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2003年度 春学期

 友寄智恵子(3年)

期日:2003/8/1 〜 2003/8/29

研究地:タイ パヤオ県 ポン郡(首都バンコクから高速バス12時間北上)

研究テーマ:山岳少数民族モン族の生活・社会問題

現地での活動内容

 私は、当初ある研究テーマをもって、シャンティ国際ボランティアのインターンシップに参加をさせてもらった。そのテーマとは、「タイ山岳少数民族モンの社会問題の研究」であった。具体的にいうと、モン民族が大きくかかわっているという麻薬問題、売春、人身売買などのことをいう。現代ではそのような問題がどのようにモン人にかかわっているのかを調査したかったのである。

 まず、直接パヤオに直行するのではなく、バンコクのクロントイにある事務所で、5日間滞在した。それは、パヤオ事務所は、辺鄙なところに位置しているため、私の研究テーマに必要な資料不足が予測されたため、それをバンコク事務所でまかなう、という目的のもとであった。また、パヤオ事務所には日本人スタッフがいないため、(ちなみに、パヤオ事務所にはモン人スタッフ3人)そこに滞在している間に、研究テーマの確認や相談をすることができた。その際に、私が大きな衝撃をうけることになった意見があった。それは、私の研究テーマに沿ってどのように村人にアプローチをしていくべきかを彼らに相談したときのことであった。彼らは、「村人が、そのような奥の深く、プライベートな問題をよそ者に簡単に口をわって話してくれるとは、考え難い。それは、彼らに受け入れられて始めて、腹を割って話すことのできるほどのおくの深い内容のものではないか。」という意見をくれた。そして、私はそこで改めて考えさせられ、研究テーマというよりも、まずは村人にうけいれられるように常に、オープンに彼らと接する事、を目標にパヤオのモン人の村である、センサーイ村へとホームステイで入ることになったのである。

パヤオへ入る

 バンコクから高速バスで約12時間かかってパヤオに到着し、そしてまずは5日間シャンティ国際ボランティアの活動のひとつである、山岳少数民族の中高生を対象とした寮で、実際モンやミェンの生徒と生活を共にすることにした。彼らは、実家の村には、教育機関、つまり学校がないため、学習意欲はあるのに、そのような待遇のため教育を受けるのが困難な生徒である。彼らの生活は自立しており自分達で決められた当番制で、学校での弁当をつくる係り、夕飯係、市場に材料を買いに行く係りなどなど、ほとんどスタッフの力を借りずに日常生活を送っていた。私がその間、行っていた主な活動はというと、彼らと一緒に学校へいき、実際授業に参加をしてみたり、サンティスックという、わりと新しいモンの村へ舗装されていない、かなり危険な山道をこえて、見学をしたりということであった。そして、着々と、モンの村、センサーイ村へ入って実際すむ準備をすすめっていったのである。

センサーイ村について

 いよいよ私が一週間生活をすることになるセンサーイ村へ入った。センサーイ村は133世帯、総人口965人で、そのうち半分以上が12歳未満の子供である。(2003年8月22日現在)1975年から、政府の定住化政策により、元来は山の上に住んでいた彼らを、強制的に低地に住ますという方法をとった。センサーイ村は、一つの山岳村から集まったのではなく、いくつかの村を一つにまとめて場所を提供された。電気や、水道は10年前から設置され、電機はタイ政府によって、水道はタイと日本の政府からの援助でまかなわれたものである。

次に、私が実際、フィールドワークとして彼らと生活を共にして新しくわかったモン民族の文化を紹介する。

モン民族の見えてきた文化

 まず細かいことからあげていくときりがないので、興味深かったものから二つ程紹介しようと思う。まず、大きな特徴があるものとして挨拶がある。モン民族は、挨拶をはじめる言葉として、こんにちはという代わりに、「トゥアロー」という。それは、モン語で日本語訳すると、「来たのですか?」という意味あいになる。まるで来ることが当たり前かのようにいうのである。また、その挨拶を始める人は、必ず訪問された側からはじめられなければならない。ここに、誰でも心よく受け入れるという文化が見られる。

イメージ 次に、モンの男女の出会い方に大きな特徴が見られる。モン民族は、女の人が15〜16歳で結婚をするのが普通であり、結婚はよい子孫づくりへとつながるので、モン社会の中で促されている。その男女の出会い方であるが、夜の9時から10時にかけて男の人が村の中の俳諧し、若い女の人の家へ直接いき、その女の人の寝床となる場所の壁を「コンコン」とノックするのである。それをきっかけとして、話を始める。その際に男の人は、どの家に若い女の子が住んでおり、どこが寝床となるかを把握しておかなければならない。大体2〜3人で女の子の家を訪ねる事が多いらしい。そして、話をしてお互いよいと思ったら、一夜をともにするという。そのように男女は出会い、子孫を多く残すことが望ましいことだとされている。それは、ラオスから中国共産主義と戦い、タイに難民キャンプとして、逃げてきたという歴史的背景からも、予測されるように、モン民族が人口を増やすことで、モンの社会が強くなると解釈されていると思われる。

センサーイ村が抱える諸問題

 センサーイ村が抱える諸問題として3つあげられることがわかった。一つは、土地不足である。それは、村人の98%が農業を主な職業としているモン民族としては、深刻な問題である。政府が提供してくれた土地とは、つまりタイ人が使わない土地、それは農業に適していない土地らしく、土壌もよくない。2つめは、貧困である。先述したように、ほとんどの村人の収入源は農作物であるが、それは天候に大きく左右されてしまう。農業ではない職業につくのはモン人にとって非常に困難である。なぜなら、タイ語を十分に読み書き、話すことができないからである。ここで、教育不足にもつながってくるといえる。

3つめに、麻薬問題である。これは2003年、今年の2月〜4月にかけて、タイの首相タクシンによって行われた厳しい麻薬取り締まり政策のおかげで、現在ではだいぶよくなってきている。

インターンシップで学んだこと・反省

 今回のインターンシップで学んだことは、人に伝えることは大切だということである。私は、実際タイに出国する前、出国してからパヤオに入る前、そして、実際パヤオに入って、パヤオから帰ってきて、たくさんの人と出会って、彼らの話を聞き、そして私自身も私が行ったインターンシップの話をした。そこで、特に私が今回行ったマイノリティとよばれる人々のことを知らない人は多い。彼らが抱えている問題を私が動いたからといって正直いって解決できるような問題ではない。だが、私が見てきたものや感じたことを伝えることが私にはできると思った。反省点として、事前準備の不足が現地で感じられたことである。私自身したつもりではあったが、より多くの時間を下準備に費やすと、よりよかっただろうなと、感じた。