• リベラルアーツ学群

    人文領域文学

    統合領域日本研究

山名 順子 教授

Junko Yamana

山名順子先生がインタビューに応じている様子
  • 馬琴中心の読本研究からこぼれ落ちた、狂歌師たちの読本に注目
  • イェール大学で和本や狂歌摺物に触れ、書誌学の視点を養う
  • 文学を通じて、歴史・社会・言葉を読み解く力を養う
山名順子先生がインタビューに応じている様子

近世文学の「江戸読本」を研究

馬琴の規範から外れた、狂歌師の読本を読む

近世文学と聞いて、まず思い浮かぶ作品の一つに、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』がある。同作は、教養や中国小説の知識を背景に、因果応報や勧善懲悪の思想を物語に組み込んだ「読本(よみほん)」というジャンルに位置づけられる。江戸時代中期から後期にかけて成立した「江戸読本」の作者の中でも、馬琴はとりわけ大きな存在であり、読本研究においても長く中心に置かれてきた。
リベラルアーツ学群で近世文学を専門とする山名順子教授は、この江戸読本の中でも、馬琴に代表される主流の作品だけではなく、和歌の形式を借りて滑稽や風刺、言葉遊びを楽しむ文芸「狂歌」を詠む狂歌師や、その周辺の文人たちが手がけた作品に目を向けてきた。
「近世研究においては馬琴の存在があまりに大きく、馬琴が作り上げた『読本はこうあるべき』という規範からこぼれ落ちてしまう作品には、研究者もあまり目を向けなかった時代がありました。しかし、実際に作品が存在し、それを読んでいた人がいる以上、それもまた時代の一部であったはずです。これまで光が当たっていなかった作品を調べていけば、日本文学史が少し変わるのではないかと考えました」

「徹底しない勧善懲悪」とは何か

 馬琴が示した規範から外れた読本を読むことは、文学史の中心に置かれてきた作品だけでは見えてこない、もう一つの近世文学の姿を探ることでもある。このような問題意識のもとに書かれたのが、博士論文の『狂歌師の読本 : 勧善懲悪と典拠と』だ。
もともと読本には因果応報の思想が織り込まれているが、中でも、馬琴はとりわけ勧善懲悪を貫くことに非常に力を注いだ作家だった。
「馬琴の読本では、悪事を働いた人物は滅び、善人が悪者の手にかかって命を落とす場合にも、それは前世の罪が現在の形で現れたものとして説明されます。つまり、物語の中で起こる出来事を、徹底して勧善懲悪の枠組みの中に位置づけているのです」
一方、狂歌は、和歌の形式をもじり、滑稽や風刺、言葉遊びを楽しむ文芸である。そのような文芸に親しんだ狂歌師たちが手がけた読本には、馬琴の読本とは異なる、人間的な割り切れなさがあるという。
「狂歌師の読本では、本当に悪い人物が死なないこともあれば、誰も悪くないにもかかわらず、悲しい出来事によって人々が命を落としてしまうこともある。そうした『徹底しない勧善懲悪』とは何なのかという点に、強く関心を持ったのです」
そこで山名教授は、狂歌師やその周辺の文人たちが手がけた読本を読み解き、馬琴が示した規範とは異なる読本のあり方を探っていった。
研究の手がかりとなったのは、作品の中に用いられた典拠や人物関係、そして作中に登場する事物の働きである。典拠とは、作品のもとになった古典や歴史書、先行作品などを指す。どの作品から筋立てや表現を借り、どのように組み替えているのかをたどることで、作者が何を重視し、どのような物語世界をつくろうとしたのかが見えてくるのだ。
山名教授が関心を寄せたのは、作品の筋立てだけではない。作中に描かれた事物が、なぜそこに置かれているのか。登場人物の関係や出来事の背景に、同時代の人間関係や価値観がどのように反映されているのか。そうした細部を読み解くことで、馬琴的な勧善懲悪の枠組みだけでは捉えきれない、人間の割り切れなさや、作者同士のつながり、同時代の出来事へのまなざしといった、狂歌師たちの読本ならではの特徴を浮かび上がらせていった。 
 
博士論文をまとめた当時、馬琴以外の読本や、狂歌師・その周辺の文人たちによる読本に注目する研究は多くなかったという。その意味で、山名教授の研究は、江戸読本研究の視野を大きく広げるものだったといえるだろう。
Column

読本」と「草双紙」の違いとは?

江戸時代の主な読み物には、絵を中心に楽しむ「草双紙(絵本)」と、文章を読むことに重きが置かれた「読本」がある。草双紙は、まず絵を見ることで大まかな筋を理解し、文字で細かな情報を補う形式の本だ。一方、読本は挿絵が少なく、物語や教養、歴史、中国小説の影響などを文章から読み解いていく本であった。当時は、文字を読み解く読本は男性向け、絵の多い草双紙は女性や子ども向けと見なされる傾向もあり、読み物の形式にも時代の価値観が表れていた。

幼少期の読書体験から近世文学研究へ

キャンパス内で佇む山名順子先生

近世文学の“生々しさ”に惹かれて

 山名教授が文学に親しむようになった原点は、幼い頃の読書体験にある。家には多くの本があり、幼い頃からシェイクスピアの大きな全集を手に取る環境があった。小学校の頃からシェイクスピアを読み、古事記やギリシャ・ローマ神話にも親しんできたという。 
本の中には、自分の想像を超える世界が広がっている。一方で、国や時代が違っても、人間の考えることや感情には通じ合うものがある。作品を読み重ねる中で、山名教授はそう感じるようになっていった。 
「小学校の頃から、古事記やギリシャ・ローマ神話など、国や時代の異なる古典に触れる中で、『人間が考えていることは昔からあまり変わらず、その意味で人間の感情はつながっているのではないか』と感じるようになりました」
 
その後も『徒然草』や芥川龍之介の作品など、多くの本を読む機会に恵まれ、高校卒業後はお茶の水女子大学文教育学部言語文化学科に入学。文学研究の道に進んだのは自然なことのように思われるが、当初は「近世文学」ではなく、「近代文学」を研究したいと考えていたという。そんな山名教授の進路を変えたのは、現代文学を担当されていた大塚常樹先生の助言だった。
「もともとは近代文学を研究したいと思っていましたが、先生からもう少し考えてみるようにと助言をいただいたのです。最終的に研究対象としての候補に残ったのは上代と近世でしたが、近世文学の知識がほとんどなかったため、まずは学んでみたいと思いました。そこでいざ近世文学に触れてみると、古典とも近代とも異なる、人間や社会の生々しさが立ち上がってくるところに魅力を感じたのです」
山名教授が卒業論文で対象としたのは、山東京傳(さんとうきょうでん)の読本『絵本梅花氷裂』だった担当教官の市古夏生先生から勧められた作品だったが、研究を進めるうちに、山名教授の関心は先生の想定とは少し異なる方向へ進んでいったという。
「『絵本梅花氷裂』には金魚が登場します。私はその金魚が気になり、なぜ作品の中に金魚が描かれているのかを調べるため、奈良県・大和郡山の郡山金魚資料館まで実際の金魚を見に行きました。先生には驚かれましたが、作品の中に書かれたものが、そこでどのような意味を持つのかを考えることに関心があったのだと思います」
物語の筋だけを追うのではなく、作中に登場する事物に目を向け、その意味を掘り下げていく。山名教授にとって卒業論文での経験は、近世文学を読み解くうえでの視点を形づくるものとなった。
「近代文学の研究では、作品に登場するものが大きな意味を持ち、メタファーや文化研究へと広がっていくことがあります。一方、近世の読本では、既存の物語の筋を借り、そこに作者なりの趣向を盛り込むことも多くあります。山東京傳の作品の中に、そこに近代的なまなざしのようなものを感じたのです」
この卒業論文をきっかけに、山名教授は山東京傳や、京傳と関わりのあった文人たちの読本へと関心を広げていく。その関心はやがて、馬琴が築いた読本の規範とは異なる作品群へと注がれることになった。

“本物”の資料に触れ、文学を読み解く目を養う

 近世文学に惹かれた山名教授は、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻修士課程へ進学。その後、同大学大学院人間文化創成科学研究科国際日本学専攻博士後期課程で、さらに研究を深めていった。博士後期課程在籍時には、イェール大学文理大学院東アジア言語文学科への留学も経験している。
山名教授にとって、海外の図書館や美術館に所蔵された日本の本を実際に見ることは、早くから関心のあるテーマの一つだった。
「私はもともと実物の資料に当たるのが好きで、海外に多く所蔵されている日本の資料を実際に見られることを楽しみにしていました。実際にアメリカに留学していた時期には、大学が所蔵する和本を調べたり、周辺の美術館や図書館で資料を見せていただいたりする機会に恵まれました」
イェール大学では、未整理の和本に触れる機会もあった。さらに、狂歌師たちが私的な交流の中で制作した一枚刷りの印刷物「狂歌摺物」の展示に関わるなど、近世文学を紙の質感や装丁、所蔵状況を含めて捉える経験を重ねていった。
「お茶の水女子大学で指導してくださった市古夏生先生は、書誌学にも明るい先生でした。本を丁寧に見て調べることの大切さを教えていただいていましたが、海外でさまざまな資料に触れたことで、それまでの学びを実践に移す機会になったと感じています」
 
留学から帰国後、博士論文として『狂歌師の読本 : 勧善懲悪と典拠と』を発表。学位取得後は川村学園女子大学に着任し、近世文学を専門としながら、授業では近代文学にも携わる機会を得るなど、研究領域の幅を広げていった。

文学を通じて、世界の見方を広げる

キャンパス内で佇む山名順子先生

違和感を手がかりに、思わぬ宝物に出会ってほしい

今後の研究について、山名教授はあらためて近世の読本を幅広く読み直していきたいと語る。
「近世の江戸読本における勧善懲悪のあり方については、今後も考え続けていくことになると思います。また、これまで扱ってきた作品以外のさまざまな読本も読み、自分が関心を持ってきた作品が近世文学の中でどのように位置づけられるのかを見ていきたいと考えています」
また、川村学園女子大学で近代文学に触れる機会が多かったことも、山名教授の視野を広げるきっかけになったという。
「近世文学を研究してきた視点から近代の作品を見ると、これまであまり指摘されてこなかったつながりが見えてくることがあります。桜美林大学の文学プログラムの藤澤太郎教授が、非常に広い視野で文学をご覧になっていることにも刺激を受けています。日本文学、近世文学という枠だけにとどまらず、文学を広い視野から捉え、そこで得た視点を学生にも還元していきたいです」
リベラルアーツ学群で学ぶ学生に向けたメッセージとして、山名教授は「文学は文字を読むだけのものではない」と語る。
「文学を読むことは、そこに書かれている文章だけでなく、作品の中に登場するもの、言葉、歴史、背景にある社会まで含めて読み解くことだと考えています。私たちが今楽しんでいる本も、200年後の人が読むときには価値観や常識が変化していて、言葉の意味から時代背景までを調べなければ、本当の意味では理解できないかもしれません。だからこそ文学研究には、細かな調査や背景を知る力、分析する力が必要です」
一見、実社会と直接結びつきにくいように見える学問も、世界を広く捉え、自分の頭の中を広げるための重要な学びである。山名教授は、大学での4年間を通じて、学生一人ひとりが自分の世界を広げていくことを願っている。
「見たものや聞いたことを、まずは一度受け入れてほしいと思います。しかし、自分の中にある『砂利』のように小さな違和感を見過ごさず、それが何なのかを知ろうとすることも大切です。『変だぞ』と思ったことを調べていくと、思わぬ面白い宝物が出てくることがあります。リベラルアーツの学びは、机上の知識だけで完結するものではありません。自分の世界が広がっていくのだと感じながら、大学での時間を過ごしてほしいと思います」 

教員紹介

Profile

キャンパス内で佇む山名順子先生

山名 順子教授

Junko Yamana

お茶の水女子大学文教育学部言語文化学科卒業。同大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻修士課程修了後、同大学大学院人間文化創成科学研究科国際日本学専攻博士後期課程を修了。博士後期課程在籍時には、イェール大学文理大学院東アジア言語文学科への留学も経験。2011年、博士(人文科学)の学位を取得。専門は日本文学、特に江戸時代中期から後期にかけての読本研究。曲亭馬琴に代表される主流の読本だけでなく、狂歌師やその周辺の文人たちが手がけた作品にも注目し、近世文学の多様なあり方を読み解いている。川村学園女子大学文学部日本文化学科で教授を務めたのち、2026年4月から現職。

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