桜美林大学 国際協力専攻ホームページ



2002年度 春学期

鈴木晶子(2年)

インターンで実際に行ったこと

 私がインターンを行った国際交流基金は、国際文化交流の中枢を担う専門機関として30年前に外務省所管の特殊法人として設立されました。その事業内容は日本研究から日本語教育、芸術、出版・映像メディア、スポーツ、生活分化まで幅広い分野での人の交流を中心として実施されています。私はその中の人物交流部、受入課で約一ヶ月半研修をしました。受入課では、主に人物招へいプログラムを行っています。招へいプログラムは大きく分けて7つあります。

(1)文化人の招へい (2)国際会議等出席者招へい (3)招へいフェローシップ

(4)中学・高校教員グループ招へい (5)指導者・専門家グループ招へい

(6)草の根交流グループ招へい (7)外国文化紹介グループ招へい

私はこの中の(1)(3)(4)に携わりました。

(1)の文化人の招へいでは、海外の著名な文化人を日本に招へいし、日本の文化視察や関係者との意見交換の場を提供します。私が担当したのはロシアの現代作家VICTOR EROFEEV氏です。氏は夫人同伴で9/6〜9/21まで来日されました。このプログラムでは氏の日程作りをしました。最初に氏の来日希望を読み、こちらでアポを取る人を決めていきます。氏の希望としては、日本の作家に会いたい、テレビのトークショーを見たい、アラーキーこと荒木経惟に会いたい、などでした。この希望を少しでも叶えるため、連日アポとりに励みました。電話やFAX、emailで交渉し、やっとの思いでアポが取れたときのうれしさは格別でした。氏が来日されてからは、基金でのオリエンテーションの一部を任され、簡単な日程説明及び、希望があったにも関わらずアポが取れなかった理由を説明しました。また、氏は東京大学で現代ロシア文学についての講演を行い、それに随行しました。講演会には新聞社の方をはじめ、ロシア文学に興味のある多くの人が聞きに来ていました。また、写真家のアラーキー氏との懇談にも同席しました。異なる分野で活躍されているにも関わらず二人は意気投合していました。それを見て人とは国籍、人種、あらゆる外的特徴関係なく、内面でその人の心を感じ判断するのだと感じました。

また、月に一回行われる記者ブリーフィングに同席しました。記者ブリーフィングとはその月の基金の活動内容を報道関係の方に説明、報告するものです。そこで関係者の方は来日される人のことを知り、興味があれば後日取材を申し込みます。 (3)のフェローシップ招へいでは、イランの大学の学長の招へい保証書を作成しました。氏は10月1日から一年間東北大学で研究する予定で、妻を含め4人の家族を連れての来日でした。

一番時間を費やしたのは(4)の中学・高校教員グループ招へいプログラムです。これは世界81カ国256名の中高教員を年5回に分けて招へいし、日本の教育・文化状況の視察、日本の先生及び教育行政の責任者の方々等と意見交換をするプログラムです。

私が担当したのは本年度ワールドカップ日韓同時開催を記念して始められた、韓国教員25名だけのグループでした。一行が来日される以前の仕事としては、文部科学省 人物交流課長による講義の資料を文科省に取りに行き、全部で4つ行われた講義のレジュメを翻訳会社に送り、参加者名簿を作成する等、事務的作業が主でしたが、ロシアの文化人と韓国グループの来日日程が重なっていたため、毎日がめまぐるしく過ぎていきました。一行が来日されてからはサポート役としてほぼ全日程を参加者と共に過ごしました。

東京では東京大学及び基金での講義、歌舞伎鑑賞、続いて広島では平和記念公園、原爆資料館の視察をしました。平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で全員で黙祷を捧げていたところ、日本の観光客も一緒に手を合わせていた姿を見て、何か熱いものがこみ上げてきました。資料館では戦争の惨さを目の当たりにし、広島市長から各国への軍事行動に対する抗議文を読み、戦争からは憎しみ悲しみ以外何も生まれないことを改めて学びました。また、宮島視察の際、参加者は豊臣秀吉の命で建立した千畳閣には上がろうとせず、そこで歴史問題の大きさ、深さを痛感しました。

次に訪れた奈良・京都では先生方の溢れるエネルギーと意欲に感心しました。厳しい日程で京都では一カ所しか見学できなかったのですが、先生方は朝早くから精力的に寺院等に足を運んでいました。早朝の散策は東京にいる間から続けられていました。

最後に訪問したのは水戸でした。水戸は本年度韓国グループにおける地方での教育現場視察の地でした。ここでは、県庁及び小・中・高・高等養護学校を視察しました。学校視察の時は参加者一同、旅行者から教員の顔に戻っていました。水戸では教員の歓迎レセプションが行われ、参加者、特に女の先生を中心にダンスや踊りの披露がありました。前日から振りを考え、夜は水戸駅の前でダンスや歌の練習に励んでいました。私も我を忘れ一緒に歌ったことを今でも鮮明に覚えています。韓国人は理と気を上手く使い分けていると以前聞いたことがありますが、正しくそうでした。水戸を最後に私の10日間の地方随行が終わりました。

その後東京に戻り、残りの講義の準備や地方随行の報告書を書きながらインターンシップ最終日を向かえました。最終日は朝から忙しく、今までの中で最大の仕事である一行の歓送レセプションの司会で一日を締めくくりました。戦後最大と言われた台風直撃により、新宿京王プラザ47階でのレセプションはまるで船上にいるかの様な揺れの中行われました。台風の影響でいくつかのハプニングはあったものの、つたない私の司会にも関わらずレセプションは滞りなく終了しました。と同時に、私の長かったインターン生活にも幕が下りました。

今回のインターンシップを通して、学校生活では決して経験することのできない数多くのことを体験しました。インターン前は社会とはどういうものなのか、仕事場とはどういう所なのか、実際仕事とは何をするのだろうか、など知らないことばかりでしたが、この機会で少し垣間見ることができました。「百聞は一見に如かず」と言いますが、正しくその通りだと思います。

よく韓国と日本は近くて遠い国と言われますが、私にとっての韓国もそうでした。韓国の知識と言えば学校で教わったことや、最近話題のあることばかりでした。そのため、韓国語もあいさつ程度しかわからず、最初コミュニケーションがとれるのか不安でいっぱいだったものの、日本語を話せる人も多くその人達とは日本語で、他の先生とは英語で会話をしました。実際に韓国人と触れ合い、一緒の時間を過ごし、意見を交わすうちに、多くの共通点を見出すことができました。それと同時に今まで歴史を日本側からしか見ていないことに気付き、今もなお韓国と日本の間には大きく根深い歴史問題があることも学びました。インターン前と比べると確実に物事を見る視野が広がりました。

今回のインターンを通して、自分の勉強不足による知識のなさと語学力の大切さを身をもって学びました。今後の課題としては知識を付けることと語学力を磨くことです。さらにチャンスを逃がさないためにいろいろな所にアンテナを張って、情報収集を行っていきます。情報は待っていても手に入りません。迷ったり悩んだりする前に行動すべきだということ、そして目的を達成するための惜しみない努力の大切さを学びました。

最後に学校に対してですが、事前に秋学期の授業とインターンが重なることは分かっており、履修に影響がでるかもしれないことは聞いていましたが、今回履修科目の先生に事情を話に行った際に結構きついことを言われたので、せめて国際の先生にはインターンシップがある旨を伝えてほしいと思いました。

引受先側に対してですが、いろいろ配慮してもらったおかげで問題なく楽しく研修させていただきました。ただ一つ言うのであれば、最初に基金全体の事業説明、その中での受入課の役割など簡単な説明があればそれぞれの仕事の流れが理解しやすかったと思います。

今後のインターン生へですが、まずあいさつは万国共通に大切なことなので朝はもちろん、自分が先に帰るときの一言など、ちょっとした気配りが大切だと思います。また、自分の意見ははっきり言う、分からないことは聞く、言われたことだけをやるのではなく自分からもできることを探してやる、そしてさせてもらえることは何でもする。全ての経験が自分の財産になり、次のステップになると思います。