桜美林大学 国際協力専攻ホームページ



2002年度 秋学期

 永島美和子(2年)

幼い難民を考える会の概要

 幼い難民を考える会は1980年に組織された民間の国際協力団体(NGO)である。内戦により生み出された多くのカンボジア難民のための支援から始まり、現在はカンボジアの農村で村の人々と共に子どものための活動や女性の自立を支えるための活動を続けている。

1.インターンで実際行ったこと

 幼い難民を考える会のインターンの研修で私が実際行ったことは、バザーや各イベントの準備、事務作業、である。バザーやイベントの準備ではCYRの会員の方からやまたは募集して集まった小物や衣服などの品物の値段つけや各品の仕分け、またイベント用の看板作り、売上表リストつくりなどをした。実際のバザー、イベントではカンボジアの小物、手織りスカーフなどの販売活動、CYRの宣伝活動、募金活動などもした。事務作業では、全国各地の個人または学校などからメールやファックスなどで請求されてくる資料の発送作業、また、CYRのオリジナルカレンダーやポストカードの請求の発送作業、会員様のポストカードご購入へのお礼状作成、ポスター、チラシのパソコンでの作成、学校のカレンダー購入や寄付金のお礼としてのパネル作りの発送やカンボジアの保育所にいる子どもたちの健康栄養調査表のダブルチェック、資料整理、印刷などである。

2.学んだこと、反省点

 研修を通して学んだこと、考えさせられることはたくさんあった。私たちは研修の多くを様々なボランティアの方々と触れ合いながら行ってきた。そしてこのボランティアの方々の力によって会が支えられていることを肌で感じた。実際に事務作業をしてみて、膨大な数の印刷やその折る作業、一つの冊子を何百と作る作業、カレンダーの大量の発送作業などは一人では先が見えないほど実に時間がかかるものだ。NGOではボランティアの方の存在や協力作業がとても重要であると感じた。そしてボランティアの方や会員の方のネットワークを保つのには実に地道な作業と協力が必要であるのだ。強く感じたことはNGOの仕事は事務作業などの細かい、地道な作業からバザー、イベントなどの体力仕事まで多岐にわたるパワーや貫く精神がいる作業であるということだ。バザー、イベントでは字ビンの中で様々な葛藤があった。バザーやカンボジアの小物・織物の販売活動と共に募金活動もした。その募金活動の中で、例えば今日たった今通りすがりの人々にどのようにカンボジアの子どもの現状を説明しそのための支援として資金をいただけるか、またはNGOとして信頼されるかについて問題を感じた。昔からCYRを知っている人でない方では本当にこの支援がきちんと子どもたちの所へ行き着くのかという疑問やお金を支援するという間接的な関わりの中で本当に支援しているかという実感をもつことは難しいということである。また、研修を通してどのように積極的に自分の意見を述べ関わっていけばいいのかが難しく、なかなか実行にできなかったことが反省である。そして最後に、ボランティアの方の中には多くの年配の方がパワフルに作業をしていた。私たち若者がこれからの社会の未来のためにさらにもっと頑張っていかねばならないという強い思いを得た。

3.今後の勉強にどのように経験を生かすつもりか

 インターンを実際行ってみて、様々な人々との触れ合いや作業を通して社会勉強となった。そしてそれだけではなく自分に今将来のために何が必要なのかということも見えてきた。将来、NGOや国際機関で働きたいという夢を持っている自分にとって今後必要な勉強は主に人々とのコミュニケーション能力向上のための語学力の強化、ボランティア活動などの経験、専門知識を身に付けるための勉強である。これらの課題を持って今後の勉強に精一杯つなげていきたい。

4.受け入れ組織および大学に対して今後はこうしたほうがインターン生のために良いのではと思うこと

 今回のCYRのインターンで感じたことは、「インターン生」と「ボランティア」との区別が曖昧であったため、なかなかCYR活動全般を見ることは難しく、勉強に結びつけることが難しかったと感じた。しかし、NGO側では、インターン生も、ボランティアの方も同じ活動においての即戦力と見ているため、なおインターン生に対して教える時間の余裕が設けられないため結果としてボランティアと同じ扱いとなってしまうのではないかと感じた。しかし、インターンはやはり勉強の一環であるのだから、ある一定の時間をつかってNGOについて、CYRについて学ぶ機会を設ける必要があると思う。また、そういった内容を明確に大学側から提出する必要があると思う。

5.その他、今後のインターン生への助言など

 インターンは社会勉強のみならず、今現在の自分に求められているもの、将来に向けての必要な勉強の要素を発見できる機会でもある。積極的に自ら参加することが大切であると同時に自分の学びへとどう結び付けるかは自分次第の取り組みが重要となってくると思う。

 今回の研修を経て、私はインターン生として様々なボランティアの方々と一緒に作業をした。ボランティアの存在の重要さ、会員やボランティアの人々のご理解、支えがなければ成り立っていかないことを身にしみて感じた。そんな中これからますますの支えとなるボランティア、会員の増員へつながるための道はあるのかという課題に取り組んでみた。

 CYRの会員制度は会員の枠はなく、学生から高齢者の方までの様々な年齢層がいる。正会員は495人、賛助会員は132人、学生会員は32人、寄付者、32人、関係者、213人である(2002年12月11日水曜日現在)。この数は日々変化する。賛助会員とは年会費に規定がなくいくらでも任意で提供できるが、総会時は議決権がない。それぞれの年会費は正会員が1万円、団体会員が3万円、学生会員が3千円、となっている。この金額の決定は他のNGOなどのそれと比較して相対的に決めたものである。これらの会費は自己資金として使われる。CYRの説立当時は会員、ボランティア数は約50人であった。そして1993年には877人というピークに達した。しかしそれ以降は減少傾向であり、2001年末では587名まで落ちこんでしまった。会員を脱退されていった方のいくつかの理由は高齢でありかつ年金生活であるということや、家計が苦しいということだ。CYRは新会員に向けて会の広報活動や会員のコミュニケーションを深めていくことに力を置いている。

 会員、ボランティアの増員へつながる道を考えるにあたってぶつかる課題は、全ての人が人類愛を持つにはどうしたら良いかという課題である。人類愛とは社会全体の利益への貢献を目指して行う社会参加ということである。その具体例の一つとして挙げられるのがボランティア活動である。NGOは貧困層の人々、一般市民の声を代弁する草の根の支援を基本としているため多くの市民の支援、参加を得ている。また、地球規模での活動を展開しており、ネットワークの強化にもつながっている。しかし、ここでいう「市民」とはどういう概念なのか考えてみたい。NGOに会員の枠はなくてもボランティアの枠はなくてもそれなりの条件はついてくる。まず、会員になるためにはお金が必要である。ボランティアをするためには時間と心の余裕とお金が必要である。「市民」とは、自由が保障され、国と政治にくわわる権利をもっている国民を指す。それは例えば、学生、高齢者、会社員、ホームレスの人、身体に障害を持っている人、五体不満足の人、精神に病をきたしている人、盲目の人、難聴の人、などありとあらゆる全ての人が対象となる。そのような市民社会の中から市民社会性を担っているNGOがどれだけの人々を対象とした活動をしているかということだ。つまり、年間1万円でも例えばホームレスの人にとってはかなりの負担にかるだろう。高齢者にとっても年金生活によって自分の生活で精一杯だ。これらの人々は参加できないことになる。このように見てみるとNGOは市民社会によって市民から支援、参加を得てきているかもしれないが、それは一部の市民に限定されている傾向があると思う。NGOが草の根の支援、草の根の視点で活動をしていると国際的に評価されているが、国内においては草の根の視点が欠けている気がする。これは、私の極端な考え方かもしれない。例えば、正会員の年会費1万円を千円にしてみる。また学生会員の年会費3千円を5百円にしてみる。一部の懐の温かい人から得る大きな資金と、資金は一人当たり少ないが年間5百円なら参加できる人ならいるかもしれない。そうすれば今よりも様々な市民の対象が増加するのではないかと考える。小さなお金が広大な市民のネットワークを生み出すこともあるのではという一つの考えだが、実際、財政面での基盤が弱いNGOでは難しいことであるのだと思う。しかし、より多くの会員・ボランティアの方を増やすためには広報活動を通じてのNGOの信頼性、透明性の確保、開発教育も必要だが、NGOの枠組み自体が全ての人々を対象としていなければ日本社会の中で真に根付いていかないと感じる。全ての人が人類愛をもつためには全ての人が全ての人を受け入れ認められるようになった時に生まれる。そのために、一人ひとりの人間が己と戦い、全てを愛する強い心をもつことである。市民によるNGOの参加を多く得るためにはNGO自身が国内に潜んでいる国境に近い障害を低くしつつ活動に取り組んでいかなければ地球市民社会を作り上げていくことはできない。ボランティア・NGO自身が強く成長していかなければならない。そしてそれを国や自治体がサポートしていかねば公平な意味での市民のネットワークは成り立っていかないであろう。その努力と協力と成長が求められていると思う。