武藤 乃子さん
フリーアナウンサー
(ホリプロ所属)
テレビや雑誌等で活躍するフリーアナウンサーの武藤乃子さんと、放送作家や芸人のほか多彩な顔を持ち本学の客員講師でもある佐藤満春さん(サトミツさん)という、二人の卒業生に来ていただきました。
お二人とも「コミュ力には自信がない」と言いますが、それぞれが現在の活躍に至るまでの考え方や行動力、そして桜美林大学の校風や環境について、たっぷり語ってくれました。
「話すこと」のプロだからこそ見えてくる、町田を中心とした立地や、“等身大である”という桜美林大学の絶妙な魅力を、ぜひ感じてください。
武藤 乃子さん
フリーアナウンサー
(ホリプロ所属)
文学部 総合文化学科(現:芸術文化学群)2004年卒業
Instagramアカウント @muto_noriko.11
ブログ https://ameblo.jp/noriko-muto/
佐藤 満春さん
放送作家・構成作家/芸人/
脚本家/トイレ博士/
掃除専門家/
桜美林大学客員講師
文学部 中国語中国文学科(現:リベラルアーツ学群)2000年卒業
オフィシャルサイト https://satomitsuharu.officialsite.co/
武藤:武藤乃子です。ホリプロに所属してフリーアナウンサーをやっています。今の芸術文化学群の前身、文学部総合文化学科の一期生として入学しました。
在学中からアナウンススクールに行っていて、事務所に所属せずフリーで、雑誌やテレビ番組に出たり、映像系のオーディションを受けたりしていました。
でも、渋谷のスクランブル交差点で人に酔って、もう私は東京の生活は合わないと思って、卒業して一年で田舎に帰りました(笑)
私は群馬出身で大学から東京に出てきたんですが、群馬に帰って中途採用で群馬テレビに入りました。地元の独立局なので、記者をして、カメラをまわして、テロップを作って、ナレーション入れて、と一通りやりました。
4年間働いたら体調を崩して耳が聞こえなくなってしまって、当時Jリーグ中継の仕事をしていたスカパーの方に「辞めます」ってメールを送ったら、「ちょうど今番組でMCを探しているから、辞めるのならやりませんか」ってお話をいただき「アフターゲームショー」という番組をやるようになりました。その時にホリプロに入り、今も群馬に住みながら仕事をしています。
今日も群馬から来ました。子供が二人いて、夫が今愛知にいるもので、群馬の実家の近くで子育てしながら、仕事のたびに出てくるっていう、働き方改革を早い段階で取り入れたみたいな感覚でやっています。
サトミツ:佐藤満春です。今47歳で1996年入学の2000年卒です。当時は文学部(現リベラルアーツ学群)の中国語中国文学科です。僕は町田出身で、今も町田に住んでいて、小中高と町田だから、町田の大学なら行く理由があると思い桜美林にしました。大学時代は友達も少ないし、それほどコミュ力なんかありませんでした。真面目で、大学時代は本当に勉強したんですよ。東大やトップ私大じゃないけど、自分が入れる最大限の大学に入ったっていう自負はあったから、めちゃくちゃ勉強しました。
卒業後は就職せずに、ダメ元でお笑いをやろうと思って家を出て、お笑い芸人として活動を始めました。ずっとバイトしながら生活していたんですけど、たまたま2008年に「爆笑レッドカーペット」という番組のオーディションに受かって出るようになりバイトも辞めました。それでテレビに出始めるんですけど、自分がテレビタレントとして振る舞えないことに気づいちゃいました。ひな壇に人がバーッといて、自分は一言も喋らないで帰るみたいなことが続いて、前から書き物の仕事をしたいなと思っていたところ、運よく放送作家の仕事を紹介してもらって、そして今に至ります。
サトミツ:メインに放送作家をやりながら、トイレ掃除が好きなので、それらの専門家的な活動で本を出したり講演会に出たり、芸人ではなく「お掃除の人」としてテレビに呼ばれたり、カルチャースクールで講師をしたりとかやっています。
放送作家の仕事は、頼まれたら全部やって、最大23番組くらいやっていました。それまでは寝ないで仕事をするみたいな生活が全然平気で、仕事を依頼される喜びが上回っていたんですね。
そうしたら、さっき武藤さんが耳聞こえなくなったと話されていましたが、自分もまさに低音性難聴になってしまいました。さらにめまいと逆流性食道炎とかも。それが37歳の時です。一旦回復したので番組は減らさなかったんです。でも42歳の時に再発して、さすがにダメだと思って仕事を半分くらいに減らしました。
僕もビルがバーッとあって、人がワーっといるところが苦手です。47歳になって「毎日町田から都心に出ていく生活をいつまでやるんだろう?やっぱり僕は町田で仕事をしたい」と思って、学長とそんなお話をしたら、ご縁をいただいて今年からこの大学で授業をやらせてもらうようになりました。
番組は引き続きやっているんですけど、母校で、しかも町田で、自分のキャリアを活かした仕事ができていることにすごく喜びがありますね。
武藤:最近の仕事は、レギュラーのテレ朝の番組と、集英社の雑誌の専属読者モデルみたいなので呼ばれれば行くのと、単発のものをやっています。子育ての比重が大きいので、できる範囲でやっています。子供は高1と小3がいて、実は高1の子はサッカーで家を出て県外にいるんです。それで、今年からちょっと楽になりました。
実は、40歳になった時に「もう人生の半分が終わってしまった」って思っていたんです。この10年何をしていたんだろう、本当は自分も仕事をしたいのにって思いながら、結構モヤモヤしてたんです。だけど、春先になって急に「いや、私はまだ人生半分ある」と思うようになりました。
サトミツ:「もう半分」から「まだ半分」ですね。時間ができるって大事ですよね。
武藤:そう!
今は活力があって、ここからやりたいことがいろいろあるなぁって思っている段階です。
まず家を片付けようなんですけど(笑)本当にまだやりたいことがあるなって思います。やっと自由が利くようになったんだと思ったら、なんだか楽しいですね。
サトミツ:今は、細かな仕事で飯食って生活できたり、住宅ローンを払えていければいいんですけど。仕事としては、「DayDay.」とか「ヒルナンデス」とか日テレの番組が多くて、テレ朝のバラエティーもいくつかやっています。あとはラジオですね。「オードリーのオールナイトニッポン」とか。10番組ぐらいをやりつつ生活しています。ラジオは仕事というより楽しみでやっています。一方で自分で劇を書いて舞台に立ったり、自分のラジオをやったり、お金にならないようなこともいくつかやりながら、この春から授業をやっています。地元でできる仕事に初めてチャレンジしていて、今後は町田でできる仕事をゆっくり広げていきたいなと思っているところです。
武藤:レポートするときは言葉遣い。あとレポートの対象に対して間違いがないか。
私はその場に行くと、それが何であっても楽しいと思えるタイプなんですよ。番組によっては、テンションをそこまで上げずにいく番組も、高いテンションでいける番組もあるから、その場に合わせる感覚は身につけています。
あと、ちょっと苦手なものとかあるじゃないですか。私は川魚が苦手なんですけど、そういう得意じゃない分野の時は「すり合わせ」です。この魚の特徴はこれで合っていますか?とかを事前に生産者の方とか、お店の方とか、絶対間違えないよう、会話の中で聞き出すようにしています。言い方も、こういうふうに言って間違いないですか?とかもすぐ聞いちゃいます。それで、大丈夫ですと言われれば、それをそのまま話します。
基本的に下調べはしていきます。苦手なものは念入りに、旬の魚なら脂の乗りとか、この白身魚は「ふわっと」という表現で合っているのか?それとも身が締まっているのか?とかを確認します。
サトミツ:僕は得意分野が狭いので、番組の意図とか、こういう話をして欲しいといったオファーをいただいた段階で、できそうってことはチャレンジしますけど、苦手だなと思ったら断るようにしています。
得意分野の見つけ方は消去法です。大勢の芸人さんの中で自分はしゃべれなかったとか、居心地が悪かったとか、気持ちよくできなかったとかがあると狭まる。例えば「さんま御殿」に年に一回必ず呼ばれるんですけど、僕は情報を持っている側で呼ばれるんです。普通、芸人だとひな壇で呼ばれるんですけど、僕はそっち(ひな壇側)に辿り着けなかった。でも情報を話す側でお仕事をいただいてるってことは、情報を話すことは得意なんだと思うんですよ。例えば、掃除の失敗談みたいな面白いエピソードを喋ってさんまさんに突っ込まれることはできない。けれども掃除について情報を話すことができる。そういうことがいろんなところで起きて、増えていった仕事が得意分野なんだって認識して、じゃあ、そこは武器として磨いていこうと。
放送作家の仕事が増えたのも、裏側で作る方が向いているんだなって思ったからです。ラジオで自分がしゃべらなくても、ラジオに関わってさえいれば楽しいんだとか、冷静に見極めながらですね。
先ほどの武藤さんの話もそうですけど、辞めようとしたら次の仕事が来るのって、実直に仕事をして、役割を果たしていたからチャンスが転がってくるんですよね。目の前にある、自分ができる仕事をやっていくのは大事だと思いますね。
武藤:私たち一期生って、今と比べるとカリキュラムが整ってなかったと思うんです。映像をやりたかったけど、当時は映像の授業がなかったんですよね。演劇の舞台系の授業ばかりだったので、もちろん演劇の制作にも携わってはいたんですけど、私、演劇の舞台やるためにバイトの時間を削るのがちょっと嫌で、バイトもしたい、彼氏と遊べないとか、いろいろ考えて。それで雑誌が好きだし、映像やテレビを作っているところを見たいと思って外に出たんですよね。当時集英社のnon-noのオーディションに受かって、その後MOREの専属モデルになって。アナウンススクールに通ったりオーディション受けたりとか。いい意味であまり大学のみんなに流されずに、自分のやりたいことをやっていました。
もちろん孤立はしないです。プラネット淵野辺キャンパスにプルヌスホールっていうホールがあったんですけど、それができた時のこけら落としにはみんなと一緒に出たりしているので、なんか面白そうなこと、自分が興味があることを、大学の内か外かに限らず行動していました。
サトミツ:僕は勉強していました。自分の最大出力を出せる大学に入ったなって感じだったので、大学生たるもの学ばなきゃいけないみたいな。
学祭の時に核兵器は良くないみたいな展示をやったり、本をめちゃくちゃ読んだり。僕、遠藤周作の『沈黙』という本が好きで、キリスト教学の授業を取って授業後に先生のところに行ってずっと質問攻めにしていました。
あと中文科で、卒論で日中国交正常化について書いているんですけど、日本と中国の関係ってなんだ?みたいなことをその当時の先生の部屋に質問しに行く学生でした。図書館にもめっちゃいました。
そうしながら、お笑いライブに行って、ネタを書いて、ライブに出るみたいなこともやっていました。その中で大学1年の時の夏休みに、マレーシアに木を植えに行くというプロジェクトがあったんですよ。地球に木が足りないから木を植えに行こうみたいな。1ヶ月間マレーシアの何もない田舎町で木を植える。今しかできないことで、どうせ就職もできないし、お笑いで飯を食うこともできないって知っているから、大学4年間のうちに何かをなそうとしていたんだと思います。
司会:お二人ともあまりギラギラしてないですよね
武藤:全然してないです(笑)ギラギラしている子が羨ましいと思うこともありますけど。やっぱそういう子が強い場面もあるけど、私はそれが全然できない。
サトミツ:大学の校風と関係があるかもしれないです。
武藤:私は、日芸に行きたかったので日大の付属高校だったんですよ。でもちょっと私には合わないかもって思い始めて、日芸って名門ですけど、分野も分かれていて、私は幅広くやりたいなって思って。ずっとピアノをやっていたので、ピアノで行こうかなとも思ったんですけど、別に演奏家になりたいわけでもないし、どうしようって思っていたら、ちょうど桜美林に総合文化学科が新設されるので、日大にも付属からの推薦で受かってはいたんですけど、新しいのって面白そうだなと思ったのと、学部、学科問わずいろいろな授業が受けられるっていうのもあって桜美林に入りました。
入って良かったと思ったのは、ゴミが1つも落ちていなかったんですよ。それで私、いい学校に入ったなと思いました。
サトミツ:教員の方と学生さんの距離がめっちゃ近いと思います。
武藤:他はわからないですけど近いんですかね。普通に沢山しゃべりますし。卒業後も関係が続きます。
サトミツ:それは近いですよね(笑)
マレーシアで仲良くなった先生と、キリスト教学の先生と中文科の先生。この3人のところには何かあったらひたすら行ってました。先生も全然ウェルカム。なんでも答えてくれました。
今、自分が教壇に立つようになって、僕も授業後は残っています。学生もわりと来てくれます。相談事もあるし雑談もあります。
サトミツ:町田にあるっていうのはすごく大きいと思います。町田ってなんか東京なのに、東京じゃねえみたいな扱いを受けるじゃないですか。(世田谷の)成城学園でもないし(渋谷の)青学でもないわけですよ。桜美林大学は町田に根差している(笑)
あと、例えば慶應卒っていうブランドを手に入れるのに対して、ボーっと4年間過ごして桜美林卒っていうのは、世の中そんな甘いもんじゃないっていうのを大学側も多分わかっているから、ちゃんと武器を身につけてから出ていくようにしてくれる。
お高く止まってないのがすごくいい。等身大というか、立地も含めて現実的なんです。
僕の世代はみんな日大とか東洋とか成城とか受けて落ちて、挫折して入ってきているんですよ。でも挫折した人って強くて、ここから頑張るぞって人が多かったと思います。
武藤:私も大学名にコンプレックスはあったんですが、学生キャスターをフジテレビでやらせてもらったときに、学校名って関係ないなって思ったんです。他の大学の人がいる中、私を選んでもらえたんだって思ったら、やっぱり自分次第だなって思いました。サトミツさんがおっしゃっていましたけど、ボーっとしていない子が多いと思うんです。選択制の授業も、自分に何が必要か、何がしたいかで組み立てなきゃいけないのも、自由だけれども難しいじゃないですか。そのためにも自分をちゃんと見つめられている人が多いのかなと思っています。
サトミツ:本当に何かをやろうとか学ぼうとか、それこそ武藤さんみたいに外に可能性を求めながら、大学のことは大学でやっていって、それで桜美林大学の人って結果を出すわけじゃないですか。なんかそういう楽しさが、めちゃくちゃあるんじゃないですかね。
武藤:舞台をやりたい子はバンバンやっていたし、それをダメとも言われないから、自由にやれるんだなっていうのがあります。
本当に自分次第。
社会に出たら、学校名なんて本当に関係なくなるって思います。だから自分の置かれた環境で何をしていくか次第だなぁっていう意味では、本当にやりたいことをやらせてもらえる大学です。
武藤:多分私たちが通っていた時より専門性が高くなって、キャンパスも分かれているし、そういう意味では、やりたいことが分かっている方にとって、より学びやすくなっているので羨ましいなと思います。芸術文化学群なら、スタジオがあって劇場があって、いや、本当にお笑いライブだってできるじゃないですか。
サトミツ:できます、できます。なんでもできるし、めちゃくちゃすごい施設。
これだけ幅広い学群とか選択肢がある中で、いろんな環境が整っているじゃないですか。やってみたいと思ったときに、そこに触れられる環境はすごく良いと思う。今は少子化で、大学同士で学生を取り合っている中、桜美林の学生って増えていると思うんですけど、それは大学側が環境を整えているからだと思うんです。
もうこの座談会ページを見に来てくれたなら、桜美林を受けた方がいいですよ。それもご縁だと思うので。
武藤:やっぱり町田くらいがちょうどいいし、学校生活に集中できるので、確実にやりたいことができます。合う合わないはあると思うので、もし、桜美林を受けるか迷っているのなら、学校や雰囲気を、一回見に来て欲しいです。