』と指摘され、自分が企業の技術部門の人たちに経営戦略を伝えられるような立場になれればと東工大に進んだのです」
学びを深め、専門性を高める一方で、経営理論をビジネス現場で活かす難しさに直面したという。実務の現場に身を置きながら大学院に通っていたため、MBAや博士課程で学んだ経営理論が各企業・各事業の現場でそのまま実務に使えるわけではないことを実感。そこで、経営理論を企業の戦略策定に応用するための方法を整理し、具体的な分析フレームや検討手法に落とし込む作業に取り組むことにした。
理論と実務を結ぶ「ブルーオーシャン」を開拓
27刷のロングセラーが証明する実用性
戦略策定の各プロセスにおいて、どの段階でどの経営理論を活用すべきかを体系的に整理し、具体的な分析フレームや検討手法へと落とし込んでいく。坂本准教授がシンクタンク時代に取り組んだのは、そうした実践知の構築だった。「企業の実態に精通した研究者は少なく、経営理論を深く理解したコンサルタントも多くはなかった。この分野は、ある意味でブルーオーシャンでした」と当時を振り返る。その知見を凝縮した著書『事業戦略策定ガイドブック』(同文舘出版)は、実務と理論を橋渡しする内容で支持を集め、刊行から9年で27刷を重ねるロングセラーとなっている。
「本著の出版後は、コンサルティングよりも社員研修の仕事が増えてきました。企業の幹部候補生に対して経営戦略の策定方法を講義。実際の戦略策定を伴走し、経営層に対してプレゼンテーションをしてもらう。こうした企業の部課長向けの研修は20年以上続けています。このメソッドは、大学のゼミでも取り入れています」
「多様性」は組織の意思決定の質を向上させるか
ここ数年は経営戦略や組織における意思決定と多様性の関係について注目。特に若手社員と管理職の思考様式の違いや、多様なメンバー構成が意思決定の質にどう影響を与えるのかという実証研究を行っている。
「経営戦略を研究する過程で、誰が意思決定するかによって結果が変わってくることに気づきました。戦略策定プロセスや分析フレーム、検討方法を整理したとしても、そこに情報を投入すれば自動的に答えが出てくるわけではありません。最終的には人が判断することになります。そこから意思決定の研究に興味を持ち、特に集団での意思決定における認知的多様性、つまり思考様式の多様性に注目するようになりました。『三人寄れば文殊の知恵』と言われますが、集団でどう議論をし、どうすれば意思決定の質の向上につなげることができるのかを研究しています」
一般的には、集団のメンバーが多様だと、その相互作用の結果として問題解決力や予測能力の向上につながるとされている。ただし学術的な研究では、意思決定の質につながる多様性と、そうでない多様性があることも明らかになっている。
「具体的には、能力や経験、スキルなどの『タスク型』の多様性は組織パフォーマンスに影響しますが、性別や国籍などの『デモグラフィック型』の多様性がパフォーマンスを高めるという結果は出ていないのです。その差を読み解く鍵となるのが、思考様式の多様性ではないかと考えています」
こうした仮説を検証するため、坂本准教授はいくつかの研究を進めている。その1つとして、企業で働く若手社員と管理職社員の間に思考様式の違いがあるかを定量的に分析したものがある。その結果、若手社員は「直感的に判断し、犠牲を伴う決断を厭わない」傾向があること、一方で管理職社員は「複数の情報を分析して慎重に判断する」傾向があることが明らかになった。
「この研究から、思考様式は年齢による違いというよりも、社会経験の違いに影響を受けることが見えてきました。そして、若手と管理職では思考様式が異なるため、意思決定の場に若手を加え、多様性を増すことが組織の意思決定の質を高める可能性が示唆されました」
一方で、性別による思考様式の違いについても研究を進めた坂本准教授だが、こちらは予想外の結果が出た。かつてベストセラーになった書籍『話を聞かない男、地図が読めない女』(主婦の友社)で男性脳・女性脳の存在が紹介されたことがあった。しかし、坂本准教授の分析結果では思考様式に違いがあるとはいえなかったという。
「日本企業では女性取締役比率の向上や女性管理職比率の向上に取り組み、少なからずの経営者がその目的をイノベーションだとしています。しかし、学術的な見地から言えば、その効果が限定的だと言わざるを得ません」
現在、坂本准教授は職種による思考様式の違いに関する研究を計画中だという。企業経営においては多様な視点をどう活かすかという課題が常にあるからだ。
「能力や経験は、マーケティング・営業、製造・技術、財務・会計、法務など概ね職種と一致すると考えられます。そこで、職種経験ごとの思考様式の特徴を分析し、企業において取締役会メンバーを検討する際の一助になればと思っています」
理論を深く知る実務家として
社会で役立つ基礎力を学生に伝える
実務に役立つ研究を通じて企業に貢献
坂本准教授は、「私はずっと民間企業で働いてきた人間なので、自分を学者だとは思っていません」と語り、研究においても純粋な学術的貢献より、実務への応用を重視している。
「私が貢献したいのは産業界です。研究成果を出すことそのものよりも、企業の方々に喜んでもらえたり、産業界が少しでも元気になったりすることに、何よりのやりがいを感じます」
常に産業界の動向を意識した教育・研究活動を展開する坂本准教授だが、最新の企業情報をキャッチアップするために意識的に企業の方々との接点を持つようにしているという。
「大学に入って企業との接点が少なくなると、企業が今何に悩んでいるかという情報が入ってきません。そこで意図的に時間を取って企業の方と会う機会を作り、最新の課題や動向について情報交換をしています。また民間企業の社外取締役も務めており、取締役会の議論からも多くを学んでいます」
学生が楽しく学べる環境づくりを重視
坂本准教授は教員としての活動において、「学生が楽しみながら学ぶこと」を大切にしている。その背景には、大学生活のリアルな課題への気づきがあった。
「2020年に教員になって驚いたのは、メンタル的な問題で大学に来られなくなる学生が少なくないということでした。まずは学生が大学に足を運び、継続的に学びを深めてもらうこと。そのためには、授業やゼミが楽しいと感じてもらうことが重要だと考えています」
具体的な取り組みとして、ゼミ室を学生に開放し、軽食やお菓子を置くなど、気軽に交流がはかれる居場所づくりに力を入れている。こうした小さなきっかけづくりによって、学生同士のつながりが育ち、学びの継続につながっているという。
「教育で特に力を入れているのは、経営戦略という表のテーマを通して、社会人の基礎力というべき、ビジネススキルを伝えることです。グループワークでの人間関係の乗り越え方、プレゼンテーション能力、論理的思考力など、社会に出てから必要になるスキルを身に付けてほしいと思っています」
坂本准教授のゼミでは、企業の協力を得て実践的なプロジェクトに取り組むことも多い。学研ホールディングス様やサントリーパブリシティサービス様など実際の企業に向けて新事業提案やマーケティングプランを発表する機会を設け、学生の成長を促している。
「企業の方に対して発表することで、学生は緊張感を持って分析に取り組みます。企業の方からは『学生がここまで企業分析をできることに驚いた』という感想をいただくこともあります。それは私が社会人向けの戦略研修で培った手法を学生教育に活かしているからかもしれません」
学研ホールディングス様への新事業提案
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2022/r11i8i000009tm4p.html外部リンク
ドコモ・インサイトマーケティング様「モバイル空間統計®」を活用したエリアマーケティング提案
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2023/r11i8i00000a5xiz.html外部リンク
電通様とのコラボによるSNSをバズらせる提案
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2024/uu3nks000001yj33.html外部リンク
サントリーパブリシティサービス様へのサントリー商品マーケティング提案
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2024/lo4e4n000000vd8a.html外部リンク
Schoo様とのコラボによるB2Bマーケティング(法人向け提案型営業)提案
https://www.obirin.ac.jp/info/year_2024/lo4e4n0000019tiq.html外部リンク
この実践的なアプローチは、就職活動にも役立っている。ゼミナールでは就活の際に、学んだ戦略分析の手法を使って志望企業を分析し、自分という「商品」をどう売り込むかを考えさせているという。
「特定の業界に限定せず、社会人としての基礎力を高めることを重視しているので、卒業生の進路も多様です。桜美林大学ビジネスマネジメント学群の魅力は、教員陣の『実務経験者の多さ』だと考えています。理論だけでなく、実際の企業内で起こっている事例も豊富に説明できますし、経営理論が会社でどのように使われているかも伝えられます。今後さまざまな業界の企業で活躍できる学生の育成に努めたいと思います」
※記事本文に記載の職位などは、取材当時の情報です。
教員紹介
Profile
坂本 雅明教授
Masaaki Sakamoto
1969年埼玉県生まれ。上智大学経済学部卒業、一橋大学大学院商学研究科修了(MBA)、東京工業大学(現・東京科学大学)大学院イノベーションマネジメント研究科博士後期課程修了(博士(技術経営))。1992年に日本電気株式会社(NEC)入社。その後複数のコンサルティング会社で戦略系の研修・コンサルティング、経営幹部候補者研修に従事。その間、一橋大学イノベーションセンター非常勤共同研究員、東京都立大学ビジネススクール非常勤講師を歴任し、2020年に桜美林大学に着任。プライム上場企業の社外取締役も務める。主要著書に『事業戦略策定ガイドブック』、『事業戦略実践ガイドブック』、『戦略実行とミドルのマネジメント』(いずれも単著、同文舘出版)。
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